第二話~契約成立~
「ごめんなさいね、汚くて」
最近掃除もあまりしていなかったから、廊下の隅にホコリが丸くなっているのが目につく。脱ぎ捨てた靴下が落ちていたり、読み散らかした本がリビングに散乱していて今更ながらに恥ずかしくなる。
「いえ、ここを綺麗にするのが私の仕事ですので」
まぁ、そうか。そのために呼ばれたんだものね。
とりあえずソファの上にあるものを全て下に置き、彼女の座るスペースを作った。私と瑞希は向かい合うように反対側のソファに腰かける。
だけど彼女はにこにことしたまま、座ろうとしない。私と瑞希が顔を合わせた時、あぁそういうことかと気付く。
「どうぞどうぞ、かけて下さい」
「ありがとうございます」
どう見ても十代だろうけど、その所作は思いのほか美しかった。軽く会釈し、すっと腰を下ろすその姿だけで教育が行き届いているなと感心してしまったくらいに。
「えぇと、私は三船出版の編集者をしている桐山です。こちらが今回の雇い主になる、瀬川あやめ。小説家で、夢野桔梗というペンネームで活動してます」
「え、待って。私、雇い主なの?」
もう何もかもが知らないことばかりで、理解が追いつかない。すると瑞希がこそっと顔を寄せてきた。
「会社から原稿料上乗せって形でお金は出ますから。それにうちの会社が雇用主だと、意思決定が複雑になるでしょう。先生が雇ってるって事にした方がなにかと楽なんですよ」
「そ、そうなの?」
何だかもう、私の意思はとうの昔に置き去りにされているみたいだ。
「小説家先生なんですね。素晴らしいです」
胸の前で手を合わせ、目を輝かせるその姿がやけに眩しい。それなりに著作が売れて、何とか専業で食べていける私だけど、こういう反応を見る機会があまりないから嬉しかった。
「先生はうちの出版社から四冊出しているんですよ」
「是非あとで拝見させていただきます」
何だろう、嬉しいんだけど妙に気恥ずかしい。背中がむず痒くなる。
「それで、仕事の話に戻します。事前に説明があったかと思いますけど、神楽さんはこれから基本的に住み込みで働いてもらいます」
「はい、聞いております」
流れるような会話の中で、私の疑問が置き去りにされそうになった。
「待って、住み込み? ずっといるってこと? 聞いてないよ」
「そりゃあ先生には今、初めて話しましたから」
事前に話していたら絶対ゴネると思ってたから隠してたな……。
「いやだって……部屋とか……」
「向こうに半分物置になってる部屋があるじゃないですか」
「一日数時間の通いとかでも」
「先生、いいですか?」
ずいっと瑞希が顔を寄せる。
「ご飯はもちろん、お風呂わかしてもらったりコーヒー淹れてもらうのは通いじゃ難しいですよね。それらの手間が全部解消されるんですよ。夢じゃありませんか、四六時中お世話されるなんて」
「それは嬉しいんだけど」
「ならいいじゃないですか。それに先生は少し、人の目を意識して生活した方がいいですよ。気付いたら創作活動以外は際限なく堕落していく人なので」
反論する間もなく畳みかけられた。そしてそれは全部事実だから、ぐうの音も出ない。
「そもそも先生、二冊目の著作で住み込みメイドさんのお話書いてましたよね。ほら、創作が現実になった。こんな素晴らしいことはないですよ」
「メイドさんって言うけどさ、別にメイドっぽくないよね。普通の服だし」
私が神楽さんを見ると、そう言われるのを予想していたのか彼女がポンとその大きなカバンを叩いた。
「ちゃんとこの中に入っていますよ。実はですね、私個人的にメイドに憧れていて、そういうのも大好きなんです。家政婦紹介所で働いてるのも、お世話するのが好きだからなんですよ。今回、そういう指定があったので真っ先に手を挙げさせてもらいました」
「それに先生、メイド服で歩き回っていたら相当目立つじゃないですか。マンションに入ってるの見られたら、すぐSNSで話題になりますよ」
正論を言っているんだけど、何だかメチャクチャな気もするのは気のせいだろうか。
「あ、じゃあ神楽さん、着替えてきてもらっていいですか? そこの部屋、神楽さんの部屋にと考えていたので」
まるで家主ばりに指示をするけど、瑞希は一介の編集者であって特別な関係ではない。けれど私はもう断れる雰囲気じゃないので、ちらっと確認の目を向けられても曖昧にうなずくしかなかった。
「では少し、失礼いたします」
そう言うなり半分物置部屋と化している空き部屋に神楽さんが入っていった。パタリとドアが閉まると、すぐに瑞希が顔を寄せてくる。
「可愛いですよね、神楽さん。先生好みですか?」
「いや、ずいぶん若いでしょ……何歳なの、彼女? どうせ知ってるんでしょ」
すると瑞希がスマホを取り出して調べ始める。けれどそれはさして時間がかからなかった。
「二十歳ですね。あ、成人済みだからってお酒とかタバコとか変なことは駄目ですからね」
「しないわ」
二十歳? あの見た目で?
「まぁでも私は理解ある編集者なので、何も口外しませんけど」
「だから、そういうのは無いから」
などと言い争いしていると、カチャリとドアノブの回る音がした。私と瑞希が言葉を止めてそこに視線を集める。するとゆっくりとドアが開いた。
それはもう、まごうことなきメイドだった。
ヘッドドレスは小さいけど純白に輝き、ロングスカートで変な装飾の入っていないクラシカルなメイド服。エプロンもフリルが立っておらず、シンプルな形。メイドさんをイメージするならば地味だけど、メイドならば現代寄りだと言える姿だった。
「どうでしょうか。指定がありましたので、この姿でやらせていただきたいと思うのですが……」
現実の女性がこんな格好をしているのはテレビでコンカフェ特集をしているか、いわゆる大人のお店でしているかの二択だった。だから目の前の姿に現実味がなく、私はぼけっと立ち尽くすしかない。
「先生、メイドですよ、メイド。うわぁ、すっごい似合ってますよね」
「うん……いるんだね、本当に」
「えへへ、ありがとうございます」
褒められた神楽さんがスカートをつまんで挨拶し、そうかと思えばくるりと回る。ふわりと軽く浮いたスカートが可愛らしく、年相応の無邪気さを感じさせた。
「それで先生、もちろん働くことを許可しますよね」
その言葉に我に返った。
本音を言えば誰かと一緒に暮らすのはしたくない。見せたくないプライベートだってあるからだ。でもここまできて追い返すのはみんなに悪い気がするし、何よりメイドさんが家にいるなんて後にも先にも無い出来事。
どういうものか、興味はある……。
「まぁ、お試しで。無理そうならキャンセルでもいいでしょ」
「そうですね。誰かと一緒にいるストレスで書けなくなると本末転倒ですから」
瑞希は咳払いを一つすると、改めて私の方へ向き直った。
「じゃあ、とりあえず住み込みという形で。私はそろそろ違う作家さんのところへ行かないとならないので、失礼しますね。神楽さん、先生をお願いします」
「わかりました。ご期待に添えられるよう、一生懸命やらせていただきます」
元気よく神楽さんが頭を下げると、それを見て満足げに笑った瑞希が腰を上げる。
もういなくなるの、といった不安が急に襲いかかる。でも瑞希だって仕事があるし、私にも仕事があるから引き留められない。バタンとドアが閉まると、その残響音が少しの間この空間を支配していた。




