第十三話 生徒会同窓会〜受け継がれるもの
八月。
蝉の声が、朝から校舎いっぱいに響いていた。
夏休みに入ってからというもの、生徒会室には普段以上の熱気が満ちている。
――とはいえ、その原因は蝉でも、真夏の暑さでもない。
「……これで、各クラスの競技エントリーは全部確認できました。」
ソノが手元の資料に目を落とし、最後のチェックを入れる。
「協賛企業への広告デザインも、昨日のうちに最終稿を送っておいたよ。」
斗真が続けた。
「備品の搬入経路も問題なしや。体育倉庫の鍵の管理表も、今朝もう一回確認したで。」
環季が書類を掲げる。
「用具の貸し出しリスト、全部照合しました!」
良樹が元気よく答えた。
◇
午後三時を過ぎた頃。
体育祭の準備作業は、ひとまず一区切りを迎えていた。
凌は机の上の資料をまとめると、椅子の背もたれに身体を預けた。
「よし……今日は仕事を早めに切り上げるぞ」
「えっ、本当ですか?」
ヒマリがぱっと顔を輝かせる。
「そろそろ、来られる頃ですね。」
ソノが静かに窓の外へ視線を向けた。
「どういうことですか?」
不思議そうに首を傾げるヒマリに、環季がどこか落ち着かない様子で髪を掻き上げる。
「ああ。今日はな……前年度の生徒会の先輩らが、遊びに来る日なんや。」
「前年度の、生徒会の先輩方……?」
その言葉の意味をヒマリが反芻した、まさにその時だった。
コン、コン――。
規則正しいノック音が、生徒会室の扉に響く。
「失礼しまーす!」
一瞬で場の空気を塗り替えるような明るい声とともに、扉が開いた。
そこに立っていたのは――かつてこの生徒会室を率いていた、五人の先輩たちだった。
◇
「みんな、元気だった?」
先頭に立っていたのは、前生徒会長――如月玲。
艶やかな黒髪に、アメジスト色の瞳。
その隣には、ミルクティーベージュの髪を揺らす前会計・白砂律。
さらに、鮮やかなローズレッドの髪と瞳を持つ前広報・千早絢。
その後ろには、陽気な笑顔を浮かべる前体育委員長・神城豪。
そして最後に、桃色の髪を揺らしながら、柔らかな笑みを浮かべる前副会長・サクラが続いていた。
「凌!」
玲は真っ直ぐ凌のもとへ歩み寄ると、その肩をぱんぱんと叩いた。
「ちゃんとみんなのこと引っ張ってるんだね! 偉い!」
すると――。
さっきまで威風堂々と生徒会を率いていた黒崎凌が、目に見えて頬を赤くした。
「そ、そりゃ俺だって……やればできるしっ!」
「ソノちゃんからも聞いてるよ。凌、すごく頑張ってるって。」
玲は嬉しそうに笑う。
「でも、頑張りすぎないでね。ちゃんと周りを見て、みんなを頼るんだよ?」
「わ、分かってる! 俺は、玲先輩を超える生徒会を作るんだから!」
「そっか。」
玲はふっと笑い、凌の頭をぽんぽんと撫でた。
「頑張ってね。」
「……っ!」
凌は顔を真っ赤にしながらも、振り払おうとはしなかった。
(……尻尾があったら、ぶんぶん振ってそう。)
その様子を見ていたヒマリは、思わずそんなことを考えてしまう。
普段の凌からは想像もつかない姿だった。
ふと、玲と目が合う。
玲はにこやかに手を振った。
ヒマリも慌てて手を振り返す。
(前生徒会長で、何でもできるすごい人って聞いてたけど……めちゃくちゃ気さくな人なんだ。)
◇
「環季。」
律が、部屋の隅にいた環季へ声をかける。
「はい。お久しぶりです、白砂先輩。」
律は環季の手元にある資料へ視線を落とした。
「この予算表、よく考えられてるね。」
「……え?」
「体育祭を成功させるために、どこへお金を回すのが一番いいか。無駄を極力削ぎ落として、ちゃんと優先順位がつけられてる。」
環季は目を見開いた。
(この一瞬で、そこまで分かるんか……。)
「いえ。俺は先輩には及びません。この前も大きな失敗をして……みんなに協力してもろうたんです。」
律は少しだけ目を見開いたあと、穏やかに笑った。
「そっか。環季は、良い仲間をもったんだね。」
「へっ?」
「失敗は必ずしも悪いことじゃないよ。」
律は資料をそっと机に戻した。
「環季は失敗することも、損をすることも嫌う。でも、今回の失敗は――それ以上のものを得られたんじゃない?」
「……。」
「今は無駄に思えることでも、あとから必要な経験になることがある。だから、最初から結果を決めつけちゃダメだよ。」
環季は、ゆっくりと頷いた。
「……はい。勉強になります。」
真っ直ぐに見つめ返してくる環季に、律は眩しそうに目を細める。
「うん。前より、ずっといい顔してる。」
「……っ」
その一言に、環季は照れ隠しのように顔を逸らした。
「そ、そんなん言われても……困りますわ。」
◇
賑やかな歓談の輪から少し離れた窓際。
西日が差し込むその場所にいた斗真の隣へ、絢がゆっくりと歩み寄った。
「水川くん。変わりないですか?」
「はい、千早先輩。お久しぶりです。」
斗真はいつものように、柔らかな笑みを浮かべる。
けれど絢は、その奥にあるわずかな揺らぎを見逃さなかった。
「……少し、雰囲気が変わりましたね。」
「そうでしょうか?」
「はい。」
絢は静かに斗真を見つめる。
「君は誰にでも同じように笑顔で接する。それは決して悪いことではない。」
斗真の表情が、ほんの少しだけ固まった。
「けれど、それは自分自身を守るための鎧でもあります。」
「……本当に、千早先輩には隠せませんね。」
斗真は苦笑した。
誰にでも優しく。
誰にも深く踏み込まない。
誰かを特別にしなければ、自分も傷つかない。
――そうやって、ずっと生きてきた。
けれど今は。
一人の少女の笑顔に心を乱されている。
「……千早先輩。」
斗真は小さく息を吐いた。
「僕は、どうしたらいいんでしょうか?」
「自分のためだけに生きる完璧さは、時にとても孤独です。」
絢は優しく、けれど確かな声で言った。
「誰かのために心を乱し、誰かのために悩む。」
その言葉が、斗真の胸に静かに落ちていく。
「……それは決して、悪いことではありません。」
そして絢は、少しだけ微笑んだ。
「君も少し、僕の気持ちが分かってきたのではないですか?」
斗真は長いまつ毛を伏せる。
夏祭りの夜。
花火の下で、ヒマリの手を握った時の感覚が脳裏に蘇った。
そして――。
「……はい。」
その答えは、もう迷っていなかった。
◇
「おぉ! お前が新しい体育委員長か!」
豪が破顔し、大きな手を差し出した。
良樹は勢いよく立ち上がる。
「はい! 大嶌良樹です!」
「はははっ! いいじゃねえか!」
二人はがっしりと握手を交わした。
一九〇センチ近い大男が二人。
その周囲だけ、妙に爽やかで暑苦しい。
「理想の後輩ができたな! 気に入ったぞ!」
豪が良樹の頭をがしがしと撫でる。
「本当ですか!?」
「おう!」
「ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべる二人。
その光景を見ていた凌が、ぽつりと呟いた。
「……大型犬が二匹いる。」
「誰が犬だ!」
二人の声が、ぴったりと重なった。
◇
部屋の中央では、ヒマリがサクラの前に立ち尽くしていた。
「わぁ……。」
言葉が出てこない。
ふわりとした柔らかな空気。
そこにいるだけで、周囲の空気まで優しくなっていくような存在感。
(すごい……。)
「初めまして。」
サクラが、ふんわりと微笑む。
「あなたがヒマリちゃんですね?」
「は、はい!」
サクラはヒマリの手を優しく包み込んだ。
「……天使って、本当にいるんですね。」
思わず漏れたヒマリの言葉に、サクラがきょとんと目を丸くする。
その隣では、普段は冷静なソノまでもが穏やかな表情を浮かべていた。
「ソノちゃん。凌くんを、そして生徒会を支えてくれてありがとう。」
「いえ。私は当然のことをしているだけです。」
「ヒマリちゃんも、ありがとう。」
サクラは二人を見つめて微笑んだ。
「私で良かったら、いつでも力になりますから。困ったことがあったら、相談してくださいね。」
ヒマリは、じっとサクラとソノを見比べる。
「サクラ先輩の笑顔って……見ているだけで癒やされます。ソノ先輩は、一緒にいると安心する感じで……。」
少しだけ迷ってから、ヒマリは尋ねた。
「私も、サクラ先輩やソノ先輩みたいになれますか?」
サクラとソノは顔を見合わせる。
そして、同時に笑った。
「ヒマリちゃんは、私たちみたいにならなくていいんですよ。」
「そうです。」
ソノも優しく続ける。
「ヒマリさんには、ヒマリさんにしかない良さがありますから。」
ヒマリは目を瞬かせる。
そして、ゆっくりと笑った。
「……はい!」
◇
「それじゃあ、みんな!」
玲が明るい声を上げた。
「体育祭、頑張ってね!」
前生徒会の先輩たちは、賑やかな笑い声とともに帰っていく。
その直前。
玲がヒマリのもとへ駆け寄った。
「ヒマリちゃん。」
「はい?」
玲は、少しだけ声を潜める。
「頑張ってるヒマリちゃんに、私から一つだけアドバイス。」
「はい……。」
「これから先、ヒマリちゃんが大切な選択を迫られた時――。」
玲は優しく微笑んだ。
「どの未来も魅力的で、どうしようって悩んだ時――。」
ヒマリは、その言葉を真剣に聞いている。
「どの未来を選んだ自分が、一番好きか――考えてみて?」
「……え?」
「今は分からないかもしれないけど……。」
玲はどこか懐かしそうに、ヒマリを見つめた。
「その時が来たら、今日の言葉を思い出して?」
そして、最後に微笑む。
「きっとヒマリちゃんなら、答えに辿り着けるから。」
◇
先輩たちが帰ったあと。
生徒会室には、夕暮れの静けさが戻っていた。
けれど――。
先ほどまでとは、どこか違う。
玲に今の自分を見てもらえた凌。
律の言葉を胸に刻んだ環季。
豪との出会いに、さらにやる気を燃やす良樹。
そして、斗真は――。
窓の外の茜色の空を見つめたあと、ゆっくりとヒマリの方へ振り返った。
「……ヒマリちゃん。」
「はい? 水川先輩?」
首を傾げるヒマリへ。
斗真は、柔らかく微笑んだ。
「体育祭……一緒に頑張ろうね。」
「はいっ! よろしくお願いします、水川先輩!」
弾けるような笑顔。
その笑顔を見つめながら、斗真はそっと目を細めた。
先輩たちから受け継いだもの。
それぞれが見つけた、自分自身の答え。
そして――まだ誰も知らない、これから始まる物語。
夏休みが明ければ、いよいよ体育祭がやってくる。
彼らの恋と成長は、ここからさらに大きく動き出していくのだった。




