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燕の騒乱  作者: 梔虚月
第一部 鳩の密告
11/31

11 船長の困惑

 梶原が犯人に殺されたと仮定するならば、船内食堂から転落を見ていた笹木は偽証していたことになり、欺瞞工作を仕掛けている犯人の共犯者となる。

 しかし実行犯が笹木の死角から梶原を襲っており、転落する様子だけを目撃したとすれば、共犯者の偽証だったと一概に言えない。

 なぜなら犯人は、船から転落した梶原の死を偽装するつもりがないからだ。

 むしろ梶原の死は、隠す気がなければ見てくれと言わんばかりである。

 だから犯人に襲われた梶原が、窮地から逃げようと舷縁から足を滑らせたと考えれば、笹木の証言も筋が通っていた。

「それに笹木は、絢子の悲鳴をあげる直前、何かしらが海面に落ちる水音を聞いており、奥山を突き落とした者がいるなら()()()()()だと言っていた」 

 梶原が殺されたと仮定すれば、犯人は人殺しを辞さないのだから、奥山の死を欺瞞工作だと決め付けたのは、私の早合点だったのかも知れない。

 奥山は実在しており、九重中尉が睨んだとおり海に突き落とされた。

 では犯行が可能なのは、いったい誰なのか。

 殺された梶原は、相田が席を立っていなかったと証言していれば、窪坂が知らぬ間に消えたと言っていた。

 ただ窪坂が船室に戻らず犯行に及んだのであれば、船尾から回り込んだ絢子、船首側から現場に向かった青木、階段から船内食堂を経由して駆け付けた笹木、現場に向かう三方の経路にいた誰にも見られずに、どうやって姿を消した。

 船内食堂には梶原と相田がいれば、彼らも窪坂が逃げてきたと証言していない。

 書生の相田を支援者の共犯者だと疑っても、二人目の犠牲者となった梶原には、窪坂を庇ってやる義理がないのである。

「梶原は、奥山を捜索する様子を熱心に見ていたが、もしかすると、彼は誰かを探していたのではないか」

 そう声に出してみれば、梶原に犯行を目撃したなら命を狙われると脅したこと、彼が船内食堂を経由しなくても、船員なら展望通路に出られると考えていたことを思い出した。

 現場で捜索活動していた船員を凝視していた梶原が、犯人は船内食堂を通らず犯行に及んだと考えていたのならば、奥山を突き落とした犯人を船員だと疑っていたのではないのか。

「梶原が船員の犯行を疑って殺されたのなら、やはり船長の太田に忠告する必要がある」

 操舵室や船長室のある四階層には、船底の三等船室から続く船内吹抜けの階段を使わずに、関係者だけが使用する階段で船橋甲板を経由する。

 船長室に向かう私が船橋甲板に出ると、副船長の青木と目が合ったので会釈した。

 太田は、私の来訪を予め操舵室の船員に伝えていたらしく、部外者が船橋甲板に出ても、彼らに引き止められなかったものの、やはり乗船客が乗り込んでくれば視線を送る。

 船橋甲板は操舵室を取囲んでいれば、船員や操舵手の目を盗んで、一般の乗船客が利用して、二階層の展望通路まで下りるのが不可能に思えた。

 つまり奥山を海に突き落とした犯人がいるとしても、船内食堂を通らず現場の展望通路に出られなければ、船員の犯行を疑って当然なのだから、梶原や笹木が船員の犯行を疑ったのも頷ける。

「ドアの前で、どうした?」

 船長の太田は、船橋甲板から奥まった船長室前で、思索に耽る私に声を掛けてきた。

 船長室のドアには摺りガラスが嵌められており、私が入室しないで立ち竦んでいたのを見られたようだ。

「君は先程、乗客が転落した件に関わった人物がいると、まるで船内で犯罪が行われたような口振りだったが、青木君は昨晩、犯行を見ていなければ、自ら身投げしたとの目撃情報が寄せられている。君は、面白半分で騒ぎを大きくしているではないのか?」

「そうであれば良いのですが、そうとはいかないでしょう」

 太田は大きな窓を背にして、背凭れ椅子に腰掛けると、私に手を煽って対面式のソファーに座らせた。

 紙巻煙草に火を付けた太田は『そうでなければ、私が困るんだよ』と、煙を吐きながら心情を吐露する。

「二人目の遺体には、自死で説明がつかない外傷があります。残念ですが、梶原は他殺と事故で調査中です」

 太田は、ヤレヤレといった様子で深く座り直した。

 船から転落した二人が事故であれば、高等海員審判所で旅客船の安全運航を問われるし、事件であれば、寄港地の佐世保警察署で捜査のために足止めされる。

 船長の立場であれば、二人とも自死であってほしいのだろう。

「君には、犯人の目星がついたのか」

 船長の立場からすれば、高等海員審判所で旅客船の安全運航を問われるより、預かり知らない第三者による犯行の方が、まだしも救われるということだ。

「船長の心労を察すると、お聞かせするのが心苦しいのですが」

「おいおい、うちの乗組員が容疑者じゃないだろうね」

「はっきり申しますと、私は昨晩の騒動を青木の自作自演だと疑っています」

 目を見張った太田が一気に煙を吸うものだから、長くなった灰が床に落ちる。

「青木君は要領が悪い男だが、私に逆らうこともない小心者だ。私の顔に泥を塗るような度胸があるとは、彼に限って到底思えない」

 太田は、青木を単なる若造だと侮っているのだから、自作自演で運航を妨害するなんて大それた真似が出来るとは、夢にも思わなかったのだろう。

「私は、青木の犯行との確信に至っていなければ、容疑者の一人に過ぎません」

「あ、ああ……、そうか。しかし副船長に取り立ててやった青木君が、どんな理由で私の船から乗船客を突き落す?」

 事件の真相が機密情報の争奪戦であるならば、無関係の太田に訳合を明かせない。

「青木は、金に困る事情でもあるのか。それとも、何者かに脅されてているのか。今のところは、彼なら犯行が可能だったに過ぎません」

 太田には適当な話を聞かせたが、青木の犯行動機が解らないのは事実である。

 それに昨晩の騒動で叱責された青木は、あれから操舵室の船長席を離れていないので、少なくとも梶原を殺せなかったと、太田は思い出したように言った。

「二つの事件が、同一犯の犯行とは限りません」

「君は、犯罪者が船内に二人いると言うのかね?」

「それが解かれば苦労はありません」

「確信もないのに青木君の犯行を疑えば、随分と無責任なことを言ってくれる」

 私の忠告は、太田の癇に障ったらしい。

 しかし船長の太田に知らせておけば、船員に共犯者がいても警戒して罪を重ねないだろう。

「奥山と梶原の遺留品ですが、調査のために預からせてもらいます。船内で死亡者が出た場合、遺留品は船長の管理下ですね」

 太田は遺留品の引き渡しを拒んだものの、黒羽少佐に一筆もらうとの交渉で納得させた。

 私の見立てでは、九重中尉と奥山が情報のやり取りで接触する予定があり、それを察知した犯人が防諜活動のために騒動を起こしている。

 関東軍憲兵隊に利するところを見極めて、どちらが敵味方となるのか情報次第であれば、事態が動くまで静観を決め込んでいたのが裏目に出た。

 人の生き死にはともかくとして、一先ず寄木細工の小箱を押収した方が良さそうである。

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