第1話 辺境の大賢者
「頼もぉうぅぅ!!」
玄関のドアが、けたたましい音を立てて、はじけ飛びそうな勢いで開かれる。
俺の静謐な時間は、突然の闖入者によって跡形もなくぶち壊された。
俺はユリウス・ルクレール。
かつて世界を救った勇者パーティーの一員たる大賢者だが、今は王国から歩いて二日ばかりのところにある、魔王軍との境界付近の村で、世の雑事から離れて学究の日々を送っている。
いずれ再来するであろう魔族との抗争に備えて、静かに……そして秘めやかに人類の刃を磨いているのだ。
――とは言え、魔王を討伐してから早十年。
魔王軍は内紛でいまだに次期トップが決まっておらず、人間界に再侵攻できるような状態ではない(実に結構なことだ)。俺もすでに成人して、一社会人として、忙しく責任ある日々を日々送っている。
そんな俺のもとに、面倒くさ――もとい、深刻な問題を抱えた来訪者など来るはずもない。いや、来るな。頼むから来ないでくれ、というところなのだが……。
「こちらは大賢者ユリウス様が、密かに魔王軍を監視するため常駐しておられる庵で間違いないか?」
「はい、確かにここは魔王軍監視を目的とした『砦』ですが?」
俺は「建前」を正直に伝える。
砦と言うにはいささか頼りない、ただの木造邸宅だ。火矢でもぶち込まれたら、あっという間に炎上するのではないだろうか。まあ、その前に俺が魔法で何とかするけどね。
やってきたのは、やや長身の女騎士だった。
年の頃は俺と同じくらいか。スラッとした体格で、かろうじて男性の平均身長くらい(ちょっと足りないかも)の俺とほぼ同じ高さ。ただ、彼女は軍用の頑丈なブーツを履いていることもあり、目線は少し俺より高い。
さらっとした金髪をポニーテールにまとめており、緑がかったブルーの瞳が冷徹な印象を与える。化粧っ気はほとんどないが、彼女の内なる精気が肌に素晴らしい艶を与えていた。まあ、ぶっちゃけかなりの美人だ。
手足も長く、腰もキュッと引き締まっていて、相当スタイルも良さそうだが、惜しむらくは胸元を頑強そうなプレートアーマーが覆っており、本体のボリュームに確証が持てないことくらいか。
などと視線を散らしながら、わずか〇・五秒で値踏みしていると、彼女の方も無遠慮に俺のことをジロジロと見ていた。だが、はっと我に返ったように視線を上げ、
「突然の訪問で失礼した。私は王国軍第七騎士団所属、第七十四小隊隊長のコーデリア・アシュクロフトである。騎士団長の命により、大賢者ユリウス殿にお目通りを願いたい」
と言って、仰々しい紹介状を差し出してきた。
確か、第七騎士団って、あの勇者パーティーの『剣聖』のおっさんが団長を務める王国最強とかいう脳筋騎士団だよな。レオンハルトの野郎、旅の途中で『王都でふんぞり返ってる上司の将軍ジジイども、さっさと死ねばいいのに』とか毎晩ボヤきながら酒飲んでたっけ。こうして部下を従える立場になったのは結構なことだ。
まあ、それはいいとして。
「それはそれは遠路はるばるどうも。私がユリウスです。こちら、拝見しても?」
と柔和な態度で紹介状を受け取って開封しようとすると、彼女にガバっと強引に奪い返された。
「申し訳ないが、大賢者様ご本人以外にお見せすることはできない!」
「いや、ですから、私がそのユリウス……」
「バカなことを言うな!」
コーデリア某は、凛々しい眉を吊り上げてフッと鼻で笑った。
「ユリウス様は我らが騎士団長や勇者様、王都司教様とともに、十年も前に魔王討伐を成し遂げられた伝説のお方だぞ? あなた、年は幾つだ?」
「今年で二十四になりますけど…」
「ふん、語るに落ちたな! 私と一つしか違わんではないか! 大賢者様は騎士団長や王都司教様と同年代か、それ以上の大ベテランのはず。貴様は十年前なら、まだただの子供ではないか! はは~ん、さては大賢者様に会わせたくないと、見え見えの嘘をついているな? お前は大賢者様の弟子か、あるいは下男と言うところだろう。さあ!さっさと奥におられる大賢者様を出せ!」
ああ、これはアレだ。
世の中に結構な割合で存在する、自分の頭の中でイメージをガチガチに固めているせいで、それに合わない『現実』の方を間違っていると思い込むタイプだ。
まあ、正直に言って相手をしたくないのは確かだし、あの謁見の間にいなかった王都の人間は俺の正確な年齢なんて知らない。この村に引っ込む時も、国王様にお願いして基本プロフィールはすべて国家機密にしてもらったしな。
今から誤解を解くのも死ぬほど面倒だし、となれば……。
「あー、はいはい。じゃあ私はユリウスの『弟子』ってことでいいです。それで、師匠に何のご用で?」
「大賢者様ご本人にしかお伝えできないと言っているだろう!」
「しかし、師匠はあいにく出張に出ておりましてね。帰りは何日、いや何ヶ月先になるか分かりません。御用向きを伺えればこちらから魔導通信で連絡もできますが、それすら分からずに呼び出すなど、私が師匠に激怒されます」
「ぐぬぬ……! それならば、大賢者様が戻られるまで、私はこの家の前で待たせてもらう!」
「はあ、まあ、ご勝手にどうぞ……」
このとき。
「王都のエリート騎士様が、こんな辺境の田舎村で本当に待つわけがない」と高を括り、完全に侮っていたのが、俺の人生最大の失策だった。
コーデリア某は――その日から本当に、俺の家の前で野宿を始めたのだ。
――コーデリア某が俺の家の前で野宿を始めて、丸一週間が過ぎた。
彼女は目を皿のようにして俺の家の玄関を監視し続けている。だが、そもそもこの世に存在しない『大賢者の弟子の師匠であるところのユリウス』などという男が戻ってくるはずもない。実在しないのは弟子の方なのだが。
俺は普段、村の教会に協力して、この自宅に村の子供たちを集めては文字や初歩的な算術などを教えている。
そのため、俺の家に集まる子供たちを経由して、「人を殺せそうな目線で先生の家の玄関を凝視し続けている不審な金髪甲冑女」の噂が村中に流れるのに、大して時間はかからなかった。
いわく、俺が昔王都で捨てた女が復縁を求めて押し掛けてきたのに俺が冷酷に放り出しただの。
あの女騎士のお腹の中には、すでに俺の子供がいるだの。
村のババアどもの想像力は豊かすぎて、風評被害にもほどがある。俺の平穏なスローライフの評判がガタ落ちだ。
しかも、放っておけば放っておくほど、噂は縦へ横へと広がりを増すばかりである。先日などは、人のいい村長からさえ「いや、ただの噂だとは思うんだけどね…」などと囁かれる始末。
さすがに根負けした俺は、しとしとと冷たい雨が降る日の夕方、庭の桜の木の下で、葉の隙間からポタポタと垂れる雨にずぶ濡れになっている彼女へと近づいた。
見れば、彼女のプレートアーマーは泥を被り、自慢の金髪ポニーテールは濡れそぼって完全に生気を失っている。
何より、その双眸の奥にあるのは、怒りではなく底なしの絶望だった。
単に任務としてここに来たわけではない。おそらく彼女自身に何らかの問題が発生し、それを解決しない限り、先に進めないような状況なのではないだろうか?
そんな部下を見たら、あのおせっかいな剣聖のことだ。辺境に隠棲する伝説の大賢者に相談してみてはどうか、などと紹介したことは容易に想像がつく。
「大賢者様は、まだ……お戻りに、ならないのか……」
「まだ、帰ってこないよ……。そんなところにいたら風邪引くぞ。」
最初に「たのもう!」とドアを蹴り開けてきた、あの溌剌とした女騎士の面影はどこへやら。雨に濡れた彼女は、まるで雨の中に捨てられた子犬のように、弱々しく縋るような視線を俺に向けてきた。
――まぁ、さすがにこんな状態の女の子を放り出してはおけないよな。
まずは風呂でも入って身体を温めてもらって、信頼関係を作ってから、ゆっくりと訳を聞いてやろう。
そんな、なけなしの男としての勇気と、十代の戦場に置いてきてしまった優しさの残滓を振り絞って、俺は彼女に語りかけてみた。
「――うちで待つか?」
俺の差し出した傘の下で、コーデリア某は震える肩を抱きしめながら、弱々しく、小さく頷いた。




