第九話 みんなで勝ち取る体育祭
翌朝、始業前の生徒会室は、ただならぬ緊迫感に包まれていた。
「……はぁ!? 体育祭の不足金が二十五万!?」
凌の怒号に近い大声が、朝日が差し込む部屋に響き渡る。
デスクの上には、環季が昨夜ほとんど眠らずに書き上げた分厚い企画書と、綿密に見直された修正予算案が並べられていた。
「すまん……完全に俺のミスや。どんな処罰でも受ける」
深く頭を下げる環季。
ツンとした表情を崩さない凌だったが、その瞳に浮かんでいるのは怒りよりも、明らかな動揺だった。
「責めてる場合じゃねえだろ……! 音響とテントの発注期日は今週末だぞ。他部署の予算を削るにしても、今からじゃ各部活動との交渉で大揉めになる……!」
「他部署の予算は、絶対に削らせへん。」
環季はまっすぐ凌を見つめ返し、力強く言った。
「大型テントの購入を取りやめてレンタルに切り替えて、音響の規模も見直した。予備費の五万と合わせて、自力で十五万までは削り出した。……けど、どれだけ計算し直しても、あと十万……どうしても届かへんのや。」
「その残り十万円、誰の予算も削らずに生み出します!」
沈黙を破ったのは、ヒマリだった。
力強く拳を握りしめ、凌の前に立つ。
「地元の商店街へ協賛広告の募集枠を作って一口五千円で募るのと同時に、PTAやOB会へ緊急の寄付呼びかけを行います! 協力のお礼に、生徒会限定ステッカーをお渡しします! これなら集金ルールにも引っかからず、期日までに残りの十万円を確保できるはずです!」
「地域協賛とPTA協力……?」
斗真とソノが身を乗り出し、企画書を覗き込む。
「なるほど……。街頭募金やクラファンじゃ校則違反で一発アウトですけど、パンフレットの広告枠やPTA経由なら『学校公式の事業』として筋が通る。……十五万を自力で削り切った上で、残りの十万を集める具体的な現実案……。環季くん、これ本当に一晩で一人で作ったんですか?」
ソノが、この企画書の完成度に目を見開く。
「アイデアを出してくれたのはヒマリや。俺はそれを、うちの学校の規約に合わせて落とし込んだだけや。」
「……っていうか、そもそも顧問のババアは最終決裁のとき書類のどこ見て判子押してんだよ。大人のチェック漏れもあるだろ、これ。」
凌は苦々しく吐き捨てつつも、企画書を繰る手を止めない。
斗真が優しく微笑みながら、そんな凌の顔を覗き込む。
「ふふ。怒られるのは覚悟の上だよね。顧問の先生を説得して校長裁可をもらうなら、生徒会長である凌くんの力が絶対に必要だよ。」
凌は企画書をじっと見つめ、大きく息を吐き出した。
そして――どこか嬉しそうに、口元を緩める。
「……フン、言うのは簡単だけどな。雷を落とされる覚悟は決めた。さて、あの偏屈ババアを納得させる企画書に仕上げて、正式な許可をもぎ取るぞ。」
◇
「見積もりのミスで二十五万!? あなたたち、何考えてるの!!」
教務室に、顧問の亀山先生の鋭い怒声が響き渡った。
叩きつけられた書類が、デスクの上でパサッと揺れる。
「弁解の余地もありません。ですが――。」
凌が一歩踏み出し、まっすぐに顧問を見据えた。
「会計の滝沢が自力で十五万円分の減額案を出しました。残り十万円は、この『地域協賛広告企画』で俺たちが責任を持って集めます。生徒たちの努力を、予算不足で無駄にしたくありません!」
「ダメです。前例がありませんし、そもそも見積もりの甘さを――。」
亀山先生が不許可を言いかけた、その時。
奥の校長室から、穏やかな声が響いた。
「まあ待ちなさい、亀山先生。」
白髪の校長先生がゆっくりと歩み寄り、企画書を手に取る。
「ミスは反省すべきですが……最終承認の書類に印を押したのは、我々大人でもあります。我々大人の見落としを棚に上げて、彼らの努力を頭ごなしに否定するのは違うと思いますよ?」
「校長先生……。」
校長は環季たちが作った書類に優しく目を落とすと、フッと目を細めた。
「責任の取り方として、逃げずに自分たちの足で補填案を出してきた。見事な企画書です。……亀山先生、残り四日――今週の金曜の夕方五時まで猶予を与えてはどうでしょう?」
亀山先生は悔しそうに眼鏡を掛け直すと、ハァと大きな息を吐いた。
「……校長先生がそうおっしゃるなら。今週の金曜の五時までに、協賛金十万円の正式な契約を取り付けてくるように。できなければ、体育祭は大幅な縮小か……最悪中止です!」
「「ありがとうございます!!」」
◇
放課後、生徒会メンバーは手分けして街へ飛び出した。
環季とヒマリはペアになり、地元の商店街の扉を叩く。
だが、現実は甘くない。
「急に言われてもねぇ。」
「高校のイベントにお金は出せないよ。」
何件も門前払いを喰らううちに、ヒマリの肩は徐々に落ちていった。
「ごめんなさい、滝沢先輩……私、簡単に考えてました……。」
「アホ、謝るな。次行くで、ヒマリ!」
諦めずに飛び込んだ、創業数十年の和菓子屋でも――。
頑固そうな老店主は、
「うちはそういうのやってないから。」
と、あっさり手を振った。
その時。
頭を下げたヒマリのポケットから、新入生歓迎会の生徒会限定ステッカーがポロリと床に落ちた。
「あ、すみません……!」
慌てて拾おうとしたヒマリの手を、店主の驚いた声が止める。
「……待ちな、お嬢ちゃん。そのステッカー、生徒会のか?」
「え? あ、はい! 新入生歓迎会で作ったロゴステッカーで……。」
「……あいつが嬉しそうに見せてくれたやつと同じだ。」
店主は目元を緩め、ぽりぽりと頬を掻いた。
「今年の春に入学したうちの孫がな、『憧れの生徒会のステッカー貰えた!』って宝物みたいに部屋に飾っとるんだよ。……そうか、君たちはあの生徒会の子たちか。」
店主は、すり減った二人の靴底と、真っ直ぐな瞳を交互に見つめる。
そして――豪快に笑った。
「いいよ、一口乗った! 孫に『おじいちゃんの店の名前が載ってるぞ』って自慢してやるから、一番目立つところに載せときな!」
その一軒を皮切りに、店主は顔なじみの店主たちにも二人の話を伝えてくれた。
二人の熱意は、商店街の口コミとなって少しずつ広がっていった。
PTAを回っていたソノと凌、OBや地域の知り合いを当たっていた斗真の成果も、そこへ合流していく。
そして――運命の金曜、午後四時五十分。
「亀山先生! 十万円分、ぴったり集めました!!」
職員室に駆け込んだ五人が差し出したのは、二十件に及ぶ協賛契約書と領収書の控えだった。
亀山先生は一瞬目を見開いた。
やがて、くっと可笑しそうに口元を緩めると、朱肉を付けた判子を申請書へ力強く押し付けた。
「……よく頑張ったわね。合格よ! 今すぐ発注をかけてらっしゃい。」
「「やったぁーーーーっ!!」」
歓声が職員室を突き抜ける。
抱き合って大喜びするメンバーの中で、夕陽を浴びる環季は、そっと胸に手を当てた。
かつて暗い居間で、毎晩絶望に震えながら電卓を叩いていた父親の背中。
あの日、自分の中に芽生えた――。
「誰も信用しない」という冷たい鎧が、温かな仲間たちの笑顔と、自分たちの力で勝ち取った結果によって、綺麗に溶けていくのを感じていた。
その時――ふと、ヒマリと目が合った。
夕陽を浴びながら、
「やりましたね、滝沢先輩!」
と、眩しいほどの満面の笑みを向けてくる。
その笑顔を見た瞬間――
昨夜、思わず抱きしめてしまったときの温もりや、照れた顔が不意に脳裏をよぎった。
助けられた感謝。
後輩としての可愛さ。
――それだけではない。
胸の奥が、理由もなく熱くなる。
自分のことのように純粋に喜んでくれているその笑顔から、環季はしばらく目を離すことができなかった。




