第四十話~小人閑居にして不善を成す~
午前中はお互い、それぞれの仕事に集中した。昨日楽しかった分、今日は気を引き締めていこう。お互い、言葉を交わさずともそう思っていたのだろう。
神楽さんの家事の音、そして私のキーボードを打つ音がスマホからの音楽をどこか遠くへと連れて行く。
小説を書くことは当然、楽しいだけじゃない。書きたくないシーンもあれば、書くのが難しいシーンもある。面白い山場を迎えるために、残酷な谷間を書かないとならないのだが、そこで読者が離れやしないかといつも悩む。
私はキーボードを打つ手を止め、大きく背もたれに寄りかかると、腕組みをした。
……このキャラ、どうやって退場させようかな。
いくつか案はある。けれど綺麗な感じにするならば、王道となってしまう。私があまり見たことがないような展開にするなら、かなり強引になってしまう。いつもこうしたバランスに悩み、ひどい時は一日書けなくなってしまう。
十五分、パソコンを見詰めたまま何も浮かばない。私は思わず救いを求めるように神楽さんのほうを見ようとしたけれど、やめた。
素人の意見を求めたくなる時だってあるけれど、神楽さんを都合の良い読者にしてしまうのはよくない。私は弱いから、すぐに依存してしまう。それに、今は神楽さんもプロとして仕事をしている最中。邪魔をするのはよくない。
とはいえ、なにも浮かばない。どうしよう……。
「あのぅ、先生。お忙しいとこ、すみません」
目をつぶって腕組みをしながら考えていると、不意に神楽さんに話しかけられた。私はびくりと肩を震わせ、慌てて神楽さんのほうを向く。
「お昼ですが、なにか食べたいものありますか? ちょっとお買い物に行こうと思いまして」
時計を見れば十時半を過ぎたところだった。お昼ご飯……小説で考えることがあるのに、この上お昼ご飯も考えないとならないのか。
いや、もうあれでいいや。
「焼きそばで。市販の普通のソース味のやつ」
「わかりました」
困ったらお昼は焼きそば、私はずっとこうしている。安いし、簡単に作れるし、出来上がるのも早い。おまけにアレンジの幅も広い。そして美味しい。言う事無しだ。
ほどなくして神楽さんが買い物に出かけると、しばらくパソコンとにらめっこしていた。しかし、ふと気付く。
……なんか、家に一人って最近あまりなかったなぁ。
一旦思考がそっちに流れると、今しかできないことを考えてしまう。久々に日の高いうちからやらしいサイトを見ようか、それとも神楽さんの部屋に入ってみようかなど。神楽さんの部屋にはなし崩し的に何度か入ったけど、じっくり見てはいない。
あの部屋も、私の家の一部だし……。
別に何をするわけじゃない。ただ、内装を見てこういう感じなんだと知りたいだけ。荷物をあさるとか、そういうのは一切ない。ちょっと覗き見すれば、それで気がすむ。
私は胸をざわつかせながら腰を浮かせたけど、すぐに下ろした。そうして自分の愚かさに、苦笑いしながら溜息をつく。
ダメだよなぁ。こういうのはバレなくても、信用を失うよ。
昨日の夜の出来事が思い浮かぶ。酔っ払っていながらも、好きと言ってくれた。あんな無邪気な顔で笑いかけてくれ、体を寄せてくれた。全部、私を信用してくれているからだ。そして私もそれが心地良く、嬉しかった。
だからこんなつまらないことで、なにもかもを捨てるわけにはいかない。
小人閑居にして不善を成す。ほんと、私のためにあるような言葉だ。寝食を忘れるほどの小説から離れると、ロクなことをしようとしない。小説が売れようが、ドラマ化されようが、実際の私はロクな人間じゃないんだよなぁ。
戒めるように頬を叩くと、私は再び小説の思考へと没入していく。
すると、不意に着信音が鳴った。
せっかくやる気になったのに、なんて心の中で悪態をつきながら画面を見れば『桐山 瑞希』の文字。はて、一体何だろうか?
まさか、ドラマ化の話がなくなったとか?
「もしもし」
「もしもし、おはようございます。もう仕事してました?」
声の調子に落胆が見られないから、そこまで悪い話ではなさそうだ。
「うん、してたよ。といっても、午前中は藤崎さんのとこの仕事だけどね」
「おぉー、頑張ってますね。さすが売れっ子作家」
「うるさいよ。それで、どうしたの?」
「実はですね、ちょっとその藤崎さんと会いまして。二人でそちらに行こうとなったんで、今から行ってもいいですか?」
強引すぎる……。
「待って、今から? もうすぐお昼だよ」
「えぇ。まぁ、お土産がてらピザでも買って行こうと思いますので。あ、神楽さんそこにいます? どんなのが好きか訊いてもらえますか?」
「今はお昼ご飯の買い出し中だよ。お昼は神楽さん特製の焼きそばって決まったんだから、ピザはまた今度にしてよ」
「でも、もうピザの口になっちゃってるんですけど」
知らないよ、そんなの。
「じゃあ、二人でピザ食べてから来ればいいじゃない」
「あ、でも、神楽さんって料理すっごい上手なんですよね? 焼きそば、食べてみたいかも」
「焼きそば、市販のは三玉でしょ。四人じゃ足りないでしょ」
「それは藤崎さんに犠牲になってもらうんで」
すると電話越しになにか言い合いするのが聞こえた。ほんと、仲が良いなぁ。
「わかったわかった。じゃあ、焼きそばを四人で分けるから、ピザ買ってきてよ。神楽さんはなんでも良いって言うんじゃないかな。私はいつものように、マルゲリータかペパロニみたいなシンプルなやつでお願い」
「じゃあ、十二時めがけて行きますね」
嵐のような電話が終わると、玄関のドアが開く音がした。そしてすぐ、買い物袋が置かれる音がする。
「おかえり」
「ただいまです」
にこりとした笑顔を向け、神楽さんが靴を脱ぐとすぐに買い物袋を持ち直してキッチンへと向かう。そうして冷蔵庫に食材を詰めようとしたところで、私はほんの少し申し訳なさを感じつつ、口を開いた。
「あのね、十二時に瑞希と藤崎さんが来るみたいなんだ。お昼にピザ買ってきてくれるらしいんだけど、神楽さんの焼きそばも食べたいんだって。四人分に分けて作ってもらってもいいかなぁ」
けれど私の懸念もなんのその、神楽さんは嬉しそうに笑った。
「わぁ、いいですね。焼きそば四人前ですか、もちろん大丈夫ですよ。ちなみに先生はどんなピザが好きなんですか?」
「私はマルゲリータかペパロニみたいな、シンプルなのが好きだよ」
「えへへ、そうなんですね」
「神楽さんはどんなのがいいの?」
「ふぇ? 私ですか? 私はその、シンプルなのも当然好きですけど、たくさん具が乗ったやつが好きですね。ピザってお祭りのイメージがあるので」
ニコニコしながら答える神楽さんの言葉を聞くなり、私はすぐに瑞希に電話した。
「もしもし? 一枚は具沢山のやつにして。え? いいでしょ、シンプルなのばかりじゃつまらないって。じゃあ、お願いね。具体的なのは任せるから」
神楽さんは不安げに視線をさまよわせていたけど、私が安心させるように大きくうなずき、親指を力強く立てた。すると神楽さんも嬉しそうな笑顔を見せ、冷蔵庫に食材を詰め始めた。




