第10話 騎士隊長の交渉術
少しの間、じっと床を見つめていたコーデリアは、やがて何かを閃いたように顎に手を当てて考え込む素振りを見せた。
今更そんな深刻そうな顔をして必死に考えたところで、こいつの頭の中の筋肉が今すぐ前頭葉へと劇的に成長するわけではないと思うが。
案の定、彼女はわずか数秒で『考えること』を完全に放棄し、パッと顔を上げて俺の方へと真っ直ぐに向き直った。
「ユーリ。お前、一昨日から聞いていれば、ずいぶんと結構な戦術論をサラリと語るな。……もしや、お前自身に『用兵術』のたしなみがあるのではないか?」
「……まぁ、羽扇を片手にたった一言で十万の大軍を手のひらで転がしたとかいう、古の伝説の大軍師様たちと比較できるレベルじゃないけどな。中隊・大隊規模の局地的な用兵術くらいなら、一通り学んだことはあるよ」
付け加えるなら、かつて勇者パーティーの戦術後衛として、魔王軍の軍団長たちを相手に全体の完璧なラインコントロールをしていたのはこの俺だ。モンスター相手の小集団の作戦指揮であれば、世界中の誰よりも完璧にやり遂げる自信がないわけでもない。
「魔術は!? 『大賢者様の愛弟子』であれば、お前自身もそこそこ強力な魔法を使えるのではないか?」
「う〜ん、まあ……中級クラスの攻撃魔術くらいなら、一応は、な……」
どうにも雲行きが本格的に怪しくなってきた。なんだか、この脳筋女騎士の頭の中で、俺自身が『即戦力の駒』として勝手に盤面に組み込まれ始めている気がする。俺は細心の注意を払い、生存本能に従って極めて控えめに、無能を装って答えておいた。
本当は上級魔法はおろか、古代の文献に封印されし戦略級の大規模破壊魔法まで使用できるのだが、そんなもんを集落の奪還戦なんかに一発でも使ったら、モンスター諸共、救うべき集落ごとこの世界から完全に消滅してしまう。
「だったら――どうだろう! 我が第七十四小隊の『臨時参謀』として、今度の戦いに直接お前の力を貸してはもらえないだろうか!?」
やっぱりその結論かよ!!
俺は内心で盛大に舌打ちをしつつ、引きこもり(FIRE)のプライドをかけて、きっぱりと冷酷に断ってやった。
「悪いけど断る。俺にはこの国境の砦を二十四時間死守するっていう、国家から委託された重要な警備任務があるんだ。ここを長期で空けることだけは絶対にできないよ」
本当は、この家から多少離れたとしても、魔族襲来の結界警報をリアルタイムで遠隔通知してくれる超便利な通信水晶石をポケットに入れているので、何かあればすぐに近くの街の駐屯地へ念話で連絡すればシステム的には何の問題もないのだが。俺はこれ以上ないほど「断腸の思いです」といった風な苦渋の表情(※大嘘の演技)を作ってみせた。
「そこならば、我が小隊の最も優秀な斥候兵を一人、お前の代わりにここに代理の監視員として割り当てる! それで手を打ってくれ! ダメか!?」
思った以上に必死に食い下がってくる。
というか、結界の自動アラートシステムさえ正常に機能していれば、技能的にはただの一般人である俺が引きこもっているよりも、軍のプロの斥候兵が常駐してくれた方が、監視員としては遥かに優秀なのは言うまでもない。ロジックの逃げ道がどんどん塞がれていく。
万策尽きた俺は、最終手段として、単に「薄情で冷徹な利己主義の人間」を装って彼女の心を折ることにした。
「悪いがコーデリア、俺はただの一般の民間人なんだよ。戦場に安全な場所なんてどこにもない。――出会ってたった十日かそこらの君のために、俺が命の危険を冒してまで戦場へ赴く義理なんて、どこにもないね」
これ以上ないほど冷たく、突き放すように言い放った。
――だが、不思議なことに。そのセリフを口にした瞬間、なぜか俺の胸の奥が、ズキリと、酷く嫌な形に痛んだのだ。
(……チッ、俺は一体何を考えているんだ。引きこもり生活の平穏を守るのが最優先だろ)
「……そうか。そうだな。お前の言う通りだ……分かった、すまない」
力なく肩を落とし、世界のすべてに絶望したかのような彼女の寂しそうな表情を見て、俺の胸は再び、さっきよりも余計にズキズキと激しく痛んだ。
「……まぁ、悪く思うなよ」
ハハ、と気まずい沈黙を破るために、俺がどうにか乾いた笑みを作った、その瞬間。
「――ああ。悪くは思わんさ、ユーリ」
そう言ったコーデリアの右手が、残像すら残さぬ恐るべきトップスピードで、俺のパジャマの隙間――無防備な鳩尾へと深く突き込まれた。
それは、王国の精鋭騎士団の小隊長たる彼女が放った、一撃必殺の当て身。
「がはっ!? ――あ……」
肺の中の酸素が全量が爆発したかのように一瞬で吹き飛び、俺の意識は、なす術もなく急速に深い闇の底へと真っ直ぐに落ちていく。
――クソが、あの……脳筋女……っ!!!
俺は、俺を見る彼女の眼差しが、もはや悩める乙女などではなく、あらゆる手段を尽くして勝利を掴み取らんとする戦士のそれに変わっていることに気づかなかった自分のマヌケさを呪いつつ意識を失った。
――目が覚めた時、視界に飛び込んできたのは、見慣れた我が家の温かみのある木造の天井ではなかった。
緑がかった、分厚い布の質感。これはおそらく、天幕だな。
それも、冒険者が野宿で使うような携行性に優れたキャンプ用の薄っぺらいやつじゃない。
生地が極めて分厚く、耐久性と実用性のみを極限まで追求した、ヘビーデューティーな造り。――そう、例えば王国軍の戦地において使用される、本物の『軍用天幕』の天井だ。
「……う、頭が……」
鈍い痛みを覚える鳩尾を抑え、俺が軍用の簡易ベッドからノロノロと体を起こすと、丁度そのタイミングを見計らったかのように、天幕の入り口の布が跳ね上げられ、一人の人物が入ってきた。
我が家で着ていたあのダボダボの締まりのないルームウェア姿ではない。
初対面の時と全く同じ、眩い朝日を反射して鈍く輝く、白銀のプレートアーマーを全身に完全装備した、威風堂々たる王国騎士の姿。
「おお、目が覚めたかユーリ! 案外タフなのだな! というわけで、今度のリベンジ戦、何卒よろしく頼むぞ――我が小隊の、新参の『ユーリ参謀殿』?」
コーデリアは、何事もなかったかのように爽やかな満面の笑顔で、パチパチと拍手しながら言いやがった。
「何が『よろしく頼む』だ!! この極悪非道の拉致監禁誘拐犯めァァァッ!!!」
俺が自宅のベッドから寝巻きのままやられたことは、紛れもない国家犯罪たる強制拉致。しかも、今から戦場に引きずり回されるという『強制労働』の最悪なおまけ付きだ。
「私には、もう本当に時間がないんだ……」
俺の怒号を真っ正面から受け止め、コーデリアは先程までの笑顔をスッと消し、腰の大剣を鳴らして、俺の前にその場に直立不動で立ち尽くした。
「大賢者様にお会いして智慧を授かることができない以上……。もう今の私には、お前しか頼れる相手がいないのだ」
彼女はそう絞り出すように言うと、誇り高き王国騎士のプライドをすべてドブに捨てて、寝巻き姿の怪しげな引きこもりの俺に対して、深々と、直角に頭を下げて涙ながらに懇願したのだ。
「お前の身の安全だけは、この私が、我が命に代えても絶対に戦場で守り抜いてみせる。……だからお願いだ、ユーリ。私に、我が第七十四小隊に……お前のその、智慧の力を貸してくれ……っ!」
天幕の中に響き渡った、コーデリアの血を吐くような必死の声。
そのあまりにも不器用で、どこまでも部下想いな金髪騎士の本気の覚悟を前にして――。
俺は小さく大きなため息をつき、それ以上、彼女を拒絶する言葉を紡ぐことだけは、どうしてもできなかった。
かくして。
大賢者ユリウス(※本物)は、強制的な実力行使によって『第七十四小隊の臨時参謀』へと就任させられ、魔物どもの立てこもる最前線へと、文字通り引きずり出されることになったのである。




