第九話~変わりつつある生活と仕事~
「少し寝るから」
帰宅すると私は久々の外出と気疲れにもう限界がきて、そう告げるとフラフラと寝室に入った。お腹もいっぱいだし、きっとすぐにでも眠れるだろう。
急いで部屋着に着替え、ばたんと倒れ込むようにベッドに横になる。
私は自分の部屋が大好きだ。外出してどんなに楽しんでも、寝室に戻った時に猛烈な安堵感を覚える。自分の匂いがする枕に顔を埋め、お腹にだけ毛布を掛け静かに目を閉じた。
すうっと意識が落ちていく。あぁ、思っていたよりも疲れてるんだな。
それもそうだ。昨日からいきなり同棲してって言われ、あんなにも汚い部屋に神楽さんのような美少女が来たのだから。そして半日であの汚部屋がほぼ片付き、私の知っている場所じゃなくなった。
それは嬉しい変化なのだけど、見慣れた環境が変わるのは思っていたよりも疲れる。それにどんなに可愛い人と一緒にいても、ストレスを感じてしまうのは当たり前のことだろう。
いくら私が女の子好きで、恋愛対象が女性だとしても、いきなり住み込みとなればストレスを感じてしまう。嬉しいよりも、困惑と制限の方が先に来てしまう。
でもこれは神楽さんも同じだろう。いやもっと強いだろう。向こうはこちらを選べないまま、ここに来たのだ。よくわからない汚部屋の住人と暮らしてくれなんて、私ならばもう絶対に無理だ。
そう思えば、話を合わせてくれるし笑顔をくれるし……ありがたいな。
ふと胸に灯ったほの温かさに涙腺が緩みそうになったが、それら全て枕に吸わせて私は目を閉じた。
二時間ほど仮眠して少しすっきりした私はコーヒーを貰い、パソコンの前に座った。パソコン自体はさして新しくないものの、椅子は十数万もするゲーミングチェアを去年買ったのでいつ座っても気持ち良い。
コーヒーは淹れたてなので、まだ熱くて飲めない。だからまず執筆するためのファイルを開き、小説の世界に入り込む。気付けば冷めてるので、飲めるようになっている。これがいつもの流れ。
やる気なんてルーティーンでスイッチを入れるもので、ダラダラ寝転がってもやる気になんかならないのを知っている。小説家でも漫画家でも、アイデアを出すのに必死に考えて考えて、なお苦しむ創作者の姿というのを前に本で見た。
大作家ですらそうなのだ。まだまだそんなレベルじゃない私が寝転がって素晴らしいアイデアを思いつくわけないし、自然になんてやる気にならない。
だから最初の一文を書き始めると、体と頭が動き出す。頭の中で映画のようにシーンが浮かび、もう一つの視点がキャラクターの心情を見る。頭の後ろで流れるそれを見ながら、目の前のパソコンに打ち込むのが私のスタイル。
十分ほどキーボードを叩いていると、そろそろ飲めそうだなと思ってカップに手を伸ばした。そうして一口飲めば、もうすっかり私好みの味。やや甘めで、濃さもちょうど良い。メイド全般がそうなのか、それとも神楽さんがすごいのかわからない。
でも、こういうのいいなぁ。
なんというか、神楽さんが来てから家の中の空気が違う。こびりついた私の悪しき生活臭はまだ拭いきれていないものの、明らかに淀んだ感じは消えた。いやむしろ、若くて可愛い神楽さんがいるからか、女の子特有の良い匂いがする。
私もまだ二十六だから若いはずなんだけどなぁ。
ふと軽く自分の腕の匂いを嗅いだけど、よくわからない。臭くはないと思うけど、なんか違うんだよね。神楽さんはもっと甘い匂い。
……いやいや、集中しようよ私。
いつ売れなくなるか、出版社や読者に見放されるかわからない。今だけかもしれないし、前作で終わった作家なのかもしれない。そんな不安は仕事をすることでどこかへ消える。
今までは売れなくなったらもうそれまでと割り切って、普通の仕事をしようとか心の片隅で考えていた。一生売れ続ける小説家なんて、それこそ歴史に名を遺すような人物だろう。私はきっと、時流に運良く乗れただけ。
そんなふうに考えていたけど、今はちょっと違う。
小説家として売れていなければ、神楽さんを雇う生活が維持できないのだ。
今から私が普通の会社員として働き始めて、こんな収入になんかなれない。私にできるのは小説を作り続けることだけなのだから。
もう一度、物語の中に意識を入り込ませる。そうして私は夢中で、でも冷静にキーボードを叩き続けるのだった。




