第十四話 体育祭編〜どんな自分が好き?
秋晴れの空の下、学園のグラウンドには朝から歓声が響き渡っていた。
夏休みの間、生徒会が中心となって準備を進めてきた体育祭が、ついに始まったのだ。
色とりどりの鉢巻きを身につけた生徒たちがグラウンドを駆け回り、その様子を保護者や在校生たちが見守っている。
朝から熱気に包まれた会場では、次々と競技が進められていた。
そして今、一年生による二人三脚が始まろうとしていた。
「……終わった。」
スタート地点の前で、ヒマリは肩を落とした。
本来なら、同じクラスの女子生徒と出場する予定だった。
しかし、その子が今朝になって発熱し、急遽欠席することになったのだ。
代走を申し出てくれたのは、同じクラスの良樹。
けれど、小柄なヒマリと一九〇センチ近い良樹では、歩幅があまりにも違う。
競技前に何度か合わせてみたものの、一歩目でずれ、二歩目には体勢を崩し、まともに走り出すことすらできなかった。
「大丈夫、ヒマちゃん。僕に任せて!」
落ち込むヒマリの頭に、良樹がぽんと手を乗せた。
「でも……さっき全然合わなかったし……。」
「だから、やり方を変えよう!」
良樹はそう言うと、ヒマリの腰を支えるように引き寄せた。
「きゃっ!?」
突然縮まった距離に、ヒマリの身体が固まる。
「身体が離れてると、それぞれの歩幅で走ろうとするからずれるんだ。だったら、身体の軸を合わせればいい。」
確かに、先ほどよりもずっと安定している。
「最初はヒマちゃんの歩幅に合わせて細かく走る。途中からタイミングを合わせてスキップするよ。」
「スキップ!? 二人三脚で!?」
「ぶっつけ本番だけどね。」
良樹はヒマリを見下ろし、迷いのない笑顔を浮かべた。
「できるよ、ヒマちゃん。僕を信じて。」
その真っ直ぐな瞳を見て、ヒマリは小さく息を吸った。
「……うん!」
(よっちゃんを信じよう!)
パァンッ!
号砲が鳴り響く。
「行くよ!」
「うんっ!」
二人は同時に地面を蹴った。
良樹はヒマリの歩幅に合わせ、細かく足を運ぶ。
さっきまでとは違う。
身体が支えられているからか、二人の足は驚くほど自然に揃っていた。
「いける……!」
「そのまま!」
良樹の声に合わせるうち、ヒマリの身体から余計な力が抜けていく。
「次、行くよ!」
「うん!」
「せーの!」
二人はタイミングを合わせて跳ねた。
足を揃え、リズムに乗って前へ進む。
最初はぎこちなかったものの、一度リズムを掴むと、その勢いは一気に増していった。
「あのペア、速いぞ!」
「追い上げてる!」
観客席から歓声が上がる。
ヒマリは必死だった。
それでも、不思議と怖くはない。
隣には良樹がいる。
彼が自分を支えてくれているから、自分はただ前を見て走ればいい。
「ヒマちゃん、あと少し!」
「はい!」
最後の力を振り絞り、二人は前を走るペアを抜き去った。
そして――白いゴールテープが、二人の胸元を同時に切る。
「一年生二人三脚、一位は一年A組!!」
アナウンスが響いた。
「……え?」
一瞬、ヒマリは自分たちが何を成し遂げたのか理解できなかった。
けれど、周囲から上がる歓声で、ようやく現実を理解する。
「勝ったの!?」
「やった!!」
二人は同時に声を上げた。
その瞬間だった。
「あっ!」
足が結ばれたままだということを忘れ、二人の身体が大きく傾く。
次の瞬間、芝生の上へともつれ込むように倒れ込んだ。
「痛たぁ……。」
仰向けになった良樹の上に、ヒマリが重なるように倒れている。
けれどヒマリは、自分の体勢に気づくより先に顔を上げた。
「勝っちゃった! よっちゃん! 本当に一位だよっ!?」
そんなヒマリを見上げながら、良樹は照れくさそうに笑った。
「ね? 言ったでしょ。」
「……?」
「大丈夫だって。」
良樹はヒマリの腰を支えていた腕を、ゆっくりと離した。
「ヒマちゃんが僕を信じてくれたから、勝てたんだ。」
「……っ」
その言葉に、ヒマリはようやく自分の体勢に気づいた。
良樹の上に乗っている。
しかも、かなり近い。
「わ、私……!?」
一気に顔が熱くなる。
「ご、ごめんなさい!」
慌てて飛び起きたヒマリを見て、良樹は楽しそうに笑った。
「ははっ! ヒマちゃん、大丈夫?」
「だ、大丈夫っ!」
勢いよく答えたものの、まったく大丈夫ではなかった。
腰にはまだ、良樹の腕の感触が残っている気がする。
そんな二人を、生徒会のメンバーたちは少し離れた場所から見守っていた。
「……はぁ?」
最初に声を上げたのは凌だった。
腕を組み、眉間に深い皺を刻んでいる。
「あいつら、何、公衆の面前で抱き合ってんだ?」
「転んだだけだと思いますよ?」
ソノが冷静に答える。
「結果的には、抱き合っていましたけど。」
「だろ!?」
その隣で、環季はグラウンドにいる二人を眺めながら、どこか楽しそうに笑った。
「……あちゃー。良樹に先越されてしもーたなぁ。」
そして、凌へ視線を向ける。
「凌。俺らも、うかうかしてられへんで?」
「お前まで何言ってんだよ!?」
「別にー?」
ソノから見れば、二人三脚ほど分かりやすい恋愛イベントはない。
協力して一つの目標を目指し、自然な理由で距離が縮まる。
しかも今回は、転倒まで加わった。
(良樹くん、一歩リードですね。)
ソノの視線は、凌と環季、そして少し離れた場所にいる斗真へと移った。
このまま黙って見ているとは、とても思えない。
その横で、カメラを構えていた斗真が静かにシャッターを切った。
広報担当として、今日一日の様子を記録するために。
――そう、自分に言い聞かせるように。
◇
「続いては、二年生による借り物競走です!」
アナウンスがグラウンドに響く。
スタート地点に立った凌は、深々とため息を吐いた。
「よりによって借り物競走かよ……。」
「何や。嫌そうやな。」
隣にいた環季が不思議そうに尋ねる。
「去年もやったからだよ。」
「去年?」
「……変なもん引いたんだよ。」
去年の体育祭で引いたお題を思い出し、凌は顔をしかめた。
「ま、前回よりはまともなもん引けるだろ――」
パァンッ!
号砲が鳴った。
二人は同時に走り出し、トラックの途中に置かれた箱から紙を一枚ずつ引き抜く。
そして――。
「……は?」
凌の足が止まった。
紙に書かれていた文字。
『気になる人』
「……去年に引き続き、またこれかよっ!?」
思わず叫んだ凌の隣で、環季も自分の紙を覗き込んだまま固まっていた。
「何や……これ。」
その声に、凌が振り返る。
「……お前、お題何だった?」
環季は無言で紙を見せた。
『気になる人』
「……。」
「……。」
二人は無言で見つめ合った。
「おい! 運営!! 一体、何枚同じ紙入れてんだよ!?」
凌が声を上げる横で、環季はお題を見つめていた。
普段なら、その辺にいる誰かを適当に連れて行き、笑い話にするところだ。
けれど、先ほど見た良樹とヒマリの姿が頭から離れなかった。
(今ここで素直にならんかったら……あとで絶対、後悔する。)
環季は頭を抱えている凌を一瞥すると、迷わず走り出した。
「ほな、俺は行くで?」
「は?」
「自分の気持ちを伝えられへん意気地なしは、指でも咥えて見とき。」
「はぁ!? おい、お前、待て!」
凌の声を背に、環季は一直線に走っていく。
その先にいるのは――。
「ヒマリ!」
競技を終えたヒマリだった。
「え?」
環季は迷いなく、彼女へ手を差し出した。
「悪いんやけど、一緒に走ってくれへん?」
「えっ、私ですか!?」
ヒマリが目を丸くした、その直後。
「ヒマリ!!」
反対側から凌が走ってくる。
「俺と来い!」
「えぇぇっ!?」
左右から差し出された二つの手。
ヒマリは完全に混乱した。
「ちょっと待ってください! どういうことですか!?」
「借り物競走だ。」
「それは分かりますけど!」
「俺たちのお題がヒマリなんや。」
「えぇぇっ――!?」
周囲の生徒たちがざわめき始める。
「二人とも、同じお題だったの?」
「何を引いたんだろう?」
そんな周囲の声など気にもせず、凌と環季は互いを牽制するように睨み合っていた。
「お前、譲れよ。」
「何で俺が譲らなあかんねん。俺が先にここに着いたやろ?」
「俺が先にお題を引いた。」
「せやったら、先に連れて行けばよかったやん。」
二人のやり取りを見ながら、ヒマリは困ったように息を吐いた。
その時、ふと脳裏に玲の言葉が浮かんだ。
――どの未来を選んだ自分が、一番好きか。
あの日、玲が自分にくれた言葉。
こんなに早く思い出すことになるなんて。
もし今、どちらかを選ぶなら。
凌の隣にいる自分は、きっと毎日ドキドキする。
環季の隣にいる自分は、きっと毎日笑っていられる。
どちらも魅力的だ。
だからこそ――
(……今は、選べない。)
ヒマリはゆっくりと二人を見上げた。
(誰かを選んで誰かを置いていく自分なんて――きっと私は、好きになれない。)
そして、ふっと笑った。
「……二人とも。」
「「ん?」」
「三人でゴールしましょう!」
「「は?」」
「どっちか一人を選ぶなんて、今の私にはできません。」
驚いた表情を浮かべる二人へ、ヒマリははっきりと言った。
「だって私は、みんなと一緒に笑っている時の自分が一番好きだからです!」
一瞬の沈黙。
そして最初に吹き出したのは、環季だった。
「……ぷはっ。」
口元を押さえながら、楽しそうに笑う。
「いやぁ。ヒマリらしいなぁ、思て。」
凌はしばらく黙っていたが、やがて困ったように頭を掻いた。
「……仕方ねぇな。」
そして、ヒマリと環季を見た。
「こうなったら、三人で走るぞ!」
「はい!」
「ほな、決まりやな。」
三人は顔を見合わせる。
そして、そのまま一斉にゴールへ向かって走り出した。
「……ヒマちゃん、人気すぎない?」
その背中を見送りながら、良樹はぽかんと口を開けていた。
自分がヒマリを好きだということは、もう分かっている。
けれど――。
(……ライバル、こんなにいたの?)
初めて気づいた事実に、良樹はただ呆然と三人を見送った。
斗真は何も言わなかった。
ただ、カメラ越しに三人を見つめている。
いつもの穏やかな笑顔は、そこにはない。
――カシャ。
シャッターが切られる。
ソノは、その音を聞きながら小さく息を吐いた。
「……まったく、あの人たちは。」
呆れたような口調だった。
けれど、その瞳にはどこか楽しげな光が宿っている。
(ようやく、自分たちの気持ちを認め始めましたか。)
凌も。
環季も。
良樹も。
そして、おそらく斗真も。
ヒマリという少女に向ける気持ちが、ただの好意ではないことを。
少しずつ、自覚し始めている。
グラウンドでは、凌と環季に挟まれたヒマリが楽しそうに笑っていた。
どちらかを選ぶことは、まだできない。
けれど今、この瞬間。
彼らと一緒に走ることを選んだ自分を――ヒマリは確かに好きだと思えた。
その選択が、これからどんな未来へつながっていくのか――まだ誰も知らない。
青空の下、体育祭の歓声はまだまだ続いていく――。




