第四話~消えた洗濯物の山~
それからしばらく仕事をしていたのだが、ふと漂うカレーの匂いに手が止まった。
あぁ、お腹減ってきた……。
お湯を注がないで香るカレーの匂いなんて、我が家では初めてだ。その匂いに現実世界へ引き戻されると、身体が悲鳴を上げていることに気付く。強く目を閉じ、ゆっくり開けてからパソコンに表示されている時計を見る。
五時か……。
背後からは調理する音が聞こえない。どうやら執筆に集中している間に終えてしまったのだろう。その代わり、洗濯機が頑張る音が聞こえる。
洗濯機……あぁ!
私は慌てて立ち上がると、辺りを見回した。すると脱ぎ散らかしていた衣服の山がかなり減っているのに気付く。洗濯を終えてそのままにしていた山も、だ。
さぁっと血の気が引いていくのがわかった。私はリビングをもう一度見回すと、片隅でアイロンをかけている神楽さんと目が合った。
「今、お洋服片付けさせてもらってます。晩ご飯はカレーライスですよ。あの、一応中辛で作らせてもらってますけど、辛いの苦手ならば甘くします」
屈託なく笑う彼女は慣れた手つきで、しわくちゃのシャツにアイロンをかけている。その周囲を見れば、畳まれた衣類が山になっていた。種類別で分けられた片隅には、私の下着もある。
……よけるの忘れてた。
「あの……もしかしてカレー、苦手でしたか?」
「あ、いや、大丈夫。カレー好きだし、中辛でいいよ」
我に返った私は慌てて笑顔を作り、何度もうなずく。すると心配そうな顔をしていた神楽さんの顔がふわっと花が咲くようにほころんだ。
こんな顔見てると、なにも言えない。
ロクに人前に出ないからよれたシャツや毛玉だらけのスウェットはともかく、若干ゴムの緩んだパンツなんかも畳まれているのはもう、仕方ないだろう。最初に言わなかったのもそうだし、よけなかったのも悪い。
……いやもう、いっそこの機に色々買い直すかな。
なんかもう、どっと疲れが押し寄せてきたけど神楽さんはなにも悪くない。ただ仕事をしているだけなのだ。私はそのまま浴室に向かおうとしたが、一歩踏み出した足をすぐに止めた。
「あの、きりの良いとこでお風呂沸かしてもらえるかな。浴室のパネルのおまかせってボタン押せばいいだけだから」
「はい、わかりました」
「それで私、ちょっと二時間ほど仮眠するから、先に入ってほしいんだよね」
すると思っていた通り、神楽さんが驚いて目を丸くする。
「えぇ、それは……。私は先生の仮眠後というか、全て終わってからでいいので」
思った通りの反応だ。だから私はしっかりと目を見て、静かに諭すように語りかける。
「これはね、効率の問題なの。私が寝ている間に神楽さんが入ってくれれば、その後に私が入っている間に食事の支度とかスムーズに進むでしょ。それに、終わってからと言っても私がコーヒー飲みたくなったら?」
「あぅ……」
それでもまだすんなり受け入れられないのか、困ったような顔で神楽さんはうつむいている。まぁ、気持ちはわかる。だからこそ、あまり言いたくない言葉を選択しなくてはならなかった。
「これはそう、強いお願いなの。とりあえずボタン押してくれたら一時間で沸き上がるから。で、私は起きてから三十分は入らないから。昔ね、寝起きで入ったら貧血で倒れたことがあってさ、その予防。だから一時間半くらいはゆっくりしていいからね」
「わかりました」
さすがに命令とは言えなかった。それでも神楽さんが納得してくれたのだから、成功だろう。私はにこりと微笑んでから、寝室へと入った。
いつもは気にならないけど、どこか淀んだ空気の寝室に思わず苦笑いが浮かんだ。枕元に常備してあった消臭剤を虚空に三プッシュくらいし、カーテンを閉めてから横になる。まだ上空に漂っていた消臭剤が降りかかってくるような感覚に襲われたけど、気のせいだろう。
とにかく少し寝よう。色々ありすぎた。
ただまぁ、メイドかぁ。こんなこと言葉にできないけど、低身長黒髪ポニテのメイドなんて私の癖にど真ん中ストライクだ。顔も良いし、胸もちゃんとある。そんな子とこれから一つ屋根の下なんて……。
ヤバイ、私の中のおじさんが強くなる。
ふらちな妄想が頭を駆け巡るけど、必死に振り払う。大体、まだ初日。相手のことをなにも知らない状態なのだ。幾ら女の子が好きだといっても、さすがに表に出せない。だからこそ、小説にそのパッションをぶつけて発散しているのだが。
あぁ、寝れるかな私……。
なんて心配は横になった途端、すぐに意識と共に消えた。




