第16話 休日の再開
それから数日後のこと――。
「たのもぉぉぉぉう!」
我が家の可哀想な玄関のドアが、またしても蝶番ごと蹴り破られそうな勢いで開け放たれた。
午後のリビングでまったりとお茶を啜っていた俺は、危うく口に含んでいたものを盛大にぶちまけそうになった。
「な、何でお前がまた来るんだよ! とっくに問題の任務は済んだだろうが!」
俺は慌てて口元を拭いながら、最悪の既視感とともに現れた闖入者――女騎士コーデリア・アシュクロフトを思い切り指差して問いかけた。
「フッ、水くさいぞ、ユーリ! 『いつでも飯を食いに遊びに来い、何日でも温泉付きでタダで泊めてやる』と言ったのは、他ならぬお前ではないか! 幸いにして、先日の戦いで被害に遭った集落の復興作業もひと段落ついたし、明日は久々の非番なのだ!」
「俺は『どうしても作戦後に心が苦しくなったら来てもいい』って、部下を初めて死なせるかもしれないお前を120%親切心で気遣って言ってやったんだ! だいたい、あのリベンジ戦は小隊の死者ゼロレコードが更新されて誰も死んでねえだろ! 前後関係を都合よく無視して、無料お泊まりプランのところだけ美味しくつまみ食いすんじゃねえ!」
心を痛める要素なんてどこにも残っていないはずなのだが、コーデリはちっとも悪びれる様子もなく、白銀の甲冑を鳴らして胸を張った。
「む、しかしだな! 私はまだ、伝説の大賢者様と直接お目通りが叶っていないからな! 今回の戦いは弟子であるお前のアドバイスのおかげで上手くいったが、私の未熟な戦術指揮について、今度こそ本物の大賢者様にご相談し、正しい道にお導きいただかねばならんのだ。――して、大賢者様はご在宅か?」
ご在宅です。あなたの目の前でルームウェアでお茶を啜っているのがその本人です、とか今さらゲロっても色々と面倒なことになるだけなので、俺は死んだ魚の目をして適当に流すことにした。
「あ~、はいはい。まだ師匠は出張から帰ってないよ」
「そうか~! それは実に残念だな!」
コーデリアは、一ミリも残念そうではない満面の晴れやかな笑顔でいけしゃあしゃあとのたまいやがった。
「だが、今日はもうすぐ日が暮れる時間だし、女の子が一人で夜道を帰るのは大変危険だと思わないか? 仕方がない。せめて明日までここで大賢者様のお帰りを待たせてもらうとしよう! 着替え一式はしっかり持ってきたから、私の夜着の心配はしなくていいぞ!」
お前と夜道でバッタリ遭遇したなら、可哀想な野盗やモンスターの側が命の危険を感じて神に祈りを捧げるべきだと思うぞ。
「それと、これは土産だ。人の家にお世話になるのに、手ぶらではいくら何でも社会人としての礼節に反するからな」
そう言って、彼女は王都のちょっといい酒屋で買ってきたらしい、お高そうなワインを赤白各一本、誇らしげに手渡してきた。アポなしで押し掛けておいて強引に「泊めろ」とホザく時点で十分に無礼な寄生虫なのだが、まぁ、ワインに免じてそこは不問にしてやろう。
彼女は勝手知ったる足取りで荷物を来客用の寝室へと放り込むと、最初からそのつもりだったらしく、お泊まりセットを取り出してリビングへ戻ってきた。
「それで、ユーリ。温泉は? 温泉はもう入れるのか?」
俺は今日の昼間、風呂場のお湯を念のために抜いておかなかったことを激しく後悔した。だが、我が家の誇る源泉掛け流し露天風呂は、若き成功者(FIRE)の特権として二十四時間三百六十五日、常時スタンバイOK状態だ。
子供のように目をキラキラと輝かせているコディを見ているとそれ以上は何も言えず、俺は無言で清潔なバスタオルを彼女の顔面に投げつけた。コーデリアは嬉しそうに鼻歌を交じらせながら、脱衣所へとすっ飛んでいった。
___さてさて。急にやってきた大喰らいの戦鬼に、今夜は一体何を食わせたものか。
特にこれといった豪華な食材の仕込みはしていない。だが、せっかく上質なワインを持ってきてくれたのだから、何か簡単に作れてワインの風味と最高に引き立て合うものは……ワイン?
――。ピンときた俺は、台所の奥から黒い深鍋と卓上用の炭入れを取り出し、リビングのテーブルへセットした。
村の畑の畑で採れたネギや根菜、そしていただきものの腸詰めや塩漬け豚肉を一口大のサイコロ状にカットし、あらかじめ軽く茹でてザルに上げる。パンも同様に、一口大の四角形にカット。鉄串を何本か用意し、炭火を赤々と熾しておいた。
程なくして、コーデリアがバスタオルでワシワシと金髪を拭きながら、温泉成分でホコホコに上気した顔で風呂から上がってきた。
「む? 初めて見る道具だな。ユーリ、何だこれは?」
「――とある山岳地方の伝統料理だよ」
元々は、冬の寒さが極めて厳しい豪雪地域の冬越し料理だ。
食糧事情が良い王都のそこそこ裕福な家庭で育ったらしいエリートのコーデリアは、見たことがないかも知れない。
俺は鍋の中に、この温泉村で生産された安い辛口の白ワインをトトト……と浸し、卓上の炭火で温め、適当にカットしたカチカチのハードチーズをどんどん放り込んでいく。
熱を帯び、みるみるうちにトロトロと溶けていく濃厚なチーズ。それを白ワインの酸味でなめらかに溶いていき、完全に混ざり合って美しい黄金のソースになったところで、炭火の空気穴を絞って火力を最小限に安定させた。
「さあ、お待たせ。食べようぜ」
コーデリアは大人しく席に着いたものの、この未知の郷土料理をどういう手順で食せばいいのか全く見当がつかないらしく、鉄串を両手で構えたまま、彫刻のようにカチコチに硬直している。
俺は食べ方のお手本を見せるべく、まずはサイコロ状の硬いパンを串の先へと刺し、鍋の中の溶けたチーズの海にたっぷり浸して、スッと引き上げた。
とろ〜りとした美しい糸を引くチーズが絡んだそれを、少しだけ「ふー、ふー」と冷ましてから一気に口の中に放り込む。
「熱っ……! ――ん、美味い!」
あつあつの濃厚なチーズの暴力に、口の中の粘膜を火傷しそうになりながら、俺はすかさず、隣に置いてあった冷えたエールをググッと喉に流し込んだ。
美味い。これだけでも犯罪的に美味いのだが……。
俺の動きを完璧に真似して、今度は自分自身でチーズコーティングされたらホクホクのジャガイモを「ホフ、ホフ」とハフつきながら口へ運び、すかさずエールを流し込んだコーデリア。
彼女は目を閉じてその絶品な余韻を五感で楽しんでいたが、次第に、何やら納得がいかないといった風に、その綺麗な眉根を険しくしかめっ面へと歪めていき――。
「――おのれユーリ! これは、絶対にエールではなく、さっきのワインの方が120%合うやつではないか!! 二杯目は白だ! 私は先に行かせてもらうぞ!」
そう叫ぶや否や、残っていたジョッキのエールを豪快に一気に飲み干した。
俺は思わず苦笑しながらも、彼女が王都から持ってきたあの白ワインのボトルを、例の『気化熱冷却魔法』で一瞬にしてキンキンに急速冷却してやる。そしてコルクを抜き、透明なグラスにトトト……と注いでやった。
一応、王都の専門店で買った高いワインだと自覚しているのか、コーデリアはグラスの足をそっと指先で持ち、軽く円を描くように揺らして、ちょっとだけ香りを嗅ぐような仕草(ワイン通の真似事)を見せた。
そして一口、重々しく口に含んで「むう……これだな」などと分かったような偉そうなことを宣うと、今度はチーズをたっぷりとまとわせた丸いキノコを頬張り、その白ワインをグイッと煽った。
「――くはぁ~~っ! たまらん!!」
わずか三秒でワイン通の気取った真似事は完全崩壊し、いつもの大喰らいの調子に戻った彼女は、鍋を満たすチーズの海とワイングラスの間を、マッハの速度で忙しく往復し始めた。
王都から持ってきたお土産のワインはなかなか上質なものだったが、胃袋にブラックホールを内蔵している彼女のペースの前には無力であり、二本のボトルはあっという間に空っぽになった。仕方がないので、俺は食料庫からいつもの安価なこの村産のワインを追加で持ってきてやる。
「ふふん! やはりな、このチーズを溶かすベースに使ったワインと同じ銘柄だからこそ、口の中での調和は最高だな!」
などと、それっぽい高度な専門知識をドヤ顔で語っているが……これだけ加熱して濃厚なチーズの油分と混ざり合って一体化した時点で、元のワインの繊細な個性なんてぶっちゃけあまり関係ない気がする。実際、この料理が供される地域では、長年樽熟成された高級ワインを使うことはまずないらしい。
とは言え、せっかく上機嫌で美味そうに食べている彼女にそんな野暮なツッコミを入れるつもりもなく、二人の温泉村の夜は、パチパチと爆ぜる炭火の音とともに楽しく更けていった。




