第18話 隠遁の理由
「大賢者様がいつお戻りになるか分からんからな! 定期的にこの辺境の様子を見に来る必要がある! ……ところでユーリ、今日の夕食のメニューは何だ?」
それからというもの、コーデリアは毎週のように非番の前日から我が家に泊まりにやってくるようになった。
普段は王都で職場と寮を往復する過酷な任務をこなし、週末になるとこの辺境の温泉村にやってきては、温泉と食事と酒を楽しみ、すっかりリフレッシュして王都に戻るという優雅な生活。
我が家はほとんどあいつの別荘扱いである。
俺はと言えば相変わらず、彼女が強引に押し掛けてくるのに辟易しつつ、彼女が使う寝室を掃除してシーツを交換したり、メシや風呂の準備をしたりと、これじゃまるで別荘の管理人だ。
とはいえ、村の中心地からも離れた我が家には、村人もそれほど頻繁に訪ねてくるわけではない。多少の付き合いはあれど親しい友人と言える間柄の村人はいないので、同世代の女の子が毎週のように遊びに来るのは、俺にとっても良い気晴らしになっていたのは確かだ。
「なあ、ユーリ……」
そんなある日。コーデリアが夕方に到着し、二人でのんびりとお茶をすすっていると、彼女が珍しくしんみりとしたトーンで話しかけてきた。どうした?悪いもんでも食ったか?
「お前は――いつまでここにいるつもりなんだ?」
「一生いるつもりだが? それがどうした?」
俺が即答すると、コーデリアは一瞬硬直したが、しばらくして気を取り直してなおも話を続ける。
「――先日の集落奪還作戦で臨時参謀を務めてもらって確信したが、お前は本来、こんな辺境でニートみたいな生活をしていていい人間じゃない。いち社会人として立派にやっていける能力があるし、村人や子どもたちに接している態度を見ても、如才なく人と付き合っていけるくらいの最低限の社会適合性は持ち合わせている。それなのに――」
彼女は一度言葉を切る。
「私には、お前が何かから逃げているようにしか見えないんだ。いや、すまない。本当にお前が何か恐ろしいものから逃れたくて、自分自身のために逃げているなら、何も言うつもりはない。誰だって、自分の力が及ばない、自分がうまくやれない状況で、いくら足掻いても抜け出せないなら、心が折れそうになって、そこから逃げ出したくなることはあるさ。少し前の私だってそうだった。だけどお前は――」
そこで俺は彼女の言葉を遮った。
「とんだ買い被りだ。この世は俺一人がいなくたって、何もなかったように回っていくさ。だったら、わざわざ俺が一生懸命やらなくたっていいじゃないか?」
「嘘だ! お前はそんなだらけた人間じゃない。自分がやれることがあるとちゃんと理解している。その上で、もう自分は社会から静かに退場することを決めているんだ! 楽をしたいとか、怠けたいとかじゃない。何かそれ以外の理由があるんじゃないのか?」
楽をしたい、怠けたいという気持ちはゼロじゃない。ただ、確かに彼女が言うように、それだけじゃないのも確かだ。
「大賢者様の弟子として学びたいことはまだあるかも知れないから、すぐにとは言わないが……大賢者様とて、お前が広い世界を見たいというなら背中を押してくださるのではないか? 私はそう信じている」
あ、その設定まだ生きてたんだっけ? すっかり忘れていた。
「私は、お前の言葉で救われたんだ。自分が何を間違い、何を恐れているのか、お前が真正面から答えてくれたおかげでな。今度は私にお前が抱えているものを教えてくれないか? できることなら、私が何か力になりたいんだ……」
なかなか本心を見せようとしない俺に対して、彼女は泣きそうな顔で言った。彼女にとっての俺は、同年輩で、苦しい胸のうちを打ち明け、ともに手を取り助けあって共通の目的を達成した友人なのだろう。そんな俺が、世捨て人のような生活を送っているのは、何か絶望を抱えて自暴自棄になっているように見えてしまうのだろう。一体なぜなんだろうか? 何とかできないだろうか?
彼女は「トモダチ」として、本気で俺のことを心配してくれているのだ。そんな彼女を見て、「うぜーよ、おめーには関係ねーよ」などと突き放すことは、なぜかできなかった。
俺は、意を決して、勇者パーティーの仲間たち――ガイやレオン、エリスにすら話したことのない俺自身の心のうちを、俺と同じ高さの目線で正面から見つめてくる彼女に対して、ぽつぽつと話し始めた。
といっても、本当の話をしたら、あまりに荒唐無稽で「ふざけるな!」と彼女が怒りだすかも知れない。というか、俺自身、レオンの言葉が胸に引っかかっていたのだ。
――せっかく二人の間に芽生えた「友情」を、「伝説の大賢者ユリウス様」という肩書きで上書きする意味が分からんよ――
俺は彼女が示してくれた「友情」を裏切らない範囲で、少し話をぼやかしながら話を進めることにした。
「――子どもの頃、俺は結構できる子だったんだ」
あまり覚えていないが、2歳の頃には普通にしゃべっていたらしいし、言葉にせよ、計算にせよ、一度教えれば即覚えるような賢い子だったそうな。学校に行き始めると、教科書の内容をすぐに覚えてしまうので、先生が教えることがなくなり、勝手に上の学年の教科書読んでどんどん先に行くという、先生としては、ありがたいような、扱いづらいような、そんな生徒だった。
飛び級もあって11歳にして王国の最高学府である王立学院に入学。その中でも魔術関係に高い才覚を示しただけでなく、興味の赴くまま、召喚術や法術にまで次々と手を伸ばしていった。
「だからかな。まだ10代の頃から、結構重い仕事を押し付けられてな……」
「そうか……私も10代で騎士団に入隊したが、お前も苦労したのだな……」
彼女は多分俺が17、8の頃の話だと思っているのだろうが、実際はまだまだ遊びたい盛り、絶賛反抗期中のローティーンの時期の話である。勇者ガイウスのスカウトに応じ、魔王討伐の戦場に赴いたのだ。
「いろいろ大人の汚いところも見せられた。誰だって自分が可愛いのは分かる。けどな、ガキに辛い仕事やらせて、自分たちは安全なところで見ている、自分たちは弱いから助けてもらって当然って連中を、ガキの俺はどうしても許せなかったんだ……」
勇者パーティーが功績を上げるたび、民衆の期待の声は高まっていった。必然的に、あっちこっちの危険な戦場が割り当てられ、俺たちは何度も命の危険に晒された。
俺の判断ミスで、後衛の俺を護ろうとしたガイがはらわたをぶちまけ、レオンが腕を切り裂かれ、エリスが足をへし折られる。俺は泣きながら、彼らが稼いでくれた時間で練り上げた超高位攻撃魔法を、全精力を注ぎ込むつもりで魔族どもに叩き込んだ。これで効かなければもう誰も戦えない、全員死ぬしかない! という極限状態で。
「実際、逃げ出したいときもあったよ。でも、誰も代わってはくれなかった」
俺が普通の子どもだったら、途中で逃げ出していたはずだ。もういやだ、自分は子どもなんだ、怖いところなんて行きたくない、誰かが死ぬところなんて見たくないと駄々をこねて。しかし、当時の俺は子どもでありながら、その理性で理解してしまったのだ。
大人は決して子どもと別の存在ではない。所詮は子どもたちの延長線上であり、怖れ、悩み、苦しみ、逃げ出す、そんな矮小で臆病な生物に過ぎないのだということを。
たまたま俺が魔法の才に恵まれただけ、タイミング悪く俺が子どもなのに魔王軍が襲ってきやがっただけなのだ。
それでも俺がやらなければ皆が死ぬ。勇者パーティーの三人が、故郷の家族が、この世界の人類全てが滅亡する。そう思ったら、恐怖を押し殺して前を向くしかないじゃないか。
「そうやって、何とか大きな仕事をやり遂げたんだけどな」
10代前半にして全てをやり遂げた俺は、もはや抜け殻だった。
「これから先の人生、何かやりたいこととか、何か成し遂げたいこととかどうでもよくなったんだ。ああ、これで全てが終わったんだ。俺、結構頑張ったよな、やるべきことやったよな、だったら、これからは誰にも何かを要求されず、自由きままに生きても罰は当たらないんじゃないかと思ってな……」
逃げていると言えば逃げているのかも知れない。
しかし、こんな熱を失った燃えカスが残って、過大な期待に耐えかねて大きな失敗をする方が恐ろしい。だったら、表舞台から退場して、やる気のある人に任せた方がいいだろう。ただ、頑張っただけのご褒美は欲しいなあ...
かくして、せこいソロバン勘定のもと、公金便乗スキームを組み上げて夢のFIRE生活を始めたわけってわけだ。
勇者だとか、魔王だとか、俺の年齢だとか、細かい事情は伏せて大掴みにそんな話をすると、彼女はキョトンとしたような顔をしてから言った。
「なんだ。私と同じじゃないか。日頃の仕事で辛かったり苦しい思いもするし、失敗に落ち込むこともある。ムカつく連中もいる。やる気がなくなることもある。でも、ここで温泉に入って、お前とメシを食って、ぐっすり寝れば、休み明けには元気に仕事に向き合うことができるんだ!」
彼女はニカっと笑って、脳筋らしい、大変分かりやすい解決方法を提示する。
「……っつ、そこまで単純じゃねえ!」
「そうか? 休み足りなかったら、いくらでも休めばいい。けど、私たちはまだまだ若いんだ。今、お前がやりたいことがないなら私が一緒に見つけてやる。だから、自分の人生をこんなところで終点にするな。この村で平穏を望むならそれでもいい。その中でもきっとやりたいことが見つかるはずだ!なんでもいいから、新しいことを始めてみればいいじゃないか!」
彼女は確信と自信に満ちた表情で、俺の華麗なるFIREライフをただのモラトリアムだと決めつけやがった。
だが、コーデリアの言うとおりかも知れない。まだまだ長い人生だ。時間が経つに連れて、俺自身の気持ちもどう変わっていくかは分からない。気が変わったなら。また羽を広げるのもいいかも知れない。
その時、この目の前の脳が筋肉でできた、野蛮で強引で、でも本当は優しくて涙もろい女の子は、変わらず俺のそばに居てくれるだろうか?
俺はそんな願望を頭を振って振り払いつつ、
「じゃあ、あと10年くらいかけてじっくり考えるとするか」
「休みすぎだ!」
俺とコーデリアは二人一緒に吹き出した。
俺は椅子から立ち上がり、腰に手を当てて軽く伸びをする。
「そろそろ暗くなってきたな。晩飯の準備を始めるか」
「今日も楽しみだな。私は先にお風呂をいただくとしよう。」
彼女は鼻歌を歌いながら脱衣所に入り、ガチャガチャと鎧を外す音が聞こえてくる。
俺は食在庫を確認し、今日の献立を考え始めた。
と、その時だった。
ヴィィィィィィーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!
この家に設置された、鳴るはずがない魔族侵入を知らせる警報装置が、突然、黄昏の静寂を切り裂いて大音量で鳴り響いたのだ。




