第三十六話~オイスターバーにて~
夕方の六時、私達は予約したオイスターバーにいた。何度か行ったことのある店で、牡蠣が好物の私にとって天国のような場所。もちろん牡蠣以外の料理も美味しいし、お酒もいろいろ置いてあって選ぶのも楽しい。
「こういうとこ、初めて来ました」
神楽さんは甘めのデザインの青いブラウスに黒スカートという、落ち着いた格好をしている。誰でもそうだけど、特に神楽さんはメイド服の印象が強いから、こういう格好になると一段と可愛く見える。
それに髪型もいつものポニーテールではなく、低い位置で一つ結びにしているからか、落ち着いた印象を受ける。
「牡蠣専門店だけど、それ以外の料理も美味しいんだよ。ほら、このクリームパスタは絶品だからぜひ食べようよ。その前に、まず飲み物だね」
私はメニューを広げ、神楽さんに見せる。しかし何十種類もあるお酒は名前だけではわからないのも多い。だからか、神楽さんが次第に困ったような顔になっていく。
「わからないの多いよね。私が決めてあげようか?」
「えへへ、お願いします。見たことのある名前もあるんですけど、どんな味なのかちょっとわからなくて」
「まぁ、甘くて、度数がそんなに高くないのを中心に選ぶから。そうだなぁ……」
前回美味しかったから、これにしようかな。
「すみません。サングリア二つお願いします」
店員さんにまず飲み物を注文すると、私はフードのページを開き始めた。神楽さんはそんな私をキラキラした目で見詰めてくる。
「サングリアって、なんでしょうか? すみません、勉強不足で」
「ワインをベースにしたカクテル、だったかな。食前酒として飲まれることも多いお酒だし、甘くて美味しいよ」
「そうなんですね。やっぱり先生、物知りですね」
「いやいや、ただ飲みに行くのが好きで自然と覚えただけだよ。さぁ、料理を選ぼう。気になったもの、好きなものを自由に頼もう。一人で食べても、シェアするように食べてもいいからさ。自由にいこう」
「わかりました」
私は生牡蠣を多めに、神楽さんはアヒージョなど加熱した牡蠣を注文する。他にもパスタやポテト、肉料理なんかも。これ以上はテーブルに置けなくなるだろうと思ったところで、一旦注文を止め、私達は互いに顔を見合わせた。
「じゃあ、乾杯しよう。いつもありがとう、神楽さん」
「おめでとうございます、先生」
サングリアと生牡蠣が届くなり、互いをねぎらってグラスを重ねた。神楽さんのところにはお通しのシーフードのマリネだけなので、私のところに届いた生牡蠣を二つ、小皿に載せて渡す。
「生牡蠣は苦手?」
「ほとんど食べたことがなくて。あと、当たるのも怖いので」
「まぁ、無理にとは言わないけど、ここのは美味しいよ。こうして、添えてあるレモンを絞って、そのまま」
お手本のようにつるりと牡蠣を食べる。海水のしょっぱさとレモンの爽やかな酸味、そして噛むと甘い牡蠣のエキスが口の中に広がった。さすが海のミルク。
「なんだか先生の美味しそうな表情見ていたら、食べたくなっちゃいました」
すると神楽さんも私の真似をして食べた。
「ん……んー!」
まだ口の中に入ってるから、喋れないのだろう。それでも嬉しそうな声が漏れ、目が大きく見開かれる。何度もまばたきをし、そのたびに口角が上がる様子を見て私も嬉しくなった。
「美味しいですね、すごく。えー、こんなに美味しいんだぁ……」
「このみずみずしさ、海を感じる味わいは生牡蠣ならではだよね。蒸しも焼きも好きなんだけど、やっぱり私は生なんだよね」
「わかる気がします。あと、お酒美味しいですね。あー、先生のお祝いのはずなのに私がこんなに幸せになっちゃってもいいのかな」
「全然いいよ。楽しんでる姿を見るのは私も嬉しいからさ」
大学生の時、先輩と居酒屋で飲んでいると同じようなことを言われた。あの時は飲んでいるほうが楽しいのにと思っていたけど、今ならわかる。若い子が美味しそうに食べたり飲んだりしている姿を見るのは幸せなのだ。
次々と料理が運ばれ、その都度、二人して舌鼓を打つ。お酒はなるべく抑え気味にし、純粋に料理を楽しむ。それは次を考えての行動だった。
「あー、美味しかったね。神楽さん、満足できた?」
二時間ほど堪能してから外に出ると、少しひやりとした夜風が私達を撫でた。けれどほろ酔いだからか、それすら心地良い。
「はい、すごく満足しました。どれも美味しかったです。私、あのクリームパスタが特によかったです。先生がオススメするだけありました」
「あれ美味しいよねー。濃厚で、でもくどくなくて。私はね、今日はガーリックシュリンプが一番よかったかな。あ、生牡蠣はもう殿堂入りだからね」
「生牡蠣、美味しかったです。先生と一緒にいて、また新しい発見ができました」
ほんのり頬を赤くしている神楽さんが、いつもより可愛く見える。服装のせいなのか、それとも場所のせいなのか、はたまた元々か。
「神楽さん、もう少しこの夜を楽しみたくない?」
いたずらっぽくそう訊けば、神楽さんもなにかを察したのかにまりと嬉しそうな表情に変わる。
「えへへ、なにかあるんですか、先生?」
「あのさ、前にスーパーで会った飲み屋をやってるってお姉さん、覚えてる?」
一瞬神楽さんの視線が宙を向いたが、すぐに私に戻った。
「あ、はい、覚えています」
「最近ご無沙汰だったから、凛さんの店に行こうかなって。神楽さんをそこにいつか連れて行きたかったんだよね」
「そうなんですね。じゃあ、おともしちゃいます」
茶目っ気たっぷりに言う神楽さんは、きっと酔っている。でも、そこまでではないだろう。きっとこの楽しい雰囲気に酔っているのかもしれない。
でもそれでいい。私はすぐさまタクシーを停め、凛さんのお店へと向かった。




