第三十五話~ビッグニュース
目覚めて外を見れば、薄曇りだった。そうか、朝の七時半なのにちょっと暗いなと思ってたら、あまり天気が良くないのか。
しかし私は薄曇りくらいが好きだ。眩しくないし、暑くもない。真っ暗だとさすがに落ち込むけど、日中の薄曇りくらいだと気分が落ち着く。晴れよりも元気を強要されないのがよい、なんて勝手に思っているから。
「おはよう」
「おはようございます、先生」
寝室から出ると、神楽さんがついさっき食べたであろう自分の食器を洗っている最中だった。すぐに神楽さんは手と水を止め、私に笑いかける。
「朝ご飯、どうしましょうか。冷蔵庫にある程度は食材が揃っていますので、大体のものは作れますけど」
「今日のお味噌汁はどんな感じ?」
「先生が好きだと言ってた、溶き卵のお味噌汁です」
朝一番に好物がある。それだけで気分が上向きになった。
「じゃあそれと……バターご飯にしようかな」
「バターご飯ですね。わかりました。かつおぶしとかいります?」
「ううん、いらない。バターは一センチ幅くらいのをひとかけら欲しいな。醤油は自分でかけるから」
ある程度の収入を得られ、世間では人気作家と言われても、バターは高価なものだというのが幼少期から刷り込まれている。だから健康とかそういうのじゃなく、バターご飯はたまにしかやらない。
「サラダとか副菜はどうしましょう?」
「サラダは食べる。味付け玉子とかあったら、欲しいかな」
「はい、ありますよ。じゃあ、それもお出ししますね」
トイレに行ってから食卓の椅子に座ると、すぐに朝食が並べられた。特筆すべきはやはり、バターご飯。混ぜやすいようにどんぶりに熱々のご飯がよそわれ、その上に指定した大きさのバターがごろりと置かれている。
私はすぐにそれをかき混ぜる。潜り込ませて溶けだしたバターを絡ませ、まだ塊が残っているとそれを周囲のご飯に塗りたくる。そうしてご飯がテカテカに輝いたところで、醤油をドバドバかける。
絶対、健康には良くない。でも、癖になる。
そしてこのご飯は冷めたら一気に美味しくなくなるので、急いでご飯をかきこむ。スピード命。お酒によって失われた油分と塩分の補給に最適だ。
すさまじい勢いで食べ終わると、私は身支度を整えることにした。
別にどこに行く予定もないけど、神楽さんがどこかに行くのならついていこうかなと思っているだけ。それに、以前は日がな一日パジャマ姿だったけど、最近はちゃんと着替えている。
と言っても、家にいる間はTシャツに下がジャージかスウェットと大差ない格好だ。それでも着替えて、一日同じ格好をしていないというのは私にとって大きい。着替えたという行為が私と、神楽さんや他に向けてのアピールに他ならないからだ。
身支度を整えると、仙谷出版の原稿に取り組む。三船出版は本格ミステリーを書いているけど、仙谷出版のほうは群像劇を使ったミステリー。本当はもっとガラリと作風を変えたかったけど、そうして読者が離れれば意味が無い。
神楽さんが家事をする音をどこか心地良く感じながら仕事をしていると、スマホに着信が入った。誰だろうと見てみると『桐山 瑞希』の文字。一体なんだろうかと考えつつも、出ないわけにはいかない。
「はい、もしもし」
「せ、先生! おめでとうございます!」
慌てたような、どこか息を切らすような大声に思わず私はスマホを耳から離した。
「え、なに? どうかしたの?」
嫌味一つ言ってやろうかと思ったけど、おめでとうと言うからにはなにかめでたい知らせなのだろうか?
「あのですね、先生の『まどろみの園』がドラマ化されるみたいです」
「えぇ?! ほんとに?」
思わず出た大声に、何事かと神楽さんがこちらを向くのが見えた。というか、聞き間違いじゃなかろうか。ドラマ化? 私の作品が?
ドッキリとかじゃ、ないよね……。瑞希、そんな嘘は言わないし……。
思わず目の前が白んでいき、手が震え出す。汗がぶわっと噴き出て、背中を濡らした。
「ほんとです。版元であるうちに、テレビ局の方から打診がありまして。企画書ももう送られてきてて、あとは先生の許諾があれば契約を含めて進めたいと」
「待って、話についてけない」
頭がこんがらがってきた。いや、内容はいたってシンプルなはずなのに、現実味が無いからか上手くとらえられない。
「えぇと、難しい話は私やうちの会社のほうで何とかします。後日、先生も同席してもらって、ちょっとお話があるくらいで、あとは今まで通り作品に集中してもらってかまいませんから」
そうは言われても……。
「あのさ、ちなみにローカル局の深夜番組かなにか?」
「いえ、全国区で夜十時からです」
……嘘でしょ。
「あのさ、それって……すごいことだよね?」
「当たり前じゃないですか。ずっと言っているでしょう、先生の影響力はすごいんだから自覚を持ってくださいって。こういうことになるんですから」
いつか有名になりたい、もっと世間に認知されたいと常々思っていた。だけどまさか、本当にこんな話が舞い込むなんて夢を見ているみたいだ。
「待って、ちょっと下世話なこと訊いてもいい? 大事なことなんだけどさ」
そう言ってから、大きく深呼吸をする。自分の作品がドラマ化。それはものすごく素晴らしいことで、名誉でもある。人生において一つ大きな記念碑が自分の中に建ったかのよう。
だからこそ、訊いておきたかった。
「どのくらいお金が入るものなの? 瑞希のとこ、他にもドラマ化された作品あったよね」
「まだ明示されてませんけど、原作使用料の相場としては百五十万から二百万でしょうかね」
「えっ、そんなものなの?」
金額としては大きいけど、全国区のドラマ化でもそんなものなのかという思いは正直なところだ。
「そうですよ。あの後藤青洲先生でも、きっと一千万には届きませんからね」
「えぇ……? 日本で一番売れてる作家なのに……?」
十年以上業界のトップを走り続け、未だ出す作品が大当たりの人ですらそうなのか。
「まぁ、その影響で本が売れたりすることもありますから。ただ、一気にそんな大金持ちにはならないですよ」
「そうなんだ」
とはいっても、やっぱり嬉しいものは嬉しい。ちょっと落胆してしまったけど、臨時収入としては大きいし、なにより箔がつく。ここからまた声がかかったりするかもしれないのだから。
しかし、私の作品がドラマになるなんて……。
公募に何度も出してダメだった日々、他の受賞者を憎むほど羨んでいた。ようやくデビューしたのに思ったほどお金が入らず、現実を叩きつけられた。寂しい通帳を確認しては支払いにいつも困っていたもんなぁ。
何度書くのを辞めようかと思ったことか。認められない悔しさ、それでも何とか書き続けてきたんだ。自分を信じて。
……あぁ、書いていて良かった。
「とにかく、おめでとうございます。編集者としても、友達としても、一ファンからしても嬉しいです。とりあえず何かあれば都度、連絡しますから」
「うん、わかった。それじゃあ、また」
通話を終えると、神楽さんが興味津々の顔で私を覗き込んでいた。瑞希の声も大きかったから、ある程度は漏れ聞こえていたのかもしれない。
「神楽さん、通話の内容って聞こえた?」
「いえ、はっきりとは。でも、良いニュースなんですよね?」
私は大きく息を吸い、天井を見上げる。そうしてタメを作ってから、下を向いて息を吐く。それからやっと、神楽さんの顔を見た。
「私の作品、ドラマ化されるみたい」
するとみるみる神楽さんの顔が驚きと喜びで満ちていく。
「えぇー!? すごいです! え、あの、どの作品ですか? いつからですか?」
「数年前に書いた『まどろみの園』って作品だね。いつからかはまだ決まってないけど、全国区で夜十時からを予定しているみたい」
すると神楽さんは胸の前で手を合わせ、キョロキョロと辺りを見回し、もじもじばたばたと体を動かす。自分の中の感情をどう表現していいのかわからないみたいに。
「先生、おめでとうございます! あー、どうしよう。私、どうしたらいいんだろう。……えぇと、なにかお祝いのご飯でも作りましょうか?」
「それもいいけど……今日は外に飲みに行こうか。ご馳走は別の日にお願いしようかな」
家でお酒を飲むことにも慣れてきたから、そろそろ外で飲もうかとは思っていた。けれどなかなかタイミングがつかめなかった。でも、今日ならいいだろう。大手を振って、外へ連れ出せるから。
「わかりました。あ、じゃあ……その、お時間が欲しいです」
神楽さんは照れたようにはにかんだ。そういうことを言い出すのは珍しいので、私は小首を捻りながらじっと目を見る。
「いえ、あの、お洋服買いに行きたくて」
「別にそんな高級なとこじゃ」
そこで私は言葉を止めた。高いか安いかの問題じゃない。きっとお祝いの席に、いつもより着飾った姿で参加したいのだろう。ドレスじゃなくてもいい、新しいカーディガンでもなんでもいい。そういう気持ちになってくれたのだろう。
「わかった、いいよ。今からでも、お昼食べてからでもいいよ。お店には夕方の六時に予約しておくよ。それまでに間に合えばいいからさ」
「はい、ありがとうございます」
「あとね……言っておくけど、そんなに高級なとこには行かないからね。ホテルの最上階ディナーとか、そういうんじゃないから。だからちょっとだけフォーマルな感じであればいいと思うよ」
「わかりました。では、お昼ご飯を食べてからお出かけしてきます」
嬉しそうに笑う神楽さんを見て、私も心の奥底がじわりと温かくなる。自発的に神楽さんが個人的な用事で出かけたいと言い出してくれたのも嬉しいし、お祝いのためにおめかししてくれるのも嬉しい。
そして、お昼から出かけて晩は外食。これで神楽さんの休みの代わりになればいいな。
私は再びパソコンの前に向かった。でも、今はもう小説を書く気持ちにはなれなかった。ただ自分の作品が世に広く知れ渡る。そんな高揚感で胸がいっぱいだったのだから。




