第十三章 向暮楊風(十三)
奏者がこの曲を習得するのと、安世がかなり事細かに指示を残していた装束を整えるのに、約一ヵ月の準備期間を要した。
今、冷然院にしつらえられた舞台の上で、篁と宗貞が舞っている。
揺れる波―――
ふわりと空間を切る袖が、暖かい波を岸辺に寄せる海の青をそこに描き出す。軽やかに弾けるみなわが、陽光に輝って眼に眩しい。
鼓の音が秋の高い空に吸い込まれてゆく。
ふと、宗貞の姿に、安世の舞姿を見る気がした。
眼に焼きついている。春鴬囀を舞う姿の、なんと優雅だったことか。
合わせるのではない、競うのだ―――と。
競いあいながら、それでも二人は同じ舞台の上に立ち、共にひとつの舞を舞っている―――
共に舞いたかったのか、と問えば、いえいえ、とんでもない―――などという答えが返ってきそうである。そうして舞人の傍らで、彼は澄まして龍笛を吹いていることだろう。
「あれは、どこかわたしたちとは違っていたな」
ぽつりと、神野は呟いた。三守は神野を見やる。
『安世の音は、君のそのものなんだな』
ふと、自分が言った言葉を神野は思い出していた。
己れの生を、曲の中に見事に結晶させた安世―――
これほどに、美しかったのか。安世の眼に映っていた世界は。―――切ないほどに。舞人も、演奏者も、そして観客すらもがひとつになって―――
三守が袖で眼を押さえる。
「死なぬな、安世は―――」
神野は言った。
この曲からは、幾千幾万の言葉よりも、はるかに鮮やかに彼の肉声が聞こえてくる。
「ええ……」
「だが……もう会えぬ」
その澄んだ眸を通して描き出されたこの光に満ちた世界は、決して消えることはないだろう。
だが、安世自身は―――もうこの世にはいないのだ。風のように、白く輝く大気の中に、融けさってしまった。
神野の小さな呟きに、三守は返す言葉を知らなかった。




