大賢者
~魔法国 王都 魔法学校 廊下~
エレジーに付いていく。
正直、俺は期待していた。
清楚で高貴そうな少女に部屋へ誘われたからだ。
しかも、レクイエムが起きるまで……って朝までということか?
樹木をくり抜いたような廊下の突き当り、仰々しい扉の前を抜ける。
エレジーがくるりと回って、俺に振り向いた。
「ここが私達の部屋」
~魔法国 王都 魔法学校 研究室~
そこはどう見ても研究室という感じで、革張りの分厚い本や怪しげな煙を閉じ込めたフラスコがある。全体的に散らかっており、ツンとくる薬品の臭いがした。それに部屋の奥に何人かの気配もする。
これが……、女の子の部屋?
口には出さなかったつもりだが、エレジーはジトッとした目を俺に向ける。
「汚い部屋だと思ったでしょ?」
「いや、そんなことは……」
「ふうん。まあいいけど」
続けてエレジーは杖を床で鳴らした。
「レクイエムはお祖父様のところへ運んで」
ゴーレムが構わず前進するので、俺は押される形でエレジーの前に飛び出した。
間近で見ると、やはり美しい。
目鼻立ちはくっきりで、翠の瞳は虹色の光を反射している。
あれ?
「……私の顔に何か付いてる?」
「別に付いてないが」
彼女に近づいた時、薬品の臭いが強まった気がした。
「そ。じゃあ、案内するわ。足元に気をつけて。私の踏んだ所を猫のように踏んで歩くのよ」
「無茶言うなよ」
愚痴をこぼしつつエレジーに付いていく。足の踏み場もない程ではないにしろ、散乱する本や道具を避けなければならない程度に床は散らかっている。
何とかつま先で歩き続けて拓けた場所に出ると、ようやく踵を床に付けることが出来た。
「ロンド、この人が私達のお祖父様よ」
エレジーの呼びかけに頭を上げると、周囲より一段高くなった場所で大仰な椅子に座った老人がいた。体にまとわせた一枚布は幾重ものひだを作っており、老人の深いしわを思い出させる。その男性は白いひげをたくわえているが、顔に刻まれたしわの数や目のくぼみ方から相当の老いであることが見て取れた。
どうやら若い魔法使いが指導を仰いでいるようだ。
「ありがとうございます、大賢者様。引き続き研究を続けます」
若い魔法使いは二十代程の女性だ。魔法学校の生徒と同じくローブを身につけており、老人の椅子の前から踵を返すとローブの裾が舞った。
「あ、あら! エレジー様! ごきげんよう」
先程までの畏まった様子から一転、パッと表情が華やいで、嬉しそうにローブの裾をつまむ。
エレジーは挨拶を返し、二三、会話を交わした。
……難しそうな話だな。
俺には理解できなかったが、女性は終始楽しそうだった。
戻ってきたエレジーに声を掛ける。
「エレジーは慕われてるんだな」
「そうかしら。みんなこんな感じよ」
「そうだよ。きみの妹……、レクイエムはみんなに避けられてるようだった」
学校を案内してもらった途中、すれ違う生徒たちはレクイエムを遠巻きにしていた。談笑も止めて沈黙していたのが印象的でよく覚えている。まるで深い水の底にいるようだった。
「それは……」
しばらくエレジーは押し黙り、頭を振った。
「そんなことより、お祖父様を紹介するわ。お祖父様はね、この国の大賢者なの!」
バッ、と手を老人の方へ向けた。
「大賢者……?」
あれ? たしか、カプリッチオが何か言ってなかったっけ……。
「知らない? 人々に魔法を教えて、豊かな国を作り上げた指導者よ?」
ああ、そういえば、この国を実質的に治めているんだっけか?
政治や魔法は難しくてよく分からない。
その辺り、俺は果てしなく門外漢なのだ。
ふーん、この老人が大賢者ねぇ。
正直、得体の知れない感じだ。
大賢者は亀のような仕草で俺の方を向いた。
そして、カッ、と目が見開かれる。
「少年、その腰の業物は、魔法剣ではないか?」
「えっ」
一瞬でセレナータの特性を見抜いた慧眼に驚きを隠せない。
いや、それだけじゃない。
声が思ったより若々しく、はしゃいでいるように聞こえたからだ。
「それをどこで手に入れた? もっと近くで見せてくれないか?」
矢継ぎ早に質問される。
レクイエムもそうだったが、なにか知ってるのだろうか?
軽率に情報を教えるわけにはいかない。
だが、相手が大賢者なら多少は信用しても良いだろう。
「ある剣士から譲られた。元はどこにあったのかは俺も知りたい。何か知っているのか?」
セレナータのことは伏せておいた方が良さそうだ。
喋る剣、精霊が宿る剣。
それ自体がユニークな例だから、正体が露見すれば弱点にもなりうる。
大賢者は目を細めた。
興味深そうでもあるし、底が知れない感じもする。
「知っているよ。ただ、それが人にものを尋ねる態度なのかねぇ?」
お見通しってわけか。
それでもセレナータのことは言えない。
剣である以前に、彼女は仲間なのだから。
「何のことかさっぱりだな。お年寄りを大切にしましょうってことか?」
ピリッと空気が張り詰める。
隣でエレジーがあたふたし始め、少しだけ申し訳ない気分になった。
そんな沈黙を破ったのは大賢者だ。
「ほっほっほっ」
老獪な笑い声に俺も、
「はっはっはっ」
笑いで返した。
俺は学があるわけじゃないが、本能で分かるんだよ。
油断したら殺られる。
目の前にいるのは亀なんかじゃなくて、狡猾な狐だと言って良い。
「少年、揺らがない信念は大したものだ。だから教えてやるのに条件を出す」
つまり譲歩してくれるという。
「条件とは?」
「孫娘の良い刺激になってくれ」
……?
「言葉通りの意味だよ。孫娘はよっぽど少年を気に入ったらしい。この部屋に連れてきた子は、少年、きみが初めてだ」
大賢者の言葉にエレジーがうなずく。
「そうね」
どこか他人事みたいな同意だった。
「ンゴゴ」
背後からゴーレムの足音が近づく。
巨体は、レクイエムを大賢者の前へ運んだ。
レクイエムはゴーレムの掌の上で寝息を立てている。
「よく眠っているね。良い傾向だ。どれ」
大賢者はレクイエムの服をはだけさせた。
「ちょ、何して……」
エレジーが耳打ちする。
「いいのよ。あれは治療だから」
「治療?」
それ以上、エレジーは答えなかった。
病気のことだ。
あまり他人に話すようなことじゃない。
「お祖父様に任せておいて大丈夫よ。さあ、ロンドはこっちへ。お疲れでしょ?」
エレジーに案内されるがまま、俺はここを立ち去る。
去り際にレクエイムの顔を見たかったが、そんな雰囲気じゃなかった。




