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乙女ゲームに転生した冷静生徒会副会長のヒロイン観察日記  作者: 高天原ヒロ


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第八話 誰も犠牲にしない選択

「や、やったーーっ! 赤点回避! 補習なしですっ!!」


放課後の生徒会室に、ヒマリの弾けたような歓声が響き渡った。

手に掲げられたテスト用紙には、赤点ラインをわずかに数点上回る、努力の結晶が刻まれている。


「……って。確かに赤点回避だけど……平均点マイナス二点だぞ! ギリギリじゃねーか。」

呆れたように溜息をつきつつも、凌の口元は心底安心したように緩んでいた。

ツンとした態度とは裏腹に、胸を撫で下ろしているのは丸わかりだ。


「でも! ギリギリでも回避は回避です! 先輩たちが放課後付き合って教えてくれたおかげです! ありがとうございました!」

「っ……べ、別に。俺は生徒会長として、欠点者を出したくなかっただけだからな。」


その様子を、ソノ、斗真、環季が微笑ましく見守る。

「ふふ。ヒマリちゃん、本当によかったね。これで心置きなく夏休みが迎えられるね!」

「ほんまやで! ヒマリが補習になったら、うちの生徒会の看板娘が不在で、盛り上がらんようになるとこやったわ〜。」

環季もおちゃらけた調子でヒマリの頭をガシガシと撫で、生徒会室は和やかな安堵の空気に包まれていた。


「よし、じゃあみんな今日はこれで解散! 明日からは夏休み明けの体育祭の準備に、早めに取りかかっていこう!」

凌の号令でメンバーたちが鞄をまとめ、次々と部屋を後にする。

ヒマリも「お疲れ様でした!」と元気よく挨拶して帰り支度をした。


「あれ? 環季先輩は帰らないんですか?」

「おー。俺はちょっとだけ会計の最終計算が残っとるから。書類まとめてから帰るわ。先帰ってて〜!」

ひらひらと手を振りヒマリを見送った環季は、一人生徒会室に残った。



夕暮れ時の生徒会室に、キーボードを叩く音と電卓の規則的な音が響いていた。

画面に並ぶ表計算ソフトの数字を前に、環季は額に滲む汗を拭うことも忘れて固まっていた。


「……嘘やろ。去年の予算を基準に組んだはずやのに……なんで、こんなに差が出とるんや……。」


体育祭まで、あと二ヶ月ほど。

各部活動への予算配分はすでに完了している。

今週はいよいよ、音響機器のレンタル、大型タープテントの補充、救護用品や競技用小道具など、本番に必要な物品の発注を確定させる手筈(てはず)になっていた。


環季は、今年度の見積書と昨年度の会計資料を何度も見比べる。

今年度の予算案を組む際には、昨年度の実績を基準に、各項目に多少の余裕を持たせていた。

大きく予算を膨らませれば、その分だけ各部活動に回せる金額が減ってしまうからだ。

だからこそ、慎重に組んだつもりだった。

――けれど。


「音響機器が……去年より五万近く上がっとる。」

レンタル料金の改定。

「テントも……こっちは六万増えとるやん。」

資材価格の上昇に加え、昨年度まで学校が所有していた一部の備品が老朽化し、今年は新たにレンタルする必要が生じている。

さらに、救護用品や消耗品も軒並み値上がりしていた。

「……去年と同じ金額で計算したら、そら合わへんわ。」


環季は唇を噛んだ。

前年の資料をそのまま信じてしまった。

それ自体は、予算を組むうえで決して間違った判断ではなかった。

しかし、今年度は想定以上にレンタル費や備品価格が上昇していた。

そして――環季は、今年の実際の見積額をすべて反映した段階で、ようやくその差に気づいた。

電卓を叩く。


「……二十五万。」


画面に表示された不足額を見つめ、環季の表情が強張った。

体育祭関連で、約二十五万円が不足している。

生徒会に残された体育祭用の予備費は、わずか五万円程度。

つまり、どうやっても二十万円が足りない。


「……これ以上の予備費を使ったら、秋の文化祭の予算が吹っ飛ぶ……。」

環季は椅子の背にもたれ、深く息を吐いた。

これ以上の生徒会の予算は使えない。

各部活動の予算は、すでに決定済みだ。

ここから削るとなれば――。

「……俺のせいで、みんなの頑張りを削るってことやんか。」


環季は慌てて首を振った。

「いや……あかん。」

自分の判断で、誰かを犠牲にする。

それだけは、絶対にしたくなかった。

「俺のミスで……他人の予算を削り取るなんて、できるわけないやろ……。」


環季はもう一度、体育祭の予算表を見直した。

削れるものはないか。

大型タープテントは、今回は購入やなく借りる。

音響機器のレンタルも、必要最低限まで縮小する。

競技用の小道具も、代用品で済ませられるものを探す。

「これで……十万くらいは削れそうや。」

しかし画面の数字を更新しても、赤字は消えない。

残り十万円。


「……それでも、十万足りへん。」


電卓のボタンを叩く指が、ガタガタと震え始める。

その規則的な機械音は、いつしか環季の脳裏で、何年も昔の「あの音」へとすり替わっていった。



――パチ、パチ、カタ……。

暗い居間で、毎晩遅くまで電卓を叩いていた父親の背中。

中学生の頃、父の長年の知人が経営する会社が傾き、「一時的に名前を貸してほしい」と頼み込まれた。

父は「昔からの世話になった人やから」と笑って保証人になった。


数ヶ月後、知人の会社は倒産した。


数百万円に及ぶ返済の請求が家に届き、家の貯金は一気に減っていった。

母親はパートの時間を限界まで増やし、家族旅行はなくなった。

環季が欲しかったものも、何一つ買えなくなった。

それでも父親は、頭を下げて泣き詫びる知人を責めなかった。


「ええって。お前も大変やったんやろ。」

そう言って、いつものように笑っていた。

(ええって、じゃないやろ……!)


家族がどれだけ血の滲むような思いをしているか。

いい人だから損をする。

情に流された人間が、周囲の人間まで巻き込んで不幸になる。


『助けるんやったら、自分で最後まで責任取れる範囲にせえよ!』


あの夜、父親に言い放った言葉は、そのまま環季自身が生きていくための鎧となった。


「善意には限界を決める」

「人の問題には首を突っ込まない」

「金に関してだけは、一切の情を挟まない」


父親と同じ失敗をしないために。

自分と、大切なものを守るために。

環季はシビアな防衛術を身につけたはずだった。

それなのに――。


「俺は……親父と同じようにはなりとうないのに……。」

環季の視線が、赤字の数字へ落ちる。

「自分の不始末で……誰かを犠牲にしようとしとる……。」

ぽとり、と大きな雫がキーボードの上に落ちた。

情けなくて、悔しくて、目元を固く拭う。

「親父は……こんな気持ちで、毎晩電卓叩いとったんかなぁ……。」


けれど、どれだけ計算し直しても、目の前の十万円という現実の壁は消えない。

「……俺が小遣い程度で埋められる額やない。」

環季は両手で頭を抱えた。

「一体……どうしたら……。」

絶望が部屋を支配しかけた、その時――。


バァンーーッ!!

勢いよく生徒会室の扉が開け放たれた。



「滝沢先輩っ!? まだ残ってたんですか!? ……って、あれ? 先輩……泣いてる?」


忘れ物を取りに来たヒマリが、環季の前に駆け寄った。

慌てて環季は涙を拭う。


「ヒマリ……? お前、なんで……?」

「私は忘れ物を取りに来て……って、それより滝沢先輩? ……何があったんですか!?」


環季は、ヒマリにすべてを話した。

今年度の見積もりが、昨年度の実績を大きく上回っていたこと。

前年の資料を基準に予算を組んでしまい、発注直前になって二十五万円もの不足が判明したこと。

自分の責任だからと、他の部活動の予算を削ることもできず、一人でどうにかしようとしていたこと。

そして――自分の家庭のことまで。


ヒマリにすべてを話すほど、今の環季は切羽詰まっていた。

もともと抱えてきた想いを、誰かに聞いてほしかったのかもしれない――。


ヒマリは、環季の話を黙って聞いていた。

誰の予算も削らず。

環季一人が背負うこともなく。

それでも、お金を生み出す方法――。


ヒマリはふと、机の隅に置かれていた新入生歓迎用の生徒会ロゴステッカーに目をやった。

「これだっ! ……滝沢先輩! クラウドファンディングと駅前で、この限定ステッカーを販売して支援を募るのはどうですか!?」


「……へ? クラファン……?」

環季は涙の滲む目を瞬かせた。

一瞬差した希望の光も、彼は即座に首を横に振る。

「……待て、ヒマリ。気持ちはめちゃくちゃ嬉しいけど、そんな甘い話やない。うちの校則じゃ不特定多数からの集金は固く禁止されとるし、駅前の街頭販売なんて、学校の許可だけやなく、場所によっては道路使用許可やら何やら手続きも必要になる。それにクラファンの振込は、数日後の発注期限には絶対間に合わへん……。」


「そっかぁ……。」

現実の壁を突きつけられ、ヒマリはしょんぼりと肩を落とした。


しかし――。

「でも!」

ヒマリは顔を上げた。

「誰かの予算を削ったり、滝沢先輩が一人で抱え込んだりしない方法……絶対にあります!」


ヒマリの瞳の奥に、熱意の火が灯った。

「校外がダメなら、校内や地元の商店街ならどうですか!? 体育祭のパンフレットに協賛広告枠を作って、お礼にステッカーも渡すんです! PTAやOB会に限定ステッカー付きの寄付を呼びかけたり……。それなら筋も通るし、期限にも間に合いませんか!?」


環季は息を呑んだ。

ヒマリの思いつきを現実の形へと噛み砕いた瞬間、一気に視界が開けていくのを感じた。

(そうや……! 学校を通した地域協賛なら、正式な手続きを踏める。顧問の先生に相談して、商店街やPTA、OB会に協力をお願いする形なら……!)


一人で背負う必要なんてない。

部活動の予算を削る必要もない。

誰かを犠牲にするのではなく――。

自分たちの知恵と、周囲との繋がりで、足りない分を少しずつ補う。

そんな「第三の道」が、確かにあった。


かつて父親が残した言葉が、ヒマリの笑顔と重なって胸の中に響いた。


『誰かを助けることが間違いなんやなくて、助ける方法を間違えただけかもしれん。』

(そうや……。親父……俺、見つけたで……!)


環季の目に、温かな涙が滲んだ。

「ヒマリ……お前は、ほんまに……すごいやつやなぁ……!」

「た、滝沢先輩……!?」

感極まった環季は、勢い任せにヒマリの肩を強く抱きしめた。

しかし次の瞬間、伝わってきたヒマリの体温にハッと我に返る。

(あ、あかん……! いくら感極まったからって……放課後の生徒会室で二人きり、女の子を抱きしめるとか何考えてるんや俺は……!?)


「っ!? すまんっ、つい……っ!」

弾かれたように腕を解き、真っ赤になった顔を慌てて背けて激しく咳払いをする。

ヒマリも突然のことに目を丸くし、少し顔を赤らめながらも照れくさそうに唇を尖らせた。

「ふ、不意打ちですよ、もう……!」


甘酸っぱい気まずさを振り払うように、環季はパンッと自分の頬を叩き、力強く微笑んだ。

「よし! 明日速攻で凌たち集めて作戦会議して、地域協賛とPTAへの協力要請を盛り込んだ完璧な企画書、徹夜で仕上げたる! 怒られるのは覚悟の上や! それでも……俺たちの手で、絶対体育祭を成功させようや!」

「はいっ!」


夕闇が迫る生徒会室に、二人の弾けるような声が重なった。

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