第5話 臆病な戦鬼
コーデリアの独白――いや、血を吐くような懺悔を聞き終えた俺は、心の中で深いため息をついた。
彼女は、人間として決して間違ってはいない。
しかし、大勢の兵の命を預かる一軍の『将』としては、あまりにも致命的な欠陥を抱えていた。
……この冷徹で、残酷な現実を彼女に伝えるべきか?
俺は少しのあいだ躊躇し、逡巡した。
相手は今、心も身体も痛めつけられ、限界まで弱りきっている一人の女の子だ。ここで優しく頭を撫でて慰めてあげれば、とりあえずは調子を取り戻すだろうし、その美しい顔に笑顔を取り戻せるかも知れない。
――しかし。一週間ものあいだ、無謀な野宿をしてまで大賢者を頼ろうとした彼女の、不器用で高潔な精神に触れてしまった俺は。例えいま、彼女の心を深く傷つけることになろうとも、そんな薄っぺらで優しい嘘をつくことだけはできなかった。
「――『猪突猛進』」
「ぐっ……!」
俺の放った冷や水のような言葉に、彼女の身体がビクンと跳ねた。
「一軍の将が、自分の部隊の指揮もほったらかしで敵陣に真っ直ぐ突っ込む。お前が突出したせいで、残された兵たちは統率を失い、各々の判断で戦場に放り出されるしかなくなった」
「匹夫の勇」
「ぐふっ……!」
今度は、まるで胸元に鋭い矢を直接喰らったかのように、彼女の身体がくの字に前屈した。
「将の役目は、部下を適確に統率し、最も効率よく戦術目標を達成することだ。自分自身が最前線で目立った槍働きをすることじゃない。――お前は優秀な『兵士』だったかも知れないが、『将』としての責務を果たしたと言えるのか?」
そして俺は最後、十代の頃に読んだ割と最近の文献に記されていた、大陸西方の共和国の内戦を最後まで戦い抜いたという、稀代の名将の言葉を引用した。
今の彼女の置かれた状況に、あまりにも符合しすぎていたからだ。
「『優秀な兵士であるためには、国を愛する心があればいい。しかし優秀な将軍であるためには、愛すべき者達を死なせる覚悟を持たなければならない』」
その言葉がリビングに響いた瞬間、コーデリアの顔から血の気がさあっと青ざめて引いていった。
それでも彼女は、潤んだ酔眼を必死に持ち上げて、俺の話を食い入るように聞き始めた。
「今回の作戦での最初のミスは、敵軍の数が想定より遥かに多かったのにも関わらず、一時撤退するでもなく、戦術を変更するでもなく、当初の予定通りに馬鹿正直に正面突破を図ったことだ。前提となる条件が異なるなら、現場指揮官はその場で柔軟に作戦を組み直さなければならない」
コーデリアは痛いところを突かれたように、美貌を苦しげに歪める。
「特にお前自身がいきなり前面に突出したのが、一番いただけない。指揮官は名前の通り、部隊を『指揮』するのが仕事だ。お前が最初から乱戦に身を投じて剣を振り回してたら、一体誰が後衛に指示を出すんだ?」
「……あ」
「指揮系統を完全に失った弓兵や魔術師は、どこに攻撃を集中させていいか分からず、ただオロオロと右往左往して、その貴重な攻撃リソース(魔力)をすべて無駄にすることになった」
俺は手元のワイングラスから机に垂れた水滴を指先で伸ばし、簡単な戦況図を描きながら説明を続ける。
「前進するなら、周りの騎士たちと歩調を合わせなきゃいけない。お前は一人で大丈夫なつもりでも、指揮官であるお前が敵に包囲されそうになったら、騎士たちは本能的にお前のカバーに回ろうとする。
――結果として、前線は不自然に縮小。お前らの守りが薄くなった横の隙間から、敵軍の別動隊がすり抜けて、後衛の弓兵や魔術士、治癒士を危険にさらすことになったわけだ」
「……なっ!? お前、あの戦いを見ていたのか!?」
ガタッと椅子を鳴らし、驚愕の声を上げるコーデリア。
俺は白ワインを一口含み、呆れ顔で首を振った。
「見てなくても分かるわ、こんなこと。戦術の基本のキだろ」
「くっ……」
「そこで、味方に死人が出る前に素早く『撤退』を選んだ判断そのものは正解だが……。勇猛果敢で鳴らすあの第七騎士団の小隊長としては、いささか見切りが早すぎるな。普通なら、自分の失策があっても、意地でもう少し泥臭く悪あがきしそうなもんだが。――お前、ひょっとして」
「や、やめろ……!」
俺は言葉を止めない。ここで俺が甘やかして追及をやめてしまったら、彼女はこの先、一生戦場から逃げ続けるしかなくなるのだ。
「今回の作戦だけじゃない。お前、小隊長になってから今まで……『部下を一人も死なせたことがない』んじゃないのか?」
「やめてくれぇっ!!」
コーデリアは頭を抱えて絶叫した。
「戦力の損耗を防ぐのは、決して間違ってはいない。無為に部下を犬死にさせる指揮官なんて害悪でしかないからな。だけど、お前の本音はそんな戦術的な話じゃないだろ。お前は――自分の責任で、自分の指揮で、人が死ぬという恐怖に耐えられないだけだ」
「うわあぁぁぁん!!」
張り詰めていた糸が完全に切れたように、彼女はついにテーブルに突っ伏して、子供のように大声を上げて泣き出した。
あまりにもクソ真面目で、あまりにも不器用な、金髪の戦鬼の本当の素顔。
彼女は激しい嗚咽を漏らしながら、ポツポツと、心に溜まっていた泥を吐き出すように語る。
「……そうさ! 私は怖いんだ! 騎士のくせに、人を死なせたくないだなんて、おかしいだろ! モンスターにはいくらでも残酷になれるのにな! いずれ他国の軍隊と戦って、人を斬る覚悟だってしているつもりだった! だけど、自分を信じて付いてきてくれる部下たちを、私の目の前で、私の未熟な指揮のせいで失うことが……どうしても、どうしても怖いんだ! 私は偽善者だ! 臆病者なんだよ! はははは、情けなくて涙が出てくる……!」
ボロボロと大粒の涙を流して自嘲する彼女を見て、俺は深く納得した。
もはや、剣聖の紹介状の封を切るまでもない。
彼女は類稀なる武才を有していながら、その優しすぎる本質は、まるで非情な軍人には向いていないのだ。
彼女の小隊がどれほど凄まじい功績を挙げても、騎士団長(剣聖)が彼女の中隊長への昇格を見送り続けていた理由も、すべて合点がいった。
剣聖は待っていたのだ。彼女がいつか任務の中で部下を失うという理不尽に直面し、そして、その喪失を乗り越えて真の指揮官として立ち上がる瞬間を。
しかし、彼女の個人的な戦闘力はあまりにも常識外れ(チート)だった。どんな窮地でも、自分の超人的な馬鹿力だけで戦線を強引に維持し、自軍の死者ゼロという、前代未聞の異常なレコードを刻み続けてしまった。だからこそ、自分の個人的戦闘力では絶対にフォローしきれない規模の人数を預かる中隊長、大隊長に推薦するには、騎士団としてもリスクが大きすぎたのだ。
俺は席を立ち、目頭を赤くして嗚咽が止まらない彼女の細い肩に、そっと手を置いた。
「――今日はもう遅い。お前、一週間も外でまともに寝てないんだろ。一晩ゆっくり眠って、明日になってから、またこれからの話をしよう」
「う、うう……。すまない、ユーリ……」
彼女の身体をゆっくりと支えて立たせ、一応はいつでも客を泊められるように掃除してある、来客用の寝室へと案内した。
彼女がベッドに入ってからも、しばらくはシーツの向こうから小さな嗚咽が続いていた。けれど、一週間の野宿による極限の疲労と、村特産の白ワインのアルコールが手伝ったのだろう。
程なくして、すやすやと、驚くほど安らかな寝息が静かな部屋に聞こえ始めた。
――やれやれ。
大賢者(弟子)の仕事ってのは、ずいぶんと骨が折れるな。
俺はリビングの明かりを消し、ぬるくなった白ワインを飲み干しながら、明日の朝食には胃に優しいスープでも作ってやるか、などと考えていた。




