第十五話 体育祭編〜知らなかった君の顔
午後。
午前中から続いていた競技も、いよいよ終盤へと差しかかっていた。
秋晴れの空はどこまでも高く、グラウンドには絶え間なく歓声が響いている。
夏休みの間、生徒会が何度も話し合い、準備を重ねてきた体育祭。
その一日も、残すところあとわずかだった。
「次は、三年生女子によるチアダンスです!」
放送が響く。
観客席から、ひときわ大きな歓声が上がった。
「チアダンス?」
ヒマリが顔を上げる。
「そういえば、三年生の種目にありましたね!」
「……ええ。」
隣にいたソノが頷いた。
「私も出ます。」
「えっ!?」
思わず声を上げたヒマリに、ソノは少しだけ首を傾げる。
「何か?」
「ソノ先輩も踊るんですか!?」
「一応、三年生なので。」
あまりにも淡々とした返答。
ヒマリは思わず笑った。
「なんだか意外です!」
「……そうですか?」
「はい! ソノ先輩、こういうの苦手そうなイメージが……」
そこまで言って、ヒマリは慌てて口を閉じた。
「す、すみません!」
「いえ。よく言われますし、実際去年は恥ずかしくて散々でしたから……。」
ソノは小さく笑った。
その表情は、いつもの控えめなものだった。
「では、行ってきます。」
「はい! 頑張ってください!」
ソノは軽く手を振り、三年生の列へと向かっていった。
ヒマリはその背中を見送る。
そして――。
音楽が鳴り始めた。
軽快なリズムに合わせ、三年生女子たちが一斉に動き出す。
「わぁ……!」
ヒマリの目が輝いた。
華やかな衣装。
揃った動き。
弾むようなステップ。
そして、その中央付近に――ソノがいた。
「……え?」
ヒマリは思わず瞬きをした。
さっきまでそこにいたソノとは、まるで別人だった。
身体を大きく使い、鋭く腕を振る。
一つ一つの動きに迷いがない。
ターンの瞬間には長い髪がふわりと舞い、次の瞬間には、きりっと前を見据える。
普段の控えめな姿からは想像もつかないほど、動きに芯があった。
「……ソノ先輩、すご……。」
思わず声が漏れる。
隣にいた凌も、驚きを隠せない。
「あいつ……。去年は恥ずかしがって全然踊れてなかったのに……。」
環季も目を丸くしている。
「……あのソノ先輩が、あんな動きできるんか?」
良樹は、ただ純粋に感嘆の声を漏らした。
「すごい……綺麗だ!」
誰もが、同じことを思っていた。
――ソノ先輩って、あんな顔するんだ。
いつも冷静で、どこか一歩引いたところから、みんなを見守っている。
そんなソノが、今は誰よりも堂々と自信を持って踊っている。
曲が盛り上がる。
ソノは大きく跳び、身体をひねる。
その所作一つ一つが美しい。
曲が終わり、最後のポーズを決めたソノに、会場から割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。
「ソノ先輩ー!!」
「すげぇ!」
「副会長、カッコいいー――!!」
ヒマリも夢中で手を叩いた。
「ソノ先輩ー! すっごくカッコよかったです!!」
競技を終えて戻ってきたソノへ、ヒマリが駆け寄る。
「……ありがとうございます。」
少し息を切らしながら、ソノが微笑む。
「でも、そんなに大したものでは――」
「大したものです!」
ヒマリは即答した。
「私、ソノ先輩のこと、もっと尊敬しちゃいました!」
その声を聞いて、ソノは一瞬だけ驚いたように目を見開いた。
けれどすぐに、ふっと嬉しそうに笑った。
「……そう言ってもらえるなら、踊った甲斐がありましたね。」
その横で、凌がぼそりと呟く。
「……俺、あんなソノ、初めて見た。去年は全然踊れてなかったのに……知らないところで努力してたんだな。」
「せやなぁ。」
環季も腕を組んで頷く。
「凄すぎて、思わず見惚れてもうたわ。」
「僕もびっくりしました!」
良樹まで素直に続ける。
「ソノ先輩、すごく綺麗です!」
「……皆さん。ありがとうございます。でも――」
ソノは頬を赤らめながら少し困ったように笑った。
「こういうの、慣れてないので……そんなに見ないでください。」
その言葉に、三人が固まって顔を見合わせた。
「えっ……一体どうした!? あの無愛想なソノが照れて赤面なんて……!」
「普段とのギャップ、エグッ!! 不覚にもちょっとときめいてもうたんやけど!?」
「ソノ先輩って……こんなに可愛い人だったんだ。」
普段見せないソノの姿に、凌、環季、良樹は内心パニックに陥っていた。
◇
午後の空気が、再び変わった。
「続いては――三年生男子による応援演舞です!」
放送が響くと同時に、観客席の熱気が一段と跳ね上がった。
素肌の上に長ランを羽織り、頭に鉢巻を締めた斗真が入場門へ向かう。
「ヒマリちゃん。僕、頑張るから……見ててね?」
いつもの柔らかい笑み。けれど、その瞳の奥には静かな覚悟が宿っていた。
「……はい!」
グラウンドの中央。
整然と並ぶ三年生男子の先頭に、斗真が立つ。
風が吹き抜け、白い鉢巻が強くたなびいた。
ドン―――ッ!!
腹の底を揺さぶる太鼓の重低音。
それを合図に、斗真が一歩を踏み出す。
「三年――いくぞォォォォォォォ――ッ!!」
咆哮が空を切り裂く。
地鳴りのような叫びが会場を呑み込み、ざわめきを一瞬で静まり返らせた。
一糸乱れぬ踏み込みが大地を鳴らす。
旋風を切る黒い袖。
砂塵を巻き上げ、汗を撒き散らしながら、斗真は一心不乱に声を張り上げる。
「顔を上げろォォォォ――ッ!!」
圧倒的な熱量。
ヒマリは息を呑み、金縛りに遭ったようにその姿から目を離せない。
「迷うなァァ――ッ! 立ち止まるなァァ――ッ!」
斗真が固く拳を握り締め、胸の奥を突き刺すように叫ぶ。
「自分が決めた道ならァァ――!! 最後まで、自分を信じろォォォォ――ッ!!」
――っ。
その瞬間、ヒマリの胸の奥で何かが弾けた。
言葉が、理由を飛び越えてダイレクトに心へ雪崩れ込んでくる。
熱いものが視界を覆い、涙が頬を伝った。
「三年、最後までいくぞォォォォ――ッ!!」
全員の声が重なり、秋晴れの青空へと突き刺さる。
大地が震え、空間そのものが熱狂に包まれる。
そして――。
ドン――――ッ!!
最後の太鼓が鳴り響き、訪れる一瞬の静寂。
直後、爆発的な歓声と拍手がグラウンドを埋め尽くした。
「ワァァァァァァ――――!!!!」
激しく肩で息をしながら、斗真がゆっくりと顔を上げる。
観客席を見渡し、まっすぐにヒマリと視線を交わした。
涙を拭うヒマリを見て、斗真の瞳が一瞬だけ揺れる。けれどすぐに、汗に濡れた顔で、心底愛おしそうに目を細めた。
◇
「……水川先輩、ずるいです。あんなの……泣いちゃいますよ。」
本部席に戻ってきた斗真に、ヒマリが駆け寄る。
声を潰してしまい喋れない斗真は、喉を押さえながら苦笑いし、そっと右手でピースサインを作ってみせた。
ヒマリも涙を拭い、笑って同じようにピースを返す。
隣では、チアダンスを終えたソノが静かに佇んでいた。
「ソノ先輩も、水川先輩も……」
ヒマリは二人を交互に見つめ、まっすぐに微笑む。
「私、今日でもっとお二人のことが好きになりました。普段見ている姿だけが、その人の全部じゃないんですね。」
格好よく舞うソノ。熱く叫ぶ斗真。
自分の知らない魅力が、まだまだ二人には隠されている。
「だから……もっと知りたいです。皆さんのこと。」
照れくさそうに笑うヒマリの言葉に、ソノは優しく目を細めた。
そして声を出せない斗真は、一瞬息を呑んだあと――胸が締めつけられるような、切なくも嬉しそうな笑顔を浮かべた。
秋晴れの空の下。
歓声は、まだグラウンドに響いている。
体育祭は、もうすぐ終わる。
けれど――。
今日、ヒマリが知った新しい顔。
今日、彼らが見せた新しい想い。
そして、まだ誰にも言葉になっていない気持ちは。
確かに少しずつ、動き始めていた。




