16.絶望の王
黄土色の砂塵が舞う荒野の空から、絶望がゆっくりと舞い降りてくる。
全長四十メートルを超える超大型機動兵器――『ルシファー・レガリア』。
闇よりも深い漆黒の装甲をベースに、まるで神への冒涜を示すかのような豪奢な黄金の装飾が全身に施されている。背部には、光の翼を形成するための巨大な八枚のエネルギー・バインダーが後光のように展開し、機体全体を神々しくも禍々しいオーラで包み込んでいた。
その姿は、かつて連邦の実験室で使い捨ての部品として生み出された『No.01』が、世界に対する絶対的な復讐者として君臨するための、歪んだ玉座そのものだった。
『素晴らしい景色だ。真実を知って狂乱する愚民どもの悲鳴が、ここまで聞こえてくるようだぜ』
カイン・レイスの陶酔しきった声が、全地球規模に強制割り込みされた通信回路を通じて響き渡る。
バベルの塔の管制室。
セリアは、トビーの隣でメインモニターに映るその巨大な黒い機体を見上げ、奥歯を強く噛み締めた。
自分が命を懸けて暴いた連邦の真実。父の遺志。それがすべて、この男の『聖戦』という名の虐殺の引き金を引くための、都合のいい舞台装置として利用されたのだ。
「……ふざけないで……っ」
セリアの細い肩が、怒りで激しく震えていた。
「私たちは、あなたなんかのためにこのデータを流したんじゃない! 世界を正すために……!」
『世界を正す? 笑わせるな、お人形さん』
カインの冷酷な声が、セリアの反論を鼻で嗤う。
『連邦の腐敗を取り除いたところで、また別の腐った権力者が座るだけだ。人間という種そのものが、他者の痛みを踏みにじることでしか成立しない欠陥品なんだよ。だから……俺がすべてを燃やし尽くし、更地にしてやる。俺たち「ナンバーズ」の流した血の対価としてな!』
上空の強襲揚陸艦から、アウターズの精鋭モビルスーツ部隊が次々と降下してくる。
目標は、混乱の極みにある連邦軍の駐留部隊、そして、この通信施設そのものだ。
「レイ!」
セリアが悲痛な声で、通信機に向かって叫ぶ。
『……気にするな、セリア』
通信の向こう側。荒野に立つ『継ぎ接ぎの獣』のコックピットから、レイの低く、地を這うような声が返ってきた。
『あいつが何を企んでいようが、関係ない。……連邦の首魁を引きずり下ろすというお前たちの目的は、見事に果たされたんだ。お前は、胸を張っていい』
その声には、先ほどまでの迷いや絶望は微塵も含まれていなかった。
圧倒的な敵を前にして、レイの精神は逆に、研ぎ澄まされた氷の刃のように冷たく、そして鋭く透き通っていた。
『ガレス! 塔の防衛システムをハッキングして、ありったけの対空砲火を空に向けろ! セリアたちを死守しろ!』
レイが外部スピーカーで叫ぶと同時に、ヴォルフラムの背部に移植された白いバインダーから、爆発的なプラズマの炎が噴出した。
二つのジェネレーターを直結させたキメラの尋常ならざる推力が、荒野の大地をすり鉢状にえぐり取る。
銀と白の残像を残し、レイは上空で静止する巨大な魔王『ルシファー・レガリア』へ向かって、一直線に跳躍した。
『来るか、セブン! だが、その不格好なツギハギのガラクタで、俺の前に立てると思っているのか!』
カインが嘲笑うと共に、ルシファー・レガリアの肩部に内蔵された無数のメガ粒子砲門が一斉に展開した。
空を埋め尽くすほどの、紫色の閃光の雨。
それは、先ほどの無人機とは比べ物にならない、一発一発が戦艦の主砲クラスの威力を誇る、面制圧の飽和攻撃だった。
「……見えるッ!」
レイの赤い瞳孔が、極限の集中状態で周囲の空間を完全に掌握していた。
ニューラル・リンクの同期率60パーセント。自我を保てる限界の領域で、彼は機体への凄まじい負荷を自らの肉体の激痛として引き受けながら、ビームの雨の隙間を縫うようにして機体を捻り、駆け上がる。
『ほう……あの頃より、少しはマシな動きになったじゃないか』
カインの余裕の笑み。
レイは、ルシファー・レガリアの巨大な胸部目掛けて、右腕の高周波ブレードを最大出力で振り下ろした。
だが。
ガガァァァァァァンッ!!
刃が装甲に届く数メートル手前。
何もない空中に突如として黄金色の六角形の光の盾が展開し、レイの渾身の一撃を完全に弾き返した。
「……電磁防壁(Iフィールド)の積層展開だと……!?」
『俺がこの十年間、アウターズの全資源を注ぎ込んで作らせた究極の機体だ。お前の旧式の刃など、届くはずもない!』
ルシファー・レガリアの巨大な腕が、ハエを払うかのように無造作に振り抜かれる。
それだけで発生したすさまじい衝撃波と重質量の一撃が、バリアに弾かれて体勢を崩していたヴォルフラムを直撃した。
「が、はァッ……!!」
コックピットの中で、レイは内臓がひっくり返るような衝撃を浴び、全身の骨が軋む音を聞いた。
機体が錐揉み回転しながら、荒野の大地へと叩きつけられる。凄まじい土煙が上がり、地面に数百メートルの巨大な亀裂が走った。
『どうした、セブン! お前の力はそんなものか! 俺を裏切り、人間どもの中でヌクヌクと生きてきた代償がこれか!』
カインの機体がゆっくりと降下し、地に伏したレイを冷酷に見下ろす。
その背後では、アウターズのモビルスーツ部隊が、バベルの塔を取り囲みつつあった。塔からのレジスタンスの対空砲火が空を切り裂くが、圧倒的な数の暴力の前に、防衛線が突破されるのは時間の問題だった。
(くそっ……機体の出力は負けていないのに、バリアのせいで決定打が撃ち込めない……!)
レイは血を吐きながら、操縦桿を握り直した。
全身の筋肉が悲鳴を上げ、神経系に焼き付くような痛みが走っている。
『お前は弱い。人間なんかに感情移入するから、そんな無様な姿になるんだ』
カインの声が、毒のようにレイの耳に流れ込む。
『思い出せ、セブン。お前が一番輝いていたのは、俺と共に研究員どもを肉切れに変えていたあの炎の中だ。……今からでも遅くない。俺の手を取れ。そして、あの塔の中にいるゴミ屑どもを、お前の手で焼き払え。そうすれば、お前の裏切りを許してやる』
悪魔の囁き。
痛みを消し去り、すべてを破壊する快楽に身を委ねろという、過去からの誘惑。
だが、レイは血に塗れた唇の端を吊り上げ、不敵に笑った。
「……断る」
『……なんだと?』
「俺は弱い。お前の言う通りだ。過去から逃げて、自分に嘘をついて生きてきた、みっともない裏切り者だ」
レイは、ボロボロになった機体を、ゆっくりと立ち上がらせた。
「だがな、カイン。……俺は、あの塔の中にいる『人間』たちに、自分が人間であることを教えてもらった。あいつらは、絶望の中でも自分の足で立ち上がり、未来を掴もうとしている」
レイの脳裏に、涙を拭って立ち上がったセリアの顔と、命懸けで機体を組み上げてくれたトビーの笑顔が浮かぶ。
「俺はもう、お前の狂った復讐劇の部品にはならない。俺は……レイ・ヴァンガードとして、お前を止める!!」
『……愚かなッ!!』
カインの怒声と共に、ルシファー・レガリアが右腕に巨大なビーム・ソードを形成し、レイを真っ二つに両断せんと振り下ろしてくる。
「システム・ヴォルフラム!」
レイは、コンソールのロックカバーを自らの手で引き剥がした。
「同期率……上限解放ッ!!」
【WARNING:SYNCHRONIZATION RATE 80% … 95% … 100%】
「ああああぁぁぁぁぁッ!!」
致死領域への突入。
レイの脳髄を、文字通り焼き切るほどの凄まじい情報とエネルギーの奔流が駆け巡る。だが、レイはその激痛に意識を飛ばすことなく、自らの強靭な『意志』の力だけで、破壊衝動をねじ伏せた。
ヴォルフラムを這う赤い発光回路と、背部の白いスラスターから噴き出す青白いプラズマ。
本来なら相反するはずの二つのエネルギーが、レイの極限の精神状態を媒介にしてコックピット内で完全に融合し、機体全体を『紫電』のような神々しい光で包み込んだ。
「おおおおぉぉぉッ!!」
レイは回避行動を取らなかった。
自らの機体を光の弾丸と化し、振り下ろされる巨大なビーム・ソードの軌道へ向かって、真っ向から突撃したのだ。
『死ねェェッ!』
紫電を纏ったキメラと、絶望の魔王の刃が激突する。
レイは、自らの左腕――移植された白い装甲ごと、敵のビーム・ソードにわざと切り落とさせた。
『なっ……肉を切らせた!?』
カインが驚愕の声を上げる。
左腕を失う凄まじい激痛がレイの脳を貫くが、彼は一切の悲鳴を上げなかった。
敵の刃が自らの体を通り抜けたその一瞬の硬直。その完璧な隙を突き、レイは懐深くへと入り込んだ。
「これが……俺の、牙だァァァッ!!」
紫電のエネルギーを限界まで一点に収束させた右腕の高周波ブレードが、ルシファー・レガリアの黄金のバリアへと突き立てられる。
凄まじい火花とプラズマの炸裂。
限界を超えた共鳴エネルギーが、絶対の盾であったIフィールドに微かな亀裂を走らせ、そして――
パァァァンッ!!
ガラスが割れるような音と共に、バリアが完全に崩壊した。
『馬鹿なッ! 俺のレガリアの防壁が……!?』
突破したブレードの刃先が、ルシファー・レガリアの漆黒の胸部装甲を浅く、しかし確かに切り裂いた。
黄金の装飾が吹き飛び、内部からプラズマの火花が噴き出す。
致命傷ではない。だが、それは絶対的な神であったカインに、人間が初めて血を流させた瞬間だった。
『……セブン……貴様ァァァッ!!』
激昂したカインの放った衝撃波によって、ヴォルフラムは再び弾き飛ばされ、大地を転がった。
左腕を失い、紫電の光も消え失せた機体。
限界を超えた同期率の反動で、コックピットのレイの意識は、今度こそ千切れる寸前の糸のように霞んでいた。
だが、彼の口元には、満足げな笑みが浮かんでいた。
(……見えたぜ、カイン。お前は……無敵の神なんかじゃない)
「レイ!!」
通信機から、セリアの悲痛な絶叫が響く。
絶望の王の装甲に刻まれた、一条の傷跡。
それは、作られた命たちが運命に抗い、自らの手で未来を切り拓くための、真の反逆の狼煙だった。




