第三話~始まりつつある新しい日常~
「えぇと……」
気まずい。改めて何を話せばいいのかわからない。
そう、神楽さんがどんな人かわからないから会話のきっかけがつかめないのだ。
基本、私は受け身。話をふられればそれなりに会話ができるけど、こちらから話しかけるのは苦手なのだ。例えば私の好きなことが相手にとって嫌いなことかもしれないと考える癖があるので、自分からは話しかけにくい。
それが初対面ならなおのこと。
ちらと神楽さんを見れば、ニコニコとしたまま黙ってこちらを見ている。
二十歳、とか言ってたっけ。六つ下か……。なら、なおのこと私が会話を始めないといけないのかな。かといって今は何を話してもお見合いトークみたいになりそうだな……。
「あの、先生」
知らず知らずのうちに視線を落としていると、不意に声をかけられた。私が驚いて顔を上げれば、神楽さんは相変わらず笑顔のままこちらを向いている。
「お昼はもう済ませたのでしょうか?」
「え、お昼?」
ふと壁掛け時計を見れば、一時半になろうとしていた。
「ううん、何も食べてないけど。なんなら朝も」
すると神楽さんが目を丸くし、すぐに心配そうな眼差しを向けてきた。
「えぇ? お腹空いて死んじゃいますよ。すぐに何か作らせていただきますね」
「あー……でも、冷蔵庫に何も無いよ。お酒しか入ってない。戸棚には何かカップ麺でもあった気がしたけど」
「じゃあ、とりあえずそれを作りますね」
メイドさんが作る料理がカップ麺? いいの?
「え、あの……別にいいんだけど、何かもっと、こう」
すると神楽さんが私の言いたいことを察したかのように大きく目を開けながらうなずいた。けれどすぐまた柔らかい笑みに戻る。
「もちろん、買い出しに行った後はちゃんとしたものを作ります。でも、朝も昼も食べていないのなら、まずは何でもいいから食べたほうがいいですよ。今から買い出しに行って料理してとなれば、時間がかかっちゃうので」
「あー、まぁ、そうね」
そうか。イメージだといつもしっかり作るってのがあったけど、今は緊急事態みたいなものだからか。
「じゃあ、さっそくお湯沸かしますね」
「あ、待って。それは私が作っておくから、買い出し行ってきてほしいな。えぇと、ちょっと待ってね」
私はとりあえずテーブルに無造作に置いてあった赤い財布から一万円を取り出した。
「とりあえずこれで、適当な食材買ってきて。あ、ちなみに今うちにお米も調味料も無いから。その他で必要なものがあったら、後で教えてね」
「わかりました」
ぺこりと頭を下げた神楽さんは踵を返し、先程着替えた部屋に入る。そうして間もなくしてメイド服ではなく、来た時の私服姿になっていた。
「あ、メイド服で買い物に行くんじゃないのね?」
「さすがに目立ちますから」
照れ笑いを浮かべ、神楽さんは一礼してから外へ出ていった。
パタンとドアが閉まると、一気に疲れが噴出してくる。もうこのまま寝てしまいたかったけど、神楽さんが帰ってきてもまだ何も食べていないとなったら何を言われるかわからない。
それに、しっかりお腹も空いた。
私は鍋に水を入れてコンロのスイッチを入れると、戸棚からカップそばを取り出した。
一時間ほどして、神楽さんが帰ってきた。手には大きめのビニール袋と五キロのお米を抱えていたけど、限界だったのか玄関に着くなりへたり込むように荷物を下ろす。少し息が乱れ、額にはうっすら汗をかいているみたいだ。
「おかえり。重かったでしょ」
「えぇ、すみません」
……今度から重いものはネット宅配便とかにしてあげよう。
「それより、先生ご飯食べました?」
「あ、うん、食べたよ。あれ、神楽さんは何か食べたの?」
「いえ、まだですけど」
少し落ち着いてきたのか、けろっとした顔でそう言ってきた。
うーん、でもここは食べさせないと。さすがにご飯抜きで働いてもらうのは気が引けるというか、人としてどうかと思うし。
「えっと、何も無いけどカップ麺でいいなら。カップそばはさっき食べちゃったから無いんだよね」
「えっ、でもそれ先生のですよね」
「いいからいいから。共同生活なんだし、同じもの食べないと。それにさっき、神楽さんが言ったでしょ。まずは何でもいいから食べたほうがいいって」
するとふっと神楽さんの頬が緩んだ。あどけなさの残るその顔が妙に可愛らしく見え、不意に私の胸がきゅうっと甘く締まる。
けれどすぐ、これは庇護欲みたいなものだと思い直す。若い子が感謝するから、年上の私が満たされた。ただそれだけだ。
「お湯、わかすよ。カップ麺は……醤油ラーメンでいいかな」
「あ、いえ、私やりますから。先生はどうぞ、お仕事なさっていて下さい」
「コンロの使い方とか教えるから。それに、どこになにがあるのかとかも。グチャグチャだけど、場所知っておいたほうがいいでしょ。まぁ、好きなように片付けてかまわないんだけどね。神楽さんの使いやすいレイアウトにしちゃっていいから」
「ありがとうございます」
すっくと神楽さんが立ち上がると、ぺこりと頭を下げた。そうしてまた部屋に戻ってメイド服に着替え直す。手間なんじゃないのかなと思ったけど、きっとこれが彼女のスイッチなのかもしれない。
一通り教えてから私は言われるがまま、リビングにあるパソコンに向き合っていた。背後からは静かに麺をすする音と、ほんのり良い醤油の匂いが漂ってきている。
集中、しにくいな……。
しかしこれも今だけで、食事のタイミングがずれるからこうなるのだろう。晩ご飯を一緒に食べれば、そういうこともないはずだ。とにかく、向こうは仕事で来ている。私の仕事をはかどらせるという仕事をしに。
ならば私もちゃんとやらないと。
プロットと本文の執筆画面を交互に見て、意識をそこに没入させていく。物語の世界に入り込みつつ、俯瞰的に見渡しながら世界を補強していくのが私の書き方。そうして登場人物を一見バラバラに動かしつつ、詰将棋のように結末へと向かわせていく。
今書いているのはミステリー小説。三船出版からの指定で、内容は何度も瑞希と擦り合わせた。他の作家はわからないけど、私は毎晩書き上がったものを瑞希に提出し、その後の展開についても添えている。
実際、彼女は有能な編集者だと思っている。
小説家の求めるものは様々だろうけど、最終的にはただ一つに帰結すると思っている。
それは『読者が楽しんでくれる』ということだ。
お金、名誉、その他副産物はもらえるものならもらいたいけど、根本はこれだろう。その点、瑞希はとてもよく私の作品を読んでくれて、しっかり褒めてくれる。褒めつつ、もっとこうしたらいいのではと提案してくれるのが嬉しい。
まずは自分を楽しませ、そして次に瑞希に褒められたいがために書いている。
そんな思いを原動力に書いていると、ふと喉の渇きを覚えた。私は手を止め、一つ息を吐く。
……いいのかな、頼んでも。
背後からはキッチンを整理している音が聞こえる。忙しいのかなと遠慮しそうになるけど、きっと私の要求を叶えるのも仕事なのかもしれない。そうわかっているけど、躊躇してしまう。
数分程度頭を抱え、迷っていた。そうしてぐるぐると思考を巡らせていたけど、だんだん考えるのがもう面倒になって私はゆっくりと後ろを向く。
「あの、コーヒー淹れてもらってもいい、かな?」
するとすぐに整理する音が止まった。
「はい、わかりました。あの、戸棚にあるインスタントでよろしいんでしょうか?」
声の響きやニュアンスに不快さや苛立ちはなさそうだった。私はもうそれだけで胸が軽くなる。
「そう。あの、少し多めに粉入れて、砂糖も多めに。その辺にある緑のマグカップになみなみでお願いします」
「わかりました」
するとすぐ鍋に水を入れ始めたのが見えたので、私はもう安心してパソコンに向き直った。そうしてポチポチと執筆していると、ほどなくして神楽さんが近付いてくるのがわかった。
「どうぞ。あの、薄いとか濃いとかあれば教えていただけると嬉しいです。次回の参考になりますので」
そっと神楽さんがマグカップを私の傍に置いた。湯気立つコーヒーの香りが私の緊張した心をやんわりとほだしていく。
「わかった。でも私、猫舌だから感想言うのは十五分くらい後になるけど」
すると神楽さんの唇がきゅっと締まり、一瞬大きく開かれた目が下を向く。
「すみません。熱湯で入れてしまいまして、その……」
「いや、それは別に謝ることじゃないよ。だってそうしないと、粉溶けないでしょ。それに私、執筆に集中している時間があるから最初から適温だと飲み終わる頃は冷たくなるからこれでいいの」
優しく笑いかければ、神楽さんも同じように笑ってくれた。彼女の心がゆっくりほどけるのがわかる。私はそれが嬉しくて、必要以上に頬が緩んだ。




