第十四章 秋夜挽歌(一)
和琴の音を、神野はととのえた。
庭湖に向かい、誰に聞かせるともなく静かに絃を爪弾く。
嵯峨での月日は、穏やかに過ぎていった。
公私共に、やはり来客が絶えることはなく、多くの文人と、そして多くの使者・重臣が四季折々にこの院を訪れては帰ってゆく。だが、ひとの出入りは多くとも、嵯峨院はいつもどこか静かだった。広々とした美しい風景と、主人の悠々としたもてなしは、いつも客人をくつろがせ、どこか俗世を遠く離れてきたような、そんなゆるやかな気分にさせたのである。
淳和院で大伴が亡くなったのは、承和七年(八四〇年)仲夏五月八日のことだった。享年は五十五歳。神野が嵯峨院に遷って、六年目のことである。
床についた大伴は、見舞いに訪れた人々を前に、こう言った。
「わたしが死んだら、亡骸を火で焼いて、骨を粉々に砕いて山に散いてくれ」
「な―――何ですって?」
東宮恒貞も正子も、その場にいたものはみな唖然として大伴の顔を見つめた。
「一体、何を仰せになりますか」
病のせいもあってか、五十五歳という実際の年齢より遥かに老けて見える。皺の刻まれた顔の中で、眼だけがどこか昏い光を放っていた。
「どうか、火葬にしておくれ」
大伴は繰り返した。その息づかいは苦しげだが、「これだけは言い残さねば」とでも言うような、不思議な気魄が感じられる。
「何故、そのような悲しいことを仰せになります。それでは、わたしたちはどのようにしてあなたを偲べと仰るのですか」
正子の眼に涙が光った。大伴は正子を見つめ、静かに言った。
「正子。人は死ねば、その魂は天に還る。だが、陵墓があっては、そこに思いが残ってしまうだろう。ひょっとすると、人を怨んで祟りをなすかもしれない」
「院、そのような―――!」
痩せ衰えた手を、正子は握りしめた。
「どうか、言うとおりにしておくれ……」
どうか、どうかと、大伴はそう繰り返すばかりだった。
「一体いかがいたしたものでしょうか」
判断に困って嵯峨院に使者をよこした正良帝に、神野はただ静かに言った。
「淳和院の仰るとおりにして差し上げよ」
『人を怨んで祟りをなすかもしれない』
妻高志の死と、恒世親王の死―――
自分亡き後、東宮恒貞を襲う昏い運命を、大伴はおそらく感じとっていたのだろう。
自分を襲う出来事を全て胸の内ひとつに納め、じっと静かに耐え続ける隠忍自重の人生だった。その彼が、最後に望んだことは、怨むことからも、悲しむことからも全て解き放たれて、ただ静かに天へ還ってゆくこと、ただそれだけだったのである。
遺言は実行に移された。
遺体は荼毘に付され、御骨は大原野山頂で散布された。遺詔によって国民の服喪すら行われず、陵墓も営まれず、簡素に徹した最期となった。
全ての地上のしがらみを捨て、塵となって天に還ることを望んだこの天皇の諡は日本根子天高譲弥遠尊。居所である「淳和院」から、そのまま淳和天皇と追号された。それもまた、この人の最期には相応しいものだったに違いない。
☆
そしてその僅か二ヵ月後の初秋七月七日、三守が逝った。
『わたしはもう、とっくに選んでいます。あなたにお仕えする道を、とると』
どんなときも、ただ真っ直ぐに神野の中に飛び込んできた三守。
出会ってから、既に四十年の歳月が流れている。
逝ったか、三守―――
享年は五十六歳。極位は、従二位右大臣である。神野は、忠誠を貫き通したこの臣に、従一位を追贈した。
奇しくもこの日は、安殿の命日である。
何れの處にか幽声を暢べん―――
この幽かな声をどこへ届けたらよいのだろう―――
神野は和琴を奏で続ける。
「魂鎮めの楽でございますか」
嘉智子に問われ、神野は絃の上に、視線を落とした。
「わたしはただ、悼んでいるだけだよ」
死者の心を慰撫し鎮める音を、神野は持ってはいない。
ただ彼らを悼み、消えることのない面影を胸に描きながら、その柩の挽き歌を奏で続ける。魂の去った亡骸を空しく抱きしめるようにして。
その音は昔と同じに澄んでいても、今、その中にはどこか聞く者をぞくりとさせるような深い虚空が寒々とひろがっている。そして、音のひとつひとつににじむ哀惜―――
来客で宴を催すとき以外は、詩作をすることも減った。
ただ、あるとき嵯峨院を訪れた東宮恒貞は、ぽつりと呟いた。
「詩ですね……」
神野は琴を弾いていた手を止め、恒貞を見た。
「詞なき詩―――院が奏でておられるのは、無言の歌のようです」




