第6話 経済的自立
「――ふわあああ、う〜……。おはよう、ユーリ……」
翌朝。コーデリアはすっかり締まりのない顔をして、寝癖でボサボサになった金髪を眠そうにひっかきながら寝室から起き出してきた。
「おはよう。今日も汝に神の祝福があらんことを。……ずいぶんとよく眠れたみてえだな。朝飯が出来上がるまでもう少しかかるから、先に風呂でも入ってこいよ」
「何を言っているのだ? 朝から風呂など入れるわけが――……入れるのかっ!?」
もちろんである。
なにしろ、我が家の風呂は二十四時間源泉掛け流し。たまにはお湯を止めて掃除くらいはするが、原則として三百六十五日、いつでも入りたい放題なのだ。
「ヒャッホウ!」とばかりに、昨日までの絶望が嘘のような軽い足取りで、コーデリアはスキップ交じりに風呂場へとすっ飛んでいった。
さすがに昨日と違って、今回は湯船に飛び込む前にちゃんと体を洗っているようだったが、程なくして、露天風呂の方からゴキゲンな鼻歌がリビングまで聞こえてきた。
「ふわわわ〜……幸せだぁ〜。朝からこんなたっぷりのお湯に浸かれるなんてぇ〜……。私のような負け犬に、こんな贅沢が許されてよいのかぁ〜……」
すっかり我が家の温泉を満喫されているようで何よりだ。
朝日に照らされた瑞々しい森の緑を眺めつつ、小鳥のさえずりを天然のBGMにして入る朝風呂は、さぞかし最高だろう。
コーデリアが温泉効果でとろとろサッパリした顔で脱衣所から出てきた頃には、テーブルの上にはすっかり温かい朝食の支度が整っていた。
本日のメインは、人参と玉ねぎに厚切りベーコンを合わせた、トマトベースの濃厚な具沢山野菜スープ。これに村のパン屋で仕入れてきた焼きたてのふわふわ山切りパン。新鮮なシャキシャキのレタス。
いつもは卵料理が多いのだが、今日は少しだけ贅沢をして、仕入れたばかりのプリプリの茹でたて腸詰め(ソーセージ)を添えてみた。
テーブルに置かれた料理を見た瞬間――昨日、あれだけ大盛りシチューとパンを貪り食ってワインまで空けたはずだというのに。
――ぐぅ~~……。
と、コーデリアの正直すぎるお腹から、「早くそれをよこせ」との盛大な催促が鳴り響いた。
彼女は少し恥ずかしそうに、でもニコニコしながら席に着くと、神様に短い感謝のお祈りを捧げ、すぐさま料理を豪快に胃袋へと収め始めた。
まずは大きなパンを豪快にちぎって口の中に放り込み、そこに熱いスープを一口流し込む。なんとも幸せそうな、見ていてこっちまで嬉しくなるような表情だ。
フォークに刺した腸詰めを、パリィッ! と耳に心地よい最高の音を立てながら一噛み。シャクシャクした瑞々しいレタスで口の中の油をさっぱりと流して、また腸詰め、レタス、スープ、パン。とにかく止まることのない無限ループで食べ続け、だいぶ多めに用意したつもりの朝食は、文字通りあっという間にすべて消滅した。
「――ふぅ、ごちそうさま。本当に美味しかった」
食後の淹れたてのコーヒーを優雅にすすりながら、コーデリアがふと疑問を思い出したように質問してきた。
「しかし、もうだいぶ日が高くなってしまったな。ユーリ、お前は仕事に行かなくていいのか? 今日は確か、教会の定める安息日(休日)ではないと思うが?」
「ああ、今日は特にすることはないな。俺の仕事は毎日定時でしなきゃならん種類のものでもないし」
「子供たちには文字や算術を教えているようだが、あれが本業ではないのか?」
「あれはただ教会に頼まれたボランティアだよ。特に月謝も貰ってないし、そもそも週に数時間くらいだから、本業の仕事ってほどのボリュームはないな」
月謝をもらっていないのには、とある理由があるからなのだが、ここでクソ真面目な彼女にわざわざ説明する必要はないだろう。
コーデリアはますます怪訝そうに目を細めて聞いてくる。
「では、お前の本当の本業は、一体何の仕事をしているのだ?」
「ん〜、ジャンルで言えば……警備業?」
「警備、だと……? ここ1週間、お前を外から観察していたが、ほとんど家の中に引きこもっていて、ちょっとした買い物くらいしか外に出ることもない。家の中で何かを作って売るような工房の設備もないな。……それで家から一歩も出ずに警備と言ったら……まさかっ!?」
彼女はガタッと大袈裟に椅子から立ち上がり、自分の口元に両手を当てて、まるでこの世の終わり、信じられない不浄のものを見るかのような、憐れみに満ちた視線を俺に向けてきた。
「まさか……あれか!? 噂に聞く、『自宅警備員』とか言う……! あれは職業じゃないぞユーリ! しっかりするんだ! まだ若いのだから社会復帰は十分に間に合う! 私が相談に乗ってやろう!」
「違うわ!!」
俺は思わず大声で叫んだ。
なんて無礼極まりないことを言いやがるんだ。これでも一応、あまり高給取りとは言えないけれど、国家の安全に関わる立派な仕事をしているというのに……。
まあ、誤解されたままだと俺のプライドが死ぬので、ここらで俺の生活基盤について説明してやってもいいだろう。
「あのさ、昨日お前に『ここは砦だ』って言っただろ? あれ、ただの建前じゃなくて、実際十年以上前に魔王軍の残党がここの裏山から奇襲をかけてきた歴史的な事実があるんだよ。それ以来、兵士が常駐する監視小屋、兼居住施設として国費で整備されたのがこの家ってわけ」
「なるほど……。そう言えば騎士団長も、大賢者様は今も魔王領の動向を監視しておられるとか言っていたな」
「そうそう。だけど、魔王軍との戦争が終結したのに、いつ来るかも分からない辺境のルートに、わざわざ現役の兵士を一人分、高い賃金を払ってずーっと張り付けておくのって、国家の財政コスト的にも効率が悪いだろ? とはいえ、過去の侵攻ルートを完全に無人にして放置しとくわけにもいかん。だから、民間人である俺…らにこの居住施設を家賃タダで貸し出す代わりに、割安な委託料金で監視業務をアウトソーシングしているってわけさ」
「監視、なら……監視らしく、裏山に異常がないかとか、毎日歩き回ってパトロールしなくてよいのか?」
「あ〜、大丈夫大丈夫。俺……じゃなくて、うちの『師匠』が裏山の一帯に広大な自動結界を張ってあってさ。野生動物以外の『敵性魔力を持つ個体』が侵入すると、自動的にこの家の中に大音量の警報が鳴り響くシステムになってんだよ。だから、なるべく家にいて警報を逃さないように待機してるわけ。つまり、引きこもること自体が仕事なの」
もっとも。魔王を討伐してからこの十年間、結界の経年劣化による故障以外で、この警報が鳴ったことはただの一度もない。
魔族側にしても、一度こちらに知られて監視拠点が建てられている奇襲ルートを、二度と同じように使うほどマヌケではないだろう。
つまり、実質的には『仕事がほぼ存在しない』に等しい奇跡的な隙間の環境で、王国軍の予算からは毎月定額の委託料(ほぼ不労所得)として、俺の口座に金貨十枚が振り込まれるのだ。
(※たまに結界の呪符が野生動物にイタズラで剥がされることがあるので、気が向いた時に定期的な散歩がてらの見回りくらいはしているけれど)
こうした、俺の構築した完璧かつ合法的な「公金便乗リタイア(FIRE)スキーム」を丁寧に説明してやると、コーデリアは引きつった顔で、呆れ果てたようにな声を絞り出した。
「……つまりお前は、ほぼ形骸化して何もやることがない監視業務を『仕事』だと言いはり、国庫から毎月毎月、国民の血税を掠め取っているだけではないか……っ!」
なかなか言うじゃないか。鋭い。だが、大賢者の論理を舐めるなよ。
「何を言うんだ。魔族がこの侵攻ルートを再び使う可能性は、確かに天文学的に低い。だけど、ゼロになったわけじゃあないだろ? 可能性が低いからという理由だけで、実際に使われた危険なルートを無人にして放置し、万が一にも二度目の侵攻があって村が滅んだ場合、一体誰がその責任を取るんだ?委託業務を廃止した役人がとってくれるのか?」
「ぐぬっ……!」
「な? 王国側は毎月わずか金貨十枚の委託料で、辺境の安全と安心を得る。そして俺は、そのシステムに乗っかって、効率的に安定した収入と時間を手に入れる。これこそ、国家と個人の完璧なウィンウィンの関係だと思わないか?」
「おかしい……! 私は、真面目な納税者の一人として、お前に都合よく搾取されているようにしか感じられない! ――この、税金泥棒め!!」
「感情的になるなよ。お前ら軍人だって、いつも目に見える社会貢献をしているわけではないだろ?世の中というものはね、システムを正しく理解した者が、最も得をするように最初からできているんだ。そのためにこそ、子供の頃の勉学は大事なんだぞ?」
「おのれ……! いけしゃあしゃあと……っ!!」
結局、コーデリアは俺のあまりにも堅牢な屁理屈(あ、自分で言っちゃった)を論破することは不可能だと悟り、真っ赤になって悔しそうに白旗を掲げて黙り込むしかなかった。
――フッ、勝訴。
やはりFIRE生活の朝のコーヒーは、一段と美味いな。




