第四十七話~新しいマグカップ~
いつもどおり「おはよう」を言い合い、いつもどおり朝ご飯を食べる。その間にテレビをつけて、流れるニュースに二言三言言い合う。
神楽さんは決してでしゃばらない。それは生い立ちからなのか、それとも成長過程での生きる術なのかはわからない。
ただ、私には心地良かった。
ニュースに独り言ちるように、時折同意を求めるように発言しても、基本的に神楽さんのスタンスは寄り添う。議論や論戦が好きな人には物足りないだろうけど、寝ぼけ眼でニュースに愚痴る私からすればちょうど良かった。
昨日傷付いたとしても、今日はかさぶたになっている。やがてそれも剥がれ落ち、強く新しい肉体が生み出される。二人ならば、関係性だ。
一緒にいてケンカをしない関係は不健全だろう。一方の主張を受け入れ続けているのなんて、おかしい。だから昨夜の痛みだって、私達の今後に必要なものだろう。
そうしなければきっと、私は神楽さんをもっとぼんやりとした存在にしか感じなかっただろうから。
私も神楽さんも、きっと前に進みたいのだろう。過去を振り返っても、それが補正を抜きにしても美しくないから。
そこに至り、ようやく私は神楽凪という人間を少しだけ理解できたような気になった。
十時過ぎ、私達は家を出て近所のホームセンターへと足を運んだ。開店してすぐのそこは特別な日でもないので、それほど混んでいない。神楽さんが買い物かごを持ち、私達は天井からぶら下がっている案内表示を頼りに、歩みを進める。
「わぁ、いろいろあるんですね」
売り場に着くなり、神楽さんが私にキラキラした目を向けてきた。ちょうど陶器フェアらしい。私としてはたまに訪れれば、こうした催しを大なり小なり見かけているからか、特別感は生まれない。
「これなら選び放題だね」
そう言いながら私はゆっくりと商品を見て回る。割れたマグカップはネコの絵柄だった。有名なキャラクターではなかったものの、使い続けているうちに愛着がわいたのだ。今回はどんな柄にしようかなぁ。
「神楽さん、別に一緒に見て回らなくてもいいからね。お互い自由に探そうよ」
「あ、はい。そうですね」
五分ほど一緒にくっついて歩いているのに気付き、私はそう提案する。神楽さんはちょっとだけ気まずそうに笑うと、私と反対周りで探し始めた。
うーん、文字だけのとか無地なのは可愛くない。別の動物にしようかなぁ。でも私、ネコ好きだし、今回もそうしようかなぁ。ただ、思い切って変えるのもありだし……。
何度も同じ棚を見たり、別の所に行っては戻ったりと久々に買い物で迷ったものの、結局私は可愛らしいネコが描かれたマグカップに決めた。自分のが決まったので神楽さんのところへ近付けば、神楽さんも商品を手にしていた。
「決まった? どんなの買ったの?」
「えっと、これにしようかなと」
すっと差し出してきたのは同じ色合いの、これまた可愛らしいネコの絵柄のマグカップだった。というか、私が選んだのと別バージョンじゃない。
「待って、私もこれなんだけど」
自分が手にしていたそれを神楽さんに見せると、なんだかおかしそうに笑った。私も笑いが堪えられなかった。そうして笑顔でレジへと向かう。
新しい一歩としてはちょうど良いだろう。
ホームセンターを出て、そのままスーパーで買い物をすることにした。必要な食材を買い、二人で分担して持つ。神楽さんは一人で持つと言っていたけど、それはさすがに私の居心地が悪かった。
昨日の雨はもうすっかり晴れていて、陽射しがやや強くなってきた。私は胸いっぱいに空気を吸い込み、大きく吐き出す。町の匂いはいつもと変わらない。
道路には昨日の雨の跡がまだ少しだけ残っている。きっとこの天気だ、もうすぐ消えるだろう。
「あのさ、昨日はどうして公園にいたの?」
ゆっくり景色を楽しみながら、そっと言葉を渡す。責めた感じを出さず、単なる雑談のように。壊れそうなガラス細工を扱うように。
「……わからないです。お買い物に行って、でも何も買えなくて。どうしたらいいのかわからなくなって、どこに行けばいいのかもわからなくなって、気付いたらあそこに」
少し目を伏せ、神楽さんの声のトーンが落ちる。けれどすぐ、神楽さんは顔を上げて真っ直ぐに前を見た。
「でも、今ならちょっとだけわかります。きっと私、見つけてほしかったんだと思います」
そのあまりにも正直な心に、私の胸が少しだけ痛んだ。
「まぁ、確かにまったく心当たりのない場所だと見つけられなかったかな」
言葉がそこで途切れると、また無言になる。けれど優しい風が通り過ぎ、不思議とこの沈黙さえも肯定されているような気になった。
「先生は、どうして捜しに来てくれたんですか?」
家まであと半分の距離になった時、そっと神楽さんが問いかけてきた。これまた気遣うような、シャボン玉のような問いかけ。私は少しだけ考えてから、大きく息を吐いた。
「一言では難しいかな」
「長くてもいいですよ」
ほんの少しだけ上を向いてから、私は真っ直ぐに前を見た。
「雨降ってきたじゃない。あれで、怒りよりも心配の方が強くなったんだよね。傘、持ってないだろうなって」
「傘、ですか」
きょとんとした神楽さんだったけど、小さく笑った。
「優しいんですね」
「そんなことないよ。暗くなっても帰ってこないことに心配するより先に、腹も立っていた。事件や事故に巻き込まれたら、私が悪者になるんじゃないか。瑞希に知られたら問題になるだろうなとか、そんなことを考えていたよ」
言葉にしてから、言わなくてもよかったんじゃないかと唇を強く閉ざした。横目で神楽さんの反応を確認すると、それでも微笑みは失われていない。
「でも、来てくれました。しかも、走ってきてくれましたよね」
なんだかもう、恥ずかしさでいっぱいで、私は目をそらすしかなかった。




