11 船長の困惑
梶原が犯人に殺されたと仮定するならば、船内食堂から転落を見ていた笹木は偽証していたことになり、欺瞞工作を仕掛けている犯人の共犯者となる。
しかし実行犯が笹木の死角から梶原を襲っており、転落する様子だけを目撃したとすれば、共犯者の偽証だったと一概に言えない。
なぜなら犯人は、船から転落した梶原の死を偽装するつもりがないからだ。
むしろ梶原の死は、隠す気がなければ見てくれと言わんばかりである。
だから犯人に襲われた梶原が、窮地から逃げようと舷縁から足を滑らせたと考えれば、笹木の証言も筋が通っていた。
「それに笹木は、絢子の悲鳴をあげる直前、何かしらが海面に落ちる水音を聞いており、奥山を突き落とした者がいるなら船員が犯人だと言っていた」
梶原が殺されたと仮定すれば、犯人は人殺しを辞さないのだから、奥山の死を欺瞞工作だと決め付けたのは、私の早合点だったのかも知れない。
奥山は実在しており、九重中尉が睨んだとおり海に突き落とされた。
では犯行が可能なのは、いったい誰なのか。
殺された梶原は、相田が席を立っていなかったと証言していれば、窪坂が知らぬ間に消えたと言っていた。
ただ窪坂が船室に戻らず犯行に及んだのであれば、船尾から回り込んだ絢子、船首側から現場に向かった青木、階段から船内食堂を経由して駆け付けた笹木、現場に向かう三方の経路にいた誰にも見られずに、どうやって姿を消した。
船内食堂には梶原と相田がいれば、彼らも窪坂が逃げてきたと証言していない。
書生の相田を支援者の共犯者だと疑っても、二人目の犠牲者となった梶原には、窪坂を庇ってやる義理がないのである。
「梶原は、奥山を捜索する様子を熱心に見ていたが、もしかすると、彼は誰かを探していたのではないか」
そう声に出してみれば、梶原に犯行を目撃したなら命を狙われると脅したこと、彼が船内食堂を経由しなくても、船員なら展望通路に出られると考えていたことを思い出した。
現場で捜索活動していた船員を凝視していた梶原が、犯人は船内食堂を通らず犯行に及んだと考えていたのならば、奥山を突き落とした犯人を船員だと疑っていたのではないのか。
「梶原が船員の犯行を疑って殺されたのなら、やはり船長の太田に忠告する必要がある」
操舵室や船長室のある四階層には、船底の三等船室から続く船内吹抜けの階段を使わずに、関係者だけが使用する階段で船橋甲板を経由する。
船長室に向かう私が船橋甲板に出ると、副船長の青木と目が合ったので会釈した。
太田は、私の来訪を予め操舵室の船員に伝えていたらしく、部外者が船橋甲板に出ても、彼らに引き止められなかったものの、やはり乗船客が乗り込んでくれば視線を送る。
船橋甲板は操舵室を取囲んでいれば、船員や操舵手の目を盗んで、一般の乗船客が利用して、二階層の展望通路まで下りるのが不可能に思えた。
つまり奥山を海に突き落とした犯人がいるとしても、船内食堂を通らず現場の展望通路に出られなければ、船員の犯行を疑って当然なのだから、梶原や笹木が船員の犯行を疑ったのも頷ける。
「ドアの前で、どうした?」
船長の太田は、船橋甲板から奥まった船長室前で、思索に耽る私に声を掛けてきた。
船長室のドアには摺りガラスが嵌められており、私が入室しないで立ち竦んでいたのを見られたようだ。
「君は先程、乗客が転落した件に関わった人物がいると、まるで船内で犯罪が行われたような口振りだったが、青木君は昨晩、犯行を見ていなければ、自ら身投げしたとの目撃情報が寄せられている。君は、面白半分で騒ぎを大きくしているではないのか?」
「そうであれば良いのですが、そうとはいかないでしょう」
太田は大きな窓を背にして、背凭れ椅子に腰掛けると、私に手を煽って対面式のソファーに座らせた。
紙巻煙草に火を付けた太田は『そうでなければ、私が困るんだよ』と、煙を吐きながら心情を吐露する。
「二人目の遺体には、自死で説明がつかない外傷があります。残念ですが、梶原は他殺と事故で調査中です」
太田は、ヤレヤレといった様子で深く座り直した。
船から転落した二人が事故であれば、高等海員審判所で旅客船の安全運航を問われるし、事件であれば、寄港地の佐世保警察署で捜査のために足止めされる。
船長の立場であれば、二人とも自死であってほしいのだろう。
「君には、犯人の目星がついたのか」
船長の立場からすれば、高等海員審判所で旅客船の安全運航を問われるより、預かり知らない第三者による犯行の方が、まだしも救われるということだ。
「船長の心労を察すると、お聞かせするのが心苦しいのですが」
「おいおい、うちの乗組員が容疑者じゃないだろうね」
「はっきり申しますと、私は昨晩の騒動を青木の自作自演だと疑っています」
目を見張った太田が一気に煙を吸うものだから、長くなった灰が床に落ちる。
「青木君は要領が悪い男だが、私に逆らうこともない小心者だ。私の顔に泥を塗るような度胸があるとは、彼に限って到底思えない」
太田は、青木を単なる若造だと侮っているのだから、自作自演で運航を妨害するなんて大それた真似が出来るとは、夢にも思わなかったのだろう。
「私は、青木の犯行との確信に至っていなければ、容疑者の一人に過ぎません」
「あ、ああ……、そうか。しかし副船長に取り立ててやった青木君が、どんな理由で私の船から乗船客を突き落す?」
事件の真相が機密情報の争奪戦であるならば、無関係の太田に訳合を明かせない。
「青木は、金に困る事情でもあるのか。それとも、何者かに脅されてているのか。今のところは、彼なら犯行が可能だったに過ぎません」
太田には適当な話を聞かせたが、青木の犯行動機が解らないのは事実である。
それに昨晩の騒動で叱責された青木は、あれから操舵室の船長席を離れていないので、少なくとも梶原を殺せなかったと、太田は思い出したように言った。
「二つの事件が、同一犯の犯行とは限りません」
「君は、犯罪者が船内に二人いると言うのかね?」
「それが解かれば苦労はありません」
「確信もないのに青木君の犯行を疑えば、随分と無責任なことを言ってくれる」
私の忠告は、太田の癇に障ったらしい。
しかし船長の太田に知らせておけば、船員に共犯者がいても警戒して罪を重ねないだろう。
「奥山と梶原の遺留品ですが、調査のために預からせてもらいます。船内で死亡者が出た場合、遺留品は船長の管理下ですね」
太田は遺留品の引き渡しを拒んだものの、黒羽少佐に一筆もらうとの交渉で納得させた。
私の見立てでは、九重中尉と奥山が情報のやり取りで接触する予定があり、それを察知した犯人が防諜活動のために騒動を起こしている。
関東軍憲兵隊に利するところを見極めて、どちらが敵味方となるのか情報次第であれば、事態が動くまで静観を決め込んでいたのが裏目に出た。
人の生き死にはともかくとして、一先ず寄木細工の小箱を押収した方が良さそうである。




