第三十二話~存在意義~
「コーヒーありがとう。それじゃ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
夜の執筆にとりかかる前にコーヒーをもらうと、おやすみの挨拶を交わす。神楽さんの一日の仕事の終わりはこれなのだから。
パソコンに向かいながら自室に戻ったのを音で確認すると、私はスマホから流している音楽の音量を少し上げた。人によってはうるさくて集中できないだろうけど、私は自分の好きで満たしていないと集中できない。
ちびちびとコーヒーをすすりながら、勢いよくキーボードを叩き続ける。
今書いている長編は売れるために書いている。だからいろんなエンタメを吸収し、何が面白いのかを学び、分析し、作品に反映させているのだ。どう盛り上げるか、どんなテンポがいいのか、その上でどうオリジナリティを出すのか。
当然、面白いと思って書いている。でも、自分が本当に書きたいものではない。
文学を書きたかった。後世に名を遺すような、立派な文学を。
ただ、私には難しかった。公募にも出したけど、二次選考止まり。対して、ミステリーやホラー、サスペンスなどは自分でも思った以上にウケた。それこそ、受賞してデビューさせてもらえたくらいには。
やりたいことか、売れることか。作家なら誰しも通り、悩む分岐点。私はそこで、売れることを選択したのだ。
人はみな、やりたいことが認められるわけじゃない。ほとんどの人がやりたくない仕事をやって生活を築き、維持していく。私だってたまたま書いた小説がウケたからこうして生活しているだけで、そうじゃなければ社会不適合者だ。
だから、後悔していない。いやむしろ、感謝している。自分の『楽しい』を世に出し、共感してもらい、お金をもらっているのだから。
ただ、これからはもっと頑張らないと。そうしなければ神楽さんとの共同生活を維持できないのだから。
そこでピタリと思考も手も止まった。
そして間を置かず、ふとした疑問が湧き上がってくる。私はコーヒーを飲んでそれにふたをしようとしたけど、ちょうど執筆が難しい場面だったためすぐに手が動かせない。だから、その疑問がどんどん大きくなっていく。
どうして私、神楽さんとの生活をそこまで強く願うんだろう?
一旦立ち上がり、トイレへ向かう。用を足し、トイレから出てもなおそれが頭から離れない。私はふと神楽さんの部屋を見る。まだ起きているらしく、ドアの下から明かりが漏れていた。
パソコンの前に戻るとゆっくりと椅子に座る。ギィっと音が鳴った。
神楽さんがいなくなれば困る。それはもう、当然だ。部屋は荒れるし、食生活も乱れるからまた不規則な生活に戻る。ジョギングだって絶対にやらなくなるだろう。そうして病気になれば書けなくなる。
休んだからといって、待たれるほどの作家じゃない。次から次へと才能ある人達が出てくるのだから。
じゃあ、神楽さんじゃなくて他の誰かがお世話にくればいいのか?
たとえば六十代の家政婦さんだったり……いやもっといえば、同じく二十歳の女性が来たとしよう。その人達が同じように仕事をしてくれれば、私はそれでいいはずなのだ。
……でも、ダメだ。もう、神楽さんの代わりじゃ嫌だ。
あの性格だから、私を照らしてくれるのかもしれない。あの言動だから、癒されるのかもしれない。あの見た目だから、心許すのかもしれない。
じゃあそれが何かと言われたら、きっと……。
「いやいやいや、ダメでしょ」
片肘をキーボードのそばについて、乱雑に髪をかき上げる。そのままうなだれ、わしゃわしゃと頭をかきむしる。そのまま大きな溜息をつくと、私は目を閉じた。
もしもこれが恋なのだとしたら、絶対によくない。
作家とメイド、雇用主と雇用者。それはいくら仲が良くても、上下関係がある。だから私からそんなことを伝えれば、立場を利用した強要になるし、パワハラやセクハラの類にもなるだろう。
ましてや私は同性愛者。
普段、それほど神楽さんをそういう目で見たりしないけど、でもやっぱり可愛いからついそうした視点になってしまうことがある。もしかしてそういう言動なのかなと、勘違いしてしまいそうになる時だってある。
でもそれって、勘違い女の都合の良い解釈ということが多い。
そもそもが年齢差だ。私が二十六歳で、神楽さんが二十歳。私が二十歳の時には二十六歳なんて相当上に思えた。だからまずその点で、難しい。
そして神楽さんの容姿、性格を総合すると選ぶ側ではなく選ばれる側だ。
対して私は運動不足で下っ腹が出始めているし、普段家にいるから化粧っ気もない。むしろ社会に出ていないから、化粧をする機会もほとんどないので苦手なまま。ズボラでガサツで生活能力がない。愛されるには程遠い人間だ。
だから私がそんな感情を抱いたとしても、苦しくなるだけ。
ただ、あんなにできた人はいないだろうから、傍にいてほしい。その一点のみで、私は神楽さんとの生活の維持を望んでいるのだろう。
けれど、それでいいのかもしれない。私はもう、このままでいい。多くの読者が私を待っていて、傲慢にいえば私の作品に恋い焦がれている人もいる。いろんな人から必要とされている。
それはものすごく幸せなことで、私は多くの愛をもらっているに他ならない。
それに神楽さんだって、私の作品のファンだと言ってくれた。もうその一点だけでも、私達は繋がっている。
それだけでも、この生活を維持する理由として十分だろう。
私は居住まいを正してから深呼吸すると、またキーボードを叩き始めた。合間に飲んだコーヒーは、もうすっかり冷めていた。




