第19話 護るべきもの
ヴヴヴヴヴヴヴヴ――ッ! ヴヴヴヴヴヴヴヴ――ッ! ファァン! ファァン! ファァン!
不快極まりない大音響が我が家のリビングに断続的に鳴り響いた。ついでに親切な視覚効果として、赤やら青やらのド派手なサーチライトが、事態の深刻さと緊急性をこれでもかと示すかのように室内をぐるぐると乱舞する。
極めて目障りかつ耳障りだ。一体どこのどいつだ、これほど神経を逆撫でする最悪のアラートシステムを構築した奴は!
(――もちろん、十年前の俺である。あの頃はこういう『臨場感』が最高に格好いいと思ってたんだよ。黒歴史って怖いね)
俺は数瞬の間、あまりの五月蝿さに脳をフリーズさせて固まっていたが、すぐに大賢者としての冷静さを取り戻し、裏山全域をカバーする防御結界の探知状況をリアルタイムでモニターしている机の上の水晶球へと向き直った。
ついでに、指先でパチンと音を鳴らす短文詠唱でシステムへ割り込み、うるさい警報音と光線エフェクトを強制停止する。うぜえし。
「な、なんだ?今の音は?何が起こったんだ?」
コーデリアが慌てて脱衣所から出てくる。
流石に裸ではなかったが、鎧や綿入れをすっかり外したアンダーウェア姿だ。
肌の露出はそれほどでもないが、伸縮性の高い生地が体にぴったりと張り付いているため、彼女のボディラインの凹凸がはっきり出てしまっている。大変に目の毒である。
俺は彼女から目を逸らしつつ、必死に思考をまとめる。
(……いや、落ち着け。過去の実績に照らし合わせるなら、これは十中八九、結界の術式の経年劣化によるただのシステム故障だ。というか、過去の統計的確率から言えば、これは100%バグである。つまり、今回の警報も同様の誤作動である確率が100%と言って過言ではない。そうに違いない。頼むからそうであってくれ!)
と必死に現実逃避のソロバンを弾きつつ、俺の冷徹な理性は、かつて王立学院で俺が師事した教授の言葉を非情にも思い出していた。
『――ユリウス。過去において一度も特定の事象が発生しなかったという事実は、その事象の発生確率を統計的に下げるファクターにはなり得るが、過去の発生件数に関わらず、それが物理的に発現可能である以上、発生確率は決して【ゼロ】にはならないのだよ』
恩師の言うことは全く正しい。だってその理屈、俺がこの砦の警備業務委託契約をもぎ取る時に、王国の頭の固い上級監査官を完全にねじ伏せて黙らせた『最強の屁理屈(大義名分)』そのものなんだから。
そんな俺の内心の葛藤をあざ笑うかのように、目の前の水晶球は、どこまでも残酷で決定的な監視結果をディスプレイに伝えてきた。
もしこれがただの結界システムの故障なら、画面には『どこそこの境界呪符が野生のイノシシに剥がされたので、至急貼り直してください』的なマヌケなエラーメッセージが表示されるはずなのだ。しかし、光り輝く神聖文字の羅列が告げた情報は――。
『――北方より、魔族領の正規軍が侵入。その総数、およそ一、〇〇〇。ハイオークおよびホブゴブリンの重装歩兵を主体とし、うち【魔人将】十五体。広域魔法攻撃を展開可能な【ダークメイジ】十体。……全軍の総指揮官は、魔王軍の残党【魔将軍】の模様――』
どう見ても、システムの故障じゃない。
もはや小規模な偵察隊とか、前線の先遣部隊という可愛いレベルを完全に超越している。
魔族どもは本気だ。大隊規模の正規兵力を投入して、少なくともこの温泉村一帯を完全に制圧・占領するつもりで、国境線を突破してきやがったのだ。
さすがに百戦錬磨の豪胆なコーデリアであっても、俺が読み上げた絶望的な敵戦力を前に、その美しい顔から一瞬にして血の気が引いて青くなった。
「す、すぐに隣町の騎士団の駐屯地に緊急の伝令を! いや、それよりもまずは村の住民たちの強制避難が先だ!」
騎士として、至極常識的かつ極めて的確な状況判断だ。
これほどの規模のモンスターの『軍勢』を前に、たった一人の騎士や、ましてや一人の民間人がどうこうできるはずもない。普通なら、今すぐ全力で荷物をまとめて逃げ出すのが、唯一無二の生存戦略である。
しかし――。
俺は静かに椅子から立ち上がると、意を決して、ワードローブの最奥から久しく装備していなかった一つの防具を取り出した。
――『神威の外套』。
夜の闇を吸い込んだかのような深い黒の布地に、星々の煌めきのような神聖な銀の刺繍が施された、本来なら最高クラスの聖職者しか装備することが許されない、後衛職用の最高峰・世界最高ランクの最強防具だ。もちろん、特級の神聖魔法を完全に使いこなせる俺が羽織る分には、防具の使用資格を余裕でクリアしている。
(※十年前、魔王城の宝箱から発見したとき、あのクソBBAエリスと、この外套の所有権を巡って血で血を洗うような壮絶な奪い合いを展開したのが懐かしいな。あの直後、勇者パーティーが同レベルの女性専用防具『女神の星衣』を入手したことで、事なきを得たわけだが)
続いて、俺は玄関の傘立てにまるでただの枯れ枝のように無造作に突き刺さっていた、一本の不気味な黒い杖を引っ掴んだ。
高位魔道士専用・戦略級破壊兵器――『終焉の魔杖』。
俺の手がそのグリップに触れた瞬間、大賢者ユリウスの莫大な魔力(MP)に呼応して、枯れ木に似た杖の先端から、ブワッ! と夜の闇を引き裂くような禍々しい純黒の瘴気が激しく噴き出した。
「な、何だそれは……!? ユーリ、お前、その光ったり黒くなったりする、見るからに普通じゃない怪しい装備は一体どこから引っ張り出してきたんだ……っ!?」
いくら王都の精鋭部隊を率いる凄腕の小隊長コーデリアとはいえ、それはあくまで平時の治安維持レベルの話だ。十年前のあの狂気の戦場において、超高位の魔族やエリアボスクラスのレアモンスターを相手にした経験のない彼女にとって、これら『神話級』の装備群は、文字通り見たことも聞いたこともないシロモノだろう。
「俺はこれから、一足先に奴らの正面へ迎撃に出る。もし、二時間経っても俺がこの家に戻らなかったら……その時はお前の権限で、即座に村長に住民の避難指示を出させろ。そと同時に駐屯地に軍の出動を要請しろ」
これは、俺がかつて世界を救った大賢者として最低限『責任』をもって、確実にこの手で稼ぎ出せる時間だった。同時に、愛する温泉村の最悪の全滅を回避するための、ギリギリの妥協案だった。




