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第26話 絶望の使者

「頼もおぉぉう!」

既視感のあるけたたましい大音声(だいおんじょう)とともに、我が家の可哀想な玄関のドアが勢いよく開け放たれた。

俺はソファーから身を起こし、心底胡乱(うろん)な目で、入ってきた金髪の女騎士――コーデリア・アシュクロフトを見上げた。

何やら彼女の表情は、やけに晴れやかで上機嫌に見えた。経験上、こういう時のこいつが持ってくる報せに、ロクなものは一つとしてない。

かと思うと、彼女は軍靴を響かせてツカツカと俺の前に歩み寄り、突然その場に深く片膝を突き、右手を左胸の前に掲げる――王国騎士団における最高位の礼をとった。

「大賢者ユリウス殿。まずは、これまでの我が数々の無礼……知らぬこととは言え、心よりお詫び申し上げます」

知らぬことって、おい。

出会い頭に不審者扱いして、挙句の果てにみぞおちへの凶悪な手刀で俺を気絶させて戦場へ強制拉致した前科は、この丁寧な平謝りですっかり帳消しにするつもりらしい。

まあ、一昨日のあの大騒動――この砦を突然襲撃してきた、魔人将すら遥かに凌ぐ上位魔族『魔将軍』との秘密裏の迎撃戦の最中、強引に同行してきたコーデリアの目の前で大賢者オリジナルの超高等複合魔術をブチ込んでしまったのだ。流石に隠し通せるはずもなく、王都に報告へ行った段階で、騎士団長であるレオンもすべてをゲロせざるを得なかったのだろう。

あの意地の悪い剣聖の「大人の悪趣味なお楽しみ(隠し事)」がようやく終わったことだけは、せいせいしたと言ってよかった。

一方で、俺の胸の奥には、小さく冷たい風が吹き抜けていた。

レオンが以前言っていたように、俺が『大賢者』本人だとバレてしまえば、これまでの「同年輩の気安い友人」という関係性は終わりを迎える。今日からは「救国の英雄である大賢者」と「王国騎士」という、超えられない身分制度に基づいたよそよそしい敬語の壁が、俺たちの間にそびえ立つことになるのだろう。

コーデリアは深く目を伏せたまま、微動だにしない。

目上の最高クラスの権威者に対する最高の礼節として、こちらから「顔を上げろ」と言葉をかけられるのを、ただじっと待っている。

つい数日前まで、このリビングでエールをガブガブ呑んで、鶏の丸焼きの脂で手と口をベトベトにしながら笑い合っていた同世代の友人としての関係性。その真ん中に、冷酷で巨大な溝が突然できてしまったように感じられた。

『私とあなたは、住んでいる世界が違うのです』と、彼女の張り詰めた背中から無言で突き放されているように思えて。

――俺は、胸を締め付けるような強い寂寥感(せきりょうかん)に耐えかねて、つい、柄にもない言葉を口に走らせてしまっていた。

「……そんなに畏まる必要はないだろ。大賢者だの何だの言ったって、俺は俺だ。ただ十年前の戦争で、たまたまちょっとした功績が王国に認められたってだけで、中身の人間性は何も変わっちゃいない。だから……その……今まで通り、ただの『ユーリ』と呼んでくれて構わない」

「しかし! 救国の英雄たる伝説の大賢者様を、ただの同年輩の友人のように扱い、公務でもないのにご自宅へ気安く遊びにくるなど……。そのような不敬が、王国の法義において許されるのでしょうか?」

「あ~~、もう、めんどくせえな! 俺がいいって言ってんだからいいんだよ! 来たけりゃ、明日からでも好きなだけ飯食いに遊びに来ればいいだろ! 俺とお前の関係は、今までどおりだ!!」

恥ずかしさのあまり、あたふたとそこまで一気に捲し立ててから、ようやく彼女の顔に目を向ける。

――あれ?

おかしいな。コーデリアのやつ、伏せた顔の口元が、妙にニヤニヤと歪んでないか……?

「――そうかぁ! そうだよなぁ! いやぁ、ユーリならきっとそう言ってくれると信じていたぞ! 私たちは共に戦場の修羅場を駆け抜けた不滅の戦友であり、同じ釜の飯を食った無二の親友だよな!」

「なっ……!?」

次の瞬間、コーデリアは音速を超えるスピードで丁寧な騎士の礼(猫被り)をかなぐり捨て、ニカッと白い歯を見せて笑うと、当然のようにソファーの隣にドカッと腰掛け、俺の首に親しげに腕を絡めてガシガシと肩を組んできやがった。

みぞおちに当身を食らわせて戦場に拉致したり、他人の家のドアを蹴り破って強引に押しかけておいてこの言い草である。

俺はこの凄まじすぎる距離感の詰め方の強引さと、有無を言わせぬ暴力的「親友認定」の既視感に、10年前の王都のパレードでの、あの暑苦しい『勇者ガイウス』の笑顔を完全に思い出していた。

どうやら俺は、彼女のあまりにも雑な「大賢者様への畏怖の演技」にすっかり騙されて、一番言ってはいけない甘い妥協のセリフ(言質)を自ら進んで与えてしまったらしい。

だが、それもまあ……引きこもり生活の退屈しのぎには悪くないか、とフッと彼女に釣られて苦笑いを浮かべたが――。

断言するが、この時の俺の見通しは、まだまだ激甘の極みだった。


「さて、ここからが本題だ」

コーデリアは途端にキリッとした真面目な仕事の顔になり、テーブルの上にいくつかの分厚い書類を並べると、「コホン」などとそれっぽく口に片手を当てて話を続けた。


「知っての通り、先日の辺境集落における魔人将の襲撃に続き、一おとといは、この砦そのものが高位魔族に直接狙われるという危機が現実に発生したわけだ。我らの見事な連携迎撃により事なきを得たが、魔族側がこちらの監視網を掻い潜り、明確な侵攻戦略を始めているのはほぼ間違いないと言ってよいだろう」

コーデリアは「我らの」という部分に、妙にドヤ顔の力を込めて言った。


しかし、やはりあの一戦は国に隠し通せなかったか。俺の愛する終の棲家(この砦)の戦略的重要性が、王国の国防計画において最上位へと跳ね上がってしまうことは、もう避けられそうにない。俺は自らの完璧なFIRE(早期リタイア)ライフの崩壊を予感し、暗澹(あんたん)たる気持ちで話の続きを聞いていた。


「とは言え、現時点では本部側も圧倒的に情報が少なすぎる。魔族領の残党は世界各地の未開拓地に点在しており、奴らが次にどこを狙って動くか、全く見当がつかない状況だ。―――そこでだ」


彼女は少し勿体ぶるように書類をトントンと揃えてから、満面の悪魔的な笑顔を浮かべて告げた。

「このコーデリア・アシュクロフトに、国王陛下直々の『勅命』が降ったのだ! ――役職名は『辺境特務調査官』! 騎士団の枠を超えて各地を自由に巡回し、魔族側の動向や各地のエネルギー異常を調査。必要に応じて、現地の『民間協力者』と緊密に連携してこれを即座に一任討伐せよ、とな!」

書類に押された国王の美しい赤い封蝋の紋章が、夕日にギラリと輝く。

要するに、面倒なお役所の指揮系統をすべてすっ飛ばし、各地を好き勝手に動き回って、自分の現場判断だけでモンスターどもを殴り倒してOKという、この脳筋女騎士の常識外れな戦闘力を120%活かすための中央による苦肉の策ということだろう。

もちろん、裏で糸を引いたのは騎士団長であるレオンの差金に違いないが、国王直々の勅命とあらばその政治的な重みが違う。なんでも格式的には「騎士団の中隊長と同格(かつ全権委任)」ということで、彼女の能力の有効活用と、例の「人事部のパワハラ調査(昇進問題)」を一気に力技で片付けたことになる。


「……ちょっと待て。その書類に書いてある、一番胡乱な『民間協力者』ってのは……具体的にどこの誰のことだ?」

俺が恐る恐る突っ込むと、コーデリアはあからさまにフイッと視線を斜め上へと逸らし、口笛でも吹きそうなトーンで答えた。

「もちろん、任務の状況や地域の危険度によって随時見直すことになるが……。国としては、過去に世界を救った実績のある、極めて優秀で、なおかつ現在『暇をしている大賢者級の協力者』には、最優先で協力を仰ぐのが最も費用対効果が高い、という結論に至ったようだな!」

しれっと、これからも事あるごとに俺をデスゲームへ引きずり回して「手伝え」と言いやがった。チラッとこっちを上目遣いで覗き込んでくんじゃねえ。


「それと、お前が最も気にしているであろう、この『砦(マイホーム)』の今後の扱いについてだが……」

ついに来た。今日の交渉における、最大の核心だ。

俺は「お願いだから家賃タダの引きこもり生活だけは奪わないでくれ」と、心の中で天界の神様に祈るような気持ちで、彼女の次の一言を待った。


「大賢者ユリウス殿。貴殿と王国軍の間で締結されている、従来の『国境警備委託契約』を、今月末日をもって――正式に『解除』する」


――ガガァァーン!!!


俺はその冷酷無比な宣告に、頭上から本物の落雷でも浴びたかのように脳髄を硬直させた。


……終わった。俺の夢にまで見た完璧な不労所得ライフ(FIRE)が、今、音を立てて完全に瓦解した。

これからは王都の薄暗い魔法省のオフィスに毎日馬車で詰め込まれ、山のようなつまらない予算書類の決裁仕事や、腹黒い貴族どもとの煩わしい人間関係に何十年も胃を痛めながら擦り切れていく、地獄のような社畜の未来図が脳裏を高速でよぎったのだった…彼女の次の言葉を聞くまでは。

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