第十四章 秋夜挽歌(二)
三守の死から二年。
承和九年(八四二年)、五十七歳になった神野は、病の床についた。
初秋七月―――
嵯峨院を訪れる見舞い客の中には、恒貞を連れた、皇太后正子の姿もあった。
「一日も早く、お元気になって下さいね」
神野の手を取り、必死に言う。不安気な面持ちで、横たわる父親をじっと見つめた。
「院に万が一のことがあれば、わたしたちは悲しみのあまりに死んでしまいます」
正子は正子なりに、自分を取り囲む不穏な空気を感じとっているらしい。だが神野はまるで眠っているかのように眼を閉じたまま、一言も言葉を発しなかった。
「お父さま―――」
何かひとつでも確実な言葉を―――心配するな、という意味の言葉を―――聞きたいという娘の願いを、神野は沈黙のままに聞き流している。
「院は、お疲れでいらっしゃるのよ」
「お母さま」
「どうぞお下がり下さい、皇太后さま」
そう言って、嘉智子は正子を退出させた。見ると、神野の頬には薄く、苦い笑いが浮かんでいる。
「院―――?」
神野が嵯峨に遷って、はや八年。望むところがあるのなら、それをなすだけ時間も、機会もあったはずだ。
それなのに―――
「……七月だな……」
「は……?」
吐息のように発せられた呟きを、嘉智子は聞き損ねた。小さく、幽かな声だった。
秋は、死の季節かもしれない。
青々と茂る山の樹々も、濃い影を落とす強い日ざしも、ゆっくりと枯れてゆく秋。
安殿も、冬嗣も、安世も、そして三守も、奇しくも同じ七月に死んだ。
そして自分も―――と、ほとんど確信に近い強さで、神野は思っている。
「嘉智子」
神野は言った。
「遺言をする。皆を集めてくれ」
☆
「仰々しい葬儀も、ことごとしい諡号も、一切必要はない」
集まった人々に、ゆっくりと神野は告げた。横たわったままだが、その口調ははっきりしている。
「鷹狩りの為に飼育している鷹は、わたしがみまかったらすぐに山へ放ってやるように。薄葬に徹し、国費を無駄に使わぬこと。そして、祭祀によってわたしの眠りを妨げてはならぬ―――」
死の瞬間まで、神野は意志的であろうとした。ひとつひとつ、丁寧に指示を出してゆく。
「院中の者のみ、喪服を着ることを許す。それ以外の者は服喪の必要はない。この院の北方、人の踏み入らぬ山上の幽僻不毛の地を選び、魂召びなどすることなく、三日以内に速やかに亡骸を埋葬せよ。陰陽師らの言うことに耳を貸してはならぬ。方角も、日取りも、すべてわたしの命の通りに執り行え」
実を欠いた虚名、形ばかりの儀式を堅く戒める言葉だった。それから数日後の七月十五日、くっきりと白い望月が嵯峨の地を静かに照し出す夜に、神野は嵯峨院でその生涯を終えた。
遺詔は忠実に実行され、翌十六日、その遺体は、彼が愛したこの地を一望できる北の山の頂きに葬られた。
安殿や大伴と同様に、晩年を過ごした地の名がその号となった。「嵯峨天皇」と。だが、彼らと違い、和風の諡号はない。
☆
そしてその死後、僅か十日間で、事態は大きく動いた。
十七日、埋葬が終わった翌日に、東宮御所において謀反の計画ありとの密告がなされた。良房と嘉智子はこの報によって素速く動き、まもなく藤原愛發、文室秋津をはじめ、六十人を越える東宮に関係が深い人々が一挙に左遷ないし流刑の憂き目をみた。恒貞は東宮位を剥奪され、髪を降ろして仏門に入った。そして二十五日、良房は三十九歳にしてついに台閣第四位、大納言の地位に昇る。さらに翌月には、順子と正良の間の息子、道康親王が東宮位についたのである。
「恒貞―――!」
皇太后正子の嘆きの声は、山頂に眠る神野の耳に届いただろうか。
秋の空はどこまでも高く、さやかな風が樹々をそよがせる。ふいに一羽の鷹が嵯峨の山を飛び立ち、真っ直ぐに天へと吸い込まれていった。
――― 完 ―――
一九九七年九月二十五日 初稿脱稿
二〇〇八年九月六日 改稿 HP掲載
二〇一〇年二月二日 改稿 WEB掲載
二〇一九年十一月十九日 改稿 再掲載




