第十一話 若草色の大型犬と夏の嵐!?
――夏休みまで、あと少し。
体育祭の開催が正式に決定してから、生徒会はこれまで以上に慌ただしくなっていた。
競技種目の調整。
各クラスへの連絡。
当日のタイムスケジュール。
必要な備品の確認。
やるべきことは、まだ山積みだった。
「……あとは、体育委員長か。」
資料をめくりながら、凌が眉間に皺を寄せる。
「せやなぁ。そこが決まらんことには、当日の細かい指示出しもできへんし。」
環季も困ったように腕を組んだ。
体育祭を円滑に運営するためには、各クラスの体育委員をまとめる存在が欠かせない。
だが――。
この学園には、現在その役職を担う生徒がいなかった。
「そもそも、なんで前任者は後任を決めなかったんですか?」
ヒマリが尋ねる。
すると、ソノが小さく苦笑した。
「前任者の豪先輩らしい理由ですよ。」
「……ああ。」
凌も思い出したように息を吐く。
前年度の体育委員長――神城豪。
この学園を卒業した、かつての生徒会メンバーだ。
豪は引退間際、凌とソノにこう言い残していた。
『今のこの学園に、該当者がいねぇ!』
『体育委員長は、みんなを引っ張れる、器のデカいやつに任せたい!』
そして最後には――。
『悪りぃけど、新入生でいい奴がいたら任命しといてくれ!』
そう言って、後任選びを二人に託したのだった。
「……まさか、そのまま空席になるとはな。」
凌が頭を抱える。
「候補は何人か見てみたんやけどなぁ……。」
環季が資料を眺めながら唸る。
「どうにも決め手に欠けるんよ。」
「僕も何人か声をかけてみたけど、今ひとつ……かな。」
斗真も困ったように笑った。
「うーん……。」
ヒマリも資料を覗き込みながら首を傾げる。
「そんなに難しいんですか? 体育委員長って。」
「簡単やないで。」
環季が指を一本立てる。
「体育祭当日、何十人もの体育委員をまとめなあかん。先生との調整もあるし、競技の進行にも関わる。責任も大きい。」
「なるほど……。」
「せやから、神城先輩が言う『器のデカいやつ』って条件も、あながち間違っとらんのよ。」
「うーん……。」
ヒマリは腕を組み、真剣に考え込む。
その時だった。
コンコン――生徒会室の扉がノックされた。
「ん?」
全員の視線が、一斉に扉へ向く。
「どうぞ。」
ソノが声をかける。
ガチャリ、と扉が開いた。
「失礼します。」
入ってきたのは――見慣れない男子生徒だった。
「本日付で一年生へ転入することになりました。大嶌良樹といいます。」
「…………。」
生徒会室に、一瞬の沈黙が落ちた。
無理もない。
男子生徒の身長は――一九〇センチ近く。
しっかりと鍛えられた体格に、健康的に日焼けした肌。
そして何より目を引くのは、柔らかな若草色の髪と瞳だった。
大柄な身体とは裏腹に、その表情には人懐っこい素直さが滲んでいる。
「……でか。」
凌が思わず呟いた。
「会長、失礼ですよ。」
ソノがたしなめる。
「いや、だって……。」
凌が改めて良樹を見る。
「うわぁ……。」
ヒマリも目を丸くして、良樹を見上げていた。
すると――。
良樹と目が合う。
「…………。」
「…………。」
次の瞬間。
二人の目が、同時に大きく見開かれた。
「……え?」
「……あれ?」
そして――。
「えっ!? よっちゃん!?」
「えっ!? ヒマちゃん!?」
ヒマリが勢いよく立ち上がる。
良樹も、ぱっと顔を輝かせた。
「やっぱりヒマちゃんだ!」
「よっちゃん! どうしてここにいるの!?」
「今日からこの学校に通うことになったんだ!」
「えええっ!? 聞いてないよ!」
「僕も、ヒマちゃんがこの学校にいるなんて知らなかった!」
二人は、まるで昨日まで一緒に遊んでいたかのように、屈託なく笑い合う。
その様子を、生徒会の四人はぽかんと眺めていた。
「……ちょっと待て。」
凌が口を挟む。
「ヒマリ。知り合いなのか?」
「はい!」
ヒマリが満面の笑みで振り返る。
「幼馴染なんです!」
「幼馴染……?」
「小さい頃、家が隣だったんです。でも、家庭の事情でよっちゃんが海外へ引っ越しちゃって……。」
ヒマリは良樹の方へ向き直る。
「よっちゃん、いつ帰ってきたの? それに、その身体……昔は私より小さかったのに。」
「帰ってきたのは、一週間くらい前だよ。」
良樹は自分の身体を見下ろすようにして、少し照れくさそうに笑った。
「身体は……昔、ヒマちゃんが『強い人が好き』って言ってたから、鍛えてたらこうなっちゃって……。」
「そんなこと……言ったっけ!?」
ヒマリが目をぱちぱちさせる。
良樹は苦笑しながら頷いた。
「言ったよ。僕、ヒマちゃんが言ったことなら、ちゃんと覚えてる。だから、こんなに頑張ったんだ。」
「…………。」
そのやり取りを――。
凌、ソノ、環季、斗真の四人は無言で見ていた。
「……なるほど。」
ソノが静かに呟く。
「これは……豪先輩が後任に望んでいた条件に、かなり近いですね。」
「確かに……。」
環季も良樹を見る。
「体力もありそうやし、何より人当たりがええ。あれだけ素直やったら、体育委員もついてきそうや。」
「……。」
凌は、少し面白くなさそうな顔をしていた。
しかし――。
大嶌良樹は、誰がどう見ても体育委員長として適任だった。
凌は短く息を吐くと、良樹に声をかける。
「大嶌。」
「はい!」
良樹が姿勢を正す。
「生徒会に、興味はあるか?」
「……!?」
突然の凌の言葉に、良樹はきょとんとしている。
横から、ヒマリが声を上げた。
「そうだ、よっちゃん! 体育委員長やってくれない? もうすぐ体育祭があるんだけど、体育委員長のポストが空いてて……。」
凌が話を引き取る。
「そういうことだ――。もし生徒会に興味があるのなら、体育委員長という役職をお前に任せたい。」
ヒマリと凌の言葉を受け、良樹はしばらく黙っていた。
やがて――。
ぱっと顔を上げる。
「分かりました。俺で良かったら、やります。」
その言葉に、ヒマリの顔が明るくなる。
「わぁ、ほんと!? よっちゃん、ありがとう〜!!」
嬉しさのあまり、ヒマリは良樹に駆け寄った。
そんなヒマリを、良樹は優しい眼差しで見下ろす。
「ヒマちゃんの頼みだもん。俺、頑張るよ。」
「……。」
凌は、そんな二人をしばらく見つめていた。
やがて――。
小さくため息を吐く。
「……決まりだな。」
凌の言葉に、良樹は向き直り、姿勢を正した。
「体育委員長。よろしく頼む。」
凌が手を差し出す。
良樹もその手を、しっかりと握り返した。
「はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」
こうして――。
空席だった体育委員長の席に、新たな人物が加わることになった。
◇
「じゃあ、大嶌の転入の書類と、生徒会役員加入の書類を職員室に持っていってくる。」
そう言って、凌が立ち上がろうとした時だった。
「はい! 私、行ってきます!」
ヒマリが元気よく手を挙げる。
「ついでに、学校案内もしてきます!」
「……お前一人でできるか?」
「はい! 大丈夫です!」
ヒマリは良樹へ振り向く。
「よっちゃん、行こう!」
「うん。じゃあ、ヒマちゃんよろしくね。」
良樹は生徒会のメンバーへ向き直り、丁寧に頭を下げた。
「では、一旦退出を失礼します。」
そう言って、良樹はヒマリとともに生徒会室を出ていった。
パタン――扉が閉まる。
静寂。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
「…………。」
生徒会室に残された四人。
最初に口を開いたのは、環季だった。
「……なんや、あいつ。」
腕を組み、閉じた扉を見る。
「いきなり来たと思ったら、ヒマリをかっさらいよった……。」
「…………。」
凌も腕を組む。
(何なんだ、あいつは――。)
入ってきて数分で体育委員長に決まって。
ヒマリとは幼馴染で。
しかも――『ヒマちゃん』 『よっちゃん』
まるで昔から、二人だけの世界があるような呼び方。
「……会長。」
ソノが苦笑する。
「顔に出ていますよ。」
「……っ」
凌が慌てて顔を背ける。
「……ふふ。」
ソノは、それ以上何も言わなかった。
そして――。
「……幼馴染、か」
斗真が小さく呟く。
いつもの笑顔を浮かべたまま。
優しく、穏やかに。
けれど――。
その瞳が、わずかに揺れていた。
今まで決して崩れることのなかった笑顔の奥に、初めて隠しきれない焦りが滲んでいた。
◇
職員室へ向かう廊下で――。
二人は並んで仲良く歩いていた。
「よっちゃん、ほんとに久しぶりだね!」
「うん。」
「海外ってどうだった?」
「いろいろあったよ。でも、ずっと日本に戻りたかった。」
「そうなの?」
「うん。だって――。」
良樹は、隣を歩くヒマリを見つめた。
そして、にっこりと笑う。
「早く帰って、またヒマちゃんに会いたかったから。」
「……え?」
ヒマリが足を止める。
良樹も立ち止まり、まっすぐにヒマリを見る。
その表情には、迷いも照れもない。
ただ、真っ直ぐな想いだけがあった。
「僕、今でもヒマちゃんのこと大好きだから。」
「……えっ?」
突然向けられた言葉に、ヒマリは声を失った。
(よっちゃんの言う『好き』って……何?)
――僕のこと、好きにならないで。
昨日、斗真にそう言われたばかりだった。
そして今――。
ヒマちゃんのこと、大好き。
同じ「好き」という言葉なのに。
どうしてこんなにも、意味が違って聞こえるのだろう。
廊下の窓から、校舎で熱せられた夏の風が吹き込んでくる。
若草色の髪が、風にふわりと揺れた。
これから訪れる新たな夏の嵐を予感するようだった。




