第五話~初めての晩ご飯~
「あのぅ、先生。お時間ですけど」
ドアの外からの呼びかけに、ふっと目を開ける。が、暗い。あぁもうそんな時間かと、寝ぼけ眼をこすってからゆっくりとベッドから降りてドアを開けた。
するとリビングの眩しさに、思わず目を細める。そして目の前にはメイド服姿の神楽さんが立っていた。
「おはようございます。お風呂、ありがたくお先にいただきました」
お風呂に入ったからか、なんだか神楽さんがより輝いて見える。髪の毛の艶がさらに美しく、カラスの濡れ羽色とはこういうことを指すのだろう。肌もつやつやで、羨ましいくらい。化粧はしてなさそうだけど、そんなもの必要無いくらいだ。
「あぁ、それじゃ私も入ってこようかな。それまでゆっくりしててよ」
「はい、ありがとうございます」
そこでふと私の動きが止まる。
いつもならそこらに散らばっている着替えと下着を乾いているか確認してから無造作に拾っていたのだが、今はそうもいかない。というか、リビングにはもうそんな山がどこにも見当たらなかった。
すごいな、メイドって。
いや感心してる場合じゃない。私はくるりと踵を返し、一旦寝室に戻った。そうして電気を点けると、普段使っていないタンスをのぞいた。そうしてかろうじて残っていた下着と部屋着を引っ張り出すと、そそくさとお風呂場へ向かう。
ものぐさな私だけど、お風呂は毎日入っている。もちろん着替えもだ。なぜならば生まれつき肌が弱いので、二日も入らなければすぐに痒くなってしまう。そうなると執筆に集中できないからだ。
浴室に入ると、いつものように軽くシャワーで汚れを落とす。この瞬間はいつだって心地良いものだ。それから湯船につかるけど、肌が弱いせいで長湯できない。それでも五分でも入ればかなり違う。
すっと足を湯船に入れた時、私は動きを止めた。
……ここ、神楽さんが入ってたんだよね。
ふと先程見た笑顔の神楽さんが頭に浮かぶ。童顔で可愛らしく、小柄ながらちゃんと女性らしい体つきの彼女。そんな彼女がついさっきまでこの湯船に入っていた。そんな事実を突きつけられ、背徳感と罪悪感が私を突き刺してくる。
いや、考えすぎだ。そんなこと、温泉じゃ考えない。
そうだ、何もかも考えすぎ。これから一緒に住むのだから、いちいち反応していたら身が持たない。
私はもう考えることをやめ、ちょっとだけ勢いよく湯船に入った。入浴剤も何も入っていないお湯は温かく、でもいつもより良い匂いがするような気がした。
「先生、もうすぐ食べられますけどどうしますか?」
髪を乾かし終えた私がまた少し汗ばみながら洗面所からリビングに移動すると、神楽さんがキッチンからそう声をかけてくれた。時計を見ればもう八時になろうとしている。私はまだ大丈夫だけど、神楽さんはお腹空いてるかもしれないよなぁ。
「もう食べようかな」
「はい、じゃあすぐによそいますね」
私はすっかり綺麗になっている食卓テーブルに向かった。そこは念のため来客用に椅子を二脚用意してあったから、神楽さんが座るのに困りはしない。
ロクに使われていなかったカウンターキッチン、そこにささっと料理が並んでいくのを初めて見た。その光景にちょっと感動を覚え、思わず頬が緩む。同時に胸もむず痒いような感覚に襲われ、だらしなく緩みそうな口元をしっかりと結んだ。
「うっわぁ、すごい美味しそう。もう匂いからしていい匂い」
「カレーの匂いは食欲を刺激しますからね」
カレーのみならず、玉子スープにシーザーサラダもついている。なんとまぁ、豪華な食卓だろう。
「じゃあ、いただきます」
二人そろって手を合わせると、さっそく私はスープを一口飲む。これは私のルーティーンで、汁物があればまずそこから口をつける。それによってメインを受け入れる準備を胃にさせるのと同時に、口の渇きを癒すのだ。
「あっ、美味しい。すごい美味しい。なんかもう、バケツ一杯飲みたいくらい美味しい」
「えへへ、褒め過ぎですよ先生。でも、そう言ってもらえて嬉しいです」
誇張抜きで、すごく美味しい。優しい玉子の味と、やや濃い目のコンソメ味が妙にマッチしている。ワカメとネギもよいアクセントになっており、毎日でも飲みたいくらいだ。
そして目の前で嬉しそうにはにかむ神楽さんを見て、食卓全体が幸せに包まれる。あぁ、こんな食事はいつ以来だろうか。そんなことをしみじみ感じながら、私はカレーライスにスプーンを入れた。
「え、待って、美味しい。豚肉トロトロだし、野菜もしっとり柔らかい。辛さは中辛のはずなのに、すごいコクがあって爽やかな辛さだ」
一口食べて目を丸くし、そのまま神楽さんへと目を移す。するとまた満面の笑みを浮かべ、神楽さんが口元を波打たせていた。
「さすが小説家先生なんですね。食レポ上手いです」
「いやいや、この美味しさはちょっとすぐには言い表せないよ。えー、美味しい。お料理得意なの?」
「そうですね。家事全般好きなんですけど、お料理は特に好きですね。自分が食いしん坊なだけかもしれませんけど」
「正に好きこそものの上手なれ、だね。いやー、美味しい。こんな美味しいのは外でもなかなか食べられないよ」
手を止められない。このままずっと食べ進めたかったけど、折角の初日だ。少しくらい会話をして、お互いをよりよく知りたい。
「神楽さんさ、家政婦紹介所から来たって言ってたよね。高校卒業してからそこに就職したの?」
私は水を飲んだタイミングでそう訊いてみた。すると神楽さんは口に運ぶスプーンを止め、少し考えるように視線を上にずらした。
「いえ、もっと前からですね」
もっと前?
「え、じゃあ中卒で働き始めたの?」
「えぇと……まぁ、色々ありましてそんな感じですかね」
なんか言いたくなさそうだな。ここは無理に深掘りしない方がいいのかもしれない。
「そうなんだー」
だからことさら軽い調子で私は流す。
「でもさ、メイドに憧れてたって言ってたよね。どうして憧れるようになったの?」
「子どもの頃に見た漫画の影響が大きいですね。『ロンドン奉仕日記』という漫画なんですけど、そこに出てくるメイドさんがすごく何でもできて、可愛くて。素敵なメイド服を着てスマートにこなす姿が、本当に格好良くて可愛かったんです」
「あ、それ知ってる。マルグリットでしょ、そのメイド」
するとパッと神楽さんの顔が晴れ、少し身を乗り出してきた。
「先生、知っているんですか?」
「私もその漫画好きだったからね。あれは名作だよ。私もあんなメイドを書きたいなと思って、小説書いたくらいだから。それに、今もまだ追いかけてる」
あぁこの目、神楽さんのこの煌めきを私は知っている。誰にも理解されないと思っていた中で、わかる人が現れた時のやつだ。私も経験があるから嬉しいのはわかる。というか、神楽さんもその作品を好きでいてくれて嬉しい。
「ふふっ、なら一刻も早く先生の著作を読まないとなりませんね」
「じゃあ、晩ご飯の片付けを終えたら渡すよ」
「ほんとですか? もう朝までには読みますから」
「いや、ちゃんと寝てね」
さすがに社交辞令だろうけど、神楽さんなら本当にやりかねないと思ってしまうほどにこれまでの仕事っぷりが証明していた。




