第27話 明日への道標
しかし、コーデリアの話は、そこでは終わらなかった。
「この砦は魔族領監視拠点としての重要な役割を継続するが、貴殿が裏山に張った遠隔通知の水晶石システムを活用すれば、わざわざ構内に正規の警備員を常駐させる必要性は乏しいと本部は判断した。一方で、この場所は今後の辺境地域における『特務巡回拠点』として最も最適なロケーションであり――これからは『辺境特務調査官、すなわち私コーデリア・アシュクロフトの専用宿泊所』としても兼用活用されることとなった」
……え? それって、つまり?
「よって貴殿には、従来の結界維持などの監視業務をそのまま継続いただくとともに、本砦の『管理人』として、設備の維持管理、および辺境特務調査官が宿泊に訪れた際の――『朝夕の食事の提供を含むすべての対応』をお願いしたい。なお、それに伴う新たな委託料は、国庫より総額で【月・金貨十五枚】に増額して支給される」
俺は混乱する頭の中で、ソロバンを弾くように必死にその新たな契約条件のデータを整理してみた――。
「おい……っ! 要するにそれって、今まで通りの引きこもり監視業務に加えて、これからはしょっちゅうここに泊まりに来るお前のメシや寝床の世話まで、正式な仕事として俺にやれってことか!?」
「結果だけを見ると、まあそうなるな!」
コーデリアはふんぞり返り、ふふんと鼻を鳴らした。
「しかしユーリ、お前は今まで、仕事らしい仕事もほとんどせずに公金を毎月貪ってきたのだぞ? 国家の最高機密がバレた今、この程度の軽微な条件変更でマイホームへの居住を継続できるなど、むしろ査定としては破格の甘さだと思うがな!」
おのれ……。普段は筋肉で物を考えるコーデリアのくせに、やけに理路整然とした大人の契約ロジックを並べ立てやがって……。一体どこのどいつが吹き込みやがった?
「それと騎士団長殿からの個人的な伝言だ。『10年もサボってやがったんだからいい加減働け』だそうだ。」
あ、やっぱりレオンの野郎の入れ知恵か。
「それに、タダ働きではないのだぞ? 委託料だって毎月金貨五枚も増えるのだ。お前が日頃からブツブツと気にしていた、老後のための資産形成にとっても、大きなプラスではないのか?」
「増えた五枚分、全部お前の食費で綺麗に消えるわ!!!」
俺はテーブルを叩いて絶叫した。
これがもし俺個人への『賃金』としての支給なら、コーデリアが公務で滞在した際の食費は「必要経費」として別途国庫に請求できる可能性がある。しかし、今回はあくまでこの砦の維持運営に関わる一括の『委託料』としての増額だ。つまり、その固定枠の範囲内で「あのブラックホール並みの胃袋を持つ大喰らいに、毎度朝夕しっかりメシを食わせろ」という、極めて巧妙な奴隷契約になっているに違いないのだ。
実際、俺一人なら半年は余裕で保つはずだった村民からの潤沢な善意の差し入れによる食料備蓄の山が、この金髪女騎士が居座り始めてからというもの、見る見るうち消え失せている。特に肉類の在庫払底は深刻極まりなく、彼女が王都へ戻っている平日の間、俺は泣きながら野菜ばかりを貪り食うヘルシー生活を余儀なくされているのだ。
コーデリアは完全に勝利を確信したように、不敵に腕を組んで言った。
「もちろん、大賢者様たる貴殿には、この新たな契約の締結を拒絶する絶対的な自由があるぞ。私は決して無理強いはしない。……ただその場合、現行契約の解除に伴い、今月末日までにこの砦からすべての私物をまとめて、速やかに退去していただくことになるがな。――さあ、どうする? 大賢者殿」
「くっ……、おのれ……っ!!」
俺は目にいっぱいの悔し涙を浮かべながら、彼女が目の前にこれ見よがしに差し出してきた分厚い羊皮紙――『国境監視及び施設管理に関する業務委託契約書』のサイン欄に、ガリガリと屈辱のサインを書き込むしかなかったのだった……。
こうして、俺の静かで平和だったはずのFIRE生活は、国公認の「女騎士専用・温泉宿の管理人」という謎の職業へと強制ジョブチェンジさせられる形で、完全に幕を閉じたのである。
「――よし、契約成立だな!」
サイン済みの契約書を大事そうに懐へしまい込むと、コーデリアはそれまでの押しの強い官僚的な態度を崩し、また少しだけ、少女のような柔らかい口調に戻って俺に語りかけてきた。
「……それはそれとして、な。ユーリ」
「なんだよ、これ以上俺のささやかなスローライフから何を奪おうってんだよ?」
「違う。……その、一おとといの、あの魔将軍との決戦の話だ」
彼女は少しだけきまずそうに視線を彷徨わせてから、言葉を繋いだ。
「私、思ったんだが……私たち、戦場での相性としては、結構いいコンビだったと思うんだ」
「……」
確かに、あの一戦。魔人将との雪辱戦で周囲の状況を把握し、部下との連携を覚えた彼女の剣撃は、すでにただの猪突猛進ではない、熟練の戦士のそれだった。
前衛で文字通り鉄壁の盾となって敵を切り裂く彼女と、後方から寸分の狂いもなく魔法の砲撃をコントロールする俺。最後の方の乱戦においては、お互いに声すら交わしていないというのに、まるでパズルのピースが噛み合うように完璧に息が合い、お互いの動きを100%信頼して、あの強大な魔将軍の懐へとトドメの一撃を叩き込むことができたのだ。
流石に、かつてあの『魔王』を討ち果たした往年の勇者パーティーの領域には届かない。けれど――あの十年前の過酷な旅の中で確かに感じていた、背中を預け合う「仲間への絶対的な信頼感」。その温かい片鱗くらいは、確かにあの戦いの中で感じられたと思った。
それは、ひねくれ者の俺にとっても、どこか懐かしく、そして少しだけ誇らしい時間だったのだ。
「だから……」
コーデリアは一瞬、何かを躊躇するように小さく拳を握りしめてから、真っ直ぐに俺の目を見つめてきた。
「ユーリが、この場所で静かで平穏な日々を望んでいることは、この一週間で私も痛いほどよく知っている。だから、私はお前のその大切な居場所を、今度は騎士として全力で守ってあげたい。だけど……もしも、本当に気が向いた時だけでいい。もしも私が、自分の力だけではどうしても超えられない高い壁にぶつかって、本当に困った時は――また、私にその知恵と力を、少しだけ貸してくれないだろうか?」
そう言って、俺の前に真っ直ぐに差し出された彼女の白皙の手は、ほんの少しだけ、細かく震えていた。
『大賢者』なんていうクソ重い正体がバレてしまった今、冷たく拒絶されるんじゃないか、本当は嫌われてしまったんじゃないか。そんな、いつもの自信満々な女騎士からは想像もつかないような、ひどく不安げで、不器用な顔をしていた。
俺は――その震える小さな手を見つめながら、十一年前の王立学院の図書館で同じように強引に差し出された、彼女よりもずっと大きな、ゴツゴツとした一つの手を思い出していた。
『――君が、噂の歴史的な天才魔法少年かい? いやぁ、僕と君なら、絶対に最高のコンビになれると思うんだ! さあ、立って! 僕と一緒に、世界を脅かす魔王をやっつけに行こう!』
絶賛、反抗期真っ盛りだったクソガキの俺に対して、デリカシーの一片すら持ち合わせていなかった、あの底抜けに明るい太陽のような勇者の言葉。そこには何の論理的な根拠も、勝算のデータもなかった。けれど、その確信と希望に満ちあふれた力強い笑顔に、どうしても抗えなくて、俺は文句を言いながらも彼の手を取ってしまったのだ。
あの時の彼は、俺よりもずっと年上で、どこか頼りがいがあるような、あるいは強引な力で世界へと引っ張り出されるような感覚だった。
でも、あの時に自分が選んだ選択の結末を、俺はこれまでの人生で、ただの一度だって後悔したことはない。
そして今、俺の目の前には、
あの時の勇者とは違って、すべての選択を俺の意志へと委ね、怯えながら手を差し伸べている、同世代の、一人の不器用な女の子が立っている。
今度は、誰かに強引に引っ張られるんじゃない。
完璧に対等の立場で、100%自分の意志で、次の未来を選ぶんだ。
「――ハァ、全く。これだから、脳筋騎士は、めんどくさいんだよな」
俺は盛大にため息をついてみせてから、ソファーから立ち上がり、彼女のその震える右手を――今度は、引かれるのではなく、力強く、ガッチリと握り返した。
「ああ、いいよ。――これからよろしくな、コディ」
俺が親近感の証として彼女を初めて愛称で呼ぶと、コディは一瞬だけ驚いたように目を見張り、次の瞬間には、世界中のどんな宝飾品よりも眩しい、飛び切りの向日葵のような笑顔を咲かせたのだった。
(第一巻・完)




