第三十四話~気まずい食卓~
今日の晩ご飯はハンバーグ。子どもの頃からの大好物で、この歳になっても食卓にこれが出ると小躍りしてしまうくらいには嬉しい。
「いやー、ありがとう。大好物なんだよね」
「前に言ってましたもんね。私も好きなんですよ」
神楽さんのハンバーグは一見シンプルなのだが、手作りのデミグラスソースがものすごく美味しい。それにハンバーグ自体にもしっかり味が付いており、またふわふわとした食感がいつだって私を恍惚とさせる。
「じゃあ、いただきます」
全てそろって席に着くなり、私はもう待ちきれずに手を合わせた。神楽さんも実に嬉しそうな顔をしている。あぁ、にこやかな食卓というものは何物にも代えがたい。
「あぁ……美味しい。本当に美味しい。もうお店に行かなくてもいいって本気で思える」
「そこまで褒めてくれると、作ったかいがあります。先生、いつも美味しい美味しいって言ってくれるので、嬉しいです」
「いやだって、実際そうなんだからしょうがないでしょ。あと、感謝は慣れたらダメなんだよね。慣れちゃうと当たり前になって、敬意を失うから。だから私はいつだって言うよ」
「そんな先生の考えかた、すごく好きです」
私は付け合わせのフライドポテトを口に運ぶ。これも家でイチから作ったものらしく、すごくほくほくしていて美味しい。
「しかしさぁ、熱心なファンっていいものだよね」
日中の公園での出来事をしみじみと思い出し、私はお味噌汁をすする。
「だってさぁ、私に恋をしていたんだって言ってたよね。いやほんと、作家冥利に尽きるよ。私もファンとしての心理がわかるから、その気持ちはすごく理解できる。でも、面と向かって言われるとさ、気分いいものだよ」
自分の評価が気になっても、エゴサはするな。瑞希にそう固く言われているので、それはやっていない。だけどたまに褒められたりするのが目に入ると、嬉しくなる。サイン会で面と向かって言われると、生きていて良かったと思える。
だから今日のあの出来事は、私の中で結構大きかった。
「そうなんですね」
だからまぁ、神楽さんがいまいち実感わかないのか事務的に返事をするのは仕方ないのだろう。実際、この立場にならなければ、どれだけ嬉しいのかわからないだろう。苦労して、苦悩して、挫折して、それでもなお書き上げた作品をああ言われる嬉しさが。
「まぁでもさ、あんな若い子だとさすがに恋愛対象には難しいよね。大学生から見れば私なんて、もうおばさんみたいなものだし」
「そんなことないと思いますけど」
神楽さんは静かにそう言いながら目を伏せ、お味噌汁をすする。
「まぁでも、大学生かぁ。悪い道に染まっていたのに、立派なものだよ。あとはまぁ、私みたいに遊んでばかりの大学生にはならないでほしいかな。ほら、学生時代の思い出って、結構残ってるものだよね。良くも悪くもさ」
「どうなんでしょうかねぇ」
一心不乱に食べ進める神楽さんの箸が早い。お腹空いているんだろうな。
「中学生の時にさ、友達と帰りに食べた肉まんとか、やたら美味しかったんだよね。そういうのってあるよね?」
「うーん、私はなかったですね」
素っ気ない言いかたがなんだか神楽さんらしくない。何か失言したのだろうか、気付けば空気が重くなっている。
「ごちそうさまでした」
それからは会話もほとんどなく、黙々と食べていた。だからこうしてごちそうさまの挨拶を口にした時は、いつしか針のむしろのような雰囲気にになっていた食卓から離れられるという安堵しかなかった。
「ちょっと休んでから、仕事するよ」
私はどこか逃げるように寝室に入ると、すぐさまベッドに転がる。すごく美味しいハンバーグだったはずなのに、後半は味がわからなくなっていた。けれど、反省しようにも何が悪かったのかわからない。
ただ一方的に、神楽さんが冷めていったようにしか思えなかったから。
若干理不尽な感じにモヤっとするけど、こんなものは考えたって意味がない。時間薬とはよく言ったもので、時が経てば和らぐだろう。だからまぁ、一時間くらいはこうしていてもいいかな。
ショート動画や切り抜き動画を中心に見る。最近は仕事に集中していて、あまり見ていなかった。短時間で一番盛り上がれるそれを見られるのは確かにタイパがいいのかもしれない。
でも、私の中にはほとんどなにも残らなかった。
リビングのほうから物音が聞こえなくなったので、もう寝たかなと思って私はベッドから降り、寝室のドアを開けた。
すると神楽さんが黙々とアイロンがけをしていた。けれどもう、それも終わり間際らしく、畳まれた洗濯物を片付けている最中だった。
……気まずい。無視して仕事をするのも気が引けるけど、なんて声をかければいいのかわからない。
ゆっくりパソコンの前に向かいながら、頭をフル回転させる。そうして椅子に座ると、もうこれ以外は考えられなかった。
「あの、コーヒーお願いしてもいいかな」
「はい。すぐに用意しますね」
顔は見れなかった。けれど、声にそこまで怒りや失望は感じられなかった。不機嫌さもにじんでいないように思えたのは、やはりプロのメイドだからだろう。私だって別に怒ってるとかそういうわけじゃないけど、でもなんだか今は話しかけにくい。
ほどなくしてコーヒーが運ばれた。いつものように丁寧に、そっと置かれる。
これで神楽さんの今日の仕事は終わりとなる。だからいつものように、私も何とか笑顔を作って、その目を見た。
「それじゃ、おやすみ。今日もありがとうね」
「はい、おやすみなさい」
ぺこりと頭を下げると、神楽さんは自室へと向かった。
別に感情が露骨に見えたわけでも、棘があったりしたわけでもない。いたっていつも通りの挨拶のルーティーン。しかし、神楽さんはどこか元気がなさそうだった。
なんだろう……私のせいなのかな?
けれど、これというのが思い当たらないから、ずっとモヤモヤしている。こうなるともう、考えるだけ無駄。関係のないところまで自分の悪いところをあげつらうようになってしまう。そうなればもう、病んでいく一方だ。
こういう時にすることは決まっている。仕事だ。
小説を書いている時、私は現実世界から魂が離れるような感覚に襲われる。次の構成を考えながら過去との整合性を取り、時に調べものをしたりしつつ、今を書いていく。
こうなるともう、現実の問題を考える暇はどこにもない。逆に、現実の問題がこうして頭から離れられないのなら、それはもう仕事をしている場合じゃないのだ。
スマホから流れる音楽、そして自分で生み出すキータッチの小気味の良い音。私は次第に小説の世界へ没入していく。登場人物を動かし、会話が生まれ、場が動いていく。そうして登場人物の一人が立ち止まり、内省する場面にさしかかった。
手を止め、台詞が適切かどうか、心情が場面に合っているのか精査する。なんだかしっくりこないので、息抜きに冷めたコーヒーを口に運ぶ。
ふと、神楽さんの顔が浮かんだ。それはどこか、悲しそうな顔。
私は大きく首を回し、再び小説の世界に飛び込む。今はちょっと、それを考えたくなかった。それよりも、仕事。そこに集中し、より良い作品を作れたらお金がたくさん入る。そうすればこの生活だって維持できる。
未来のための、歩み。
だってその結果、きっと笑ってくれるようになるだろうから。




