第三十話~あやめと瑞希の過去~
お昼過ぎ、仕事をしているとスマホに着信があった。折角集中していたのにと、ちょっとムスッとしながら見てみれば『桐山 瑞希』の文字。なんだろう、お土産でも買ってきてくれるのかな?
「はい、もしもし」
「もしもし。先生、ちょーっと大事なお話があるんですけど、今からうかがいますね」
えっ、なんか怒ってる?
「あ、うん。来るのはいいんだけど、なにかあったの?」
「大アリです。ちょっと電話では話せないので、三十分後に行きますから」
「わかった」
通話を終えると、いつの間にかそばにいた神楽さんがどこか心配したように見ていた。
「なにかよくわからないけど、瑞希が怒ってた」
「えっ、心当たりないんですよね?」
「ない。毎日ちゃんと原稿送ってるし、チェックしてもらった原稿も再チェックして送り直している。仕事に関しては問題ないと思うんだけど」
腕組みをし、必死に記憶の奥底にある手掛かりを探るけど、なにも思い当たらない。でも、きっと怒られる。あー、もう、せめてどんなことで怒られるのかわかったら覚悟もできるのになぁ。
せめてもの抵抗として、私は神楽さんに美味しいお茶を出してもらうようにお願いするのが精一杯だった。
そして電話からきっかり三十分後、瑞希がやって来た。
「先生、なんで大事なことを報告してくれないんですか?」
神楽さんによってリビングに案内された瑞希は私を見るなり、怒りを抑えきれないかのように目つきが鋭くなった。けれどそう言われても、私にはなんのことなのかサッパリわからない。
「あの、ごめん……話が全然見えなくて」
「仙谷出版さんのところで長編を書くお話、されましたよね?」
「え……あ、あぁ!」
私がようやく答えに思い至ると、ずいっと一歩近寄ってきた。ソファに座っている私は逃げられない。
「藤崎さんから聞きましたよ。先生、仙谷出版さんで連載するって。うちの長編、どうするんですか? 先生、並行して作品を書けない人ですよね?」
「もちろん、瑞希のとこを優先するよ。それに私、藤崎さんに話したのはそういう意欲があるから話を持ち帰ってみてねって言っただけで、まだなにも決まってないのよ」
「それはもう、ほぼ決まったようなものです。あのですね、前々から言っていますけど、先生は自分の影響力をもっと自覚してください」
ぐっと顔を近付けられ、私はのけぞってソファの背もたれに頭を押しつけた。
「いや、影響力と言われても……。それに、稼がないとならないし」
「稼ぎたいのはわかりますけど、一つの作品に専念した方が先生は良い作品が書けるんですから」
瑞希は私が三船出版で初めて本を出した時からの担当。ただ、その付き合いは三年程度だ。けれど彼女は私のことをよく知っている。すごく、よく。
「以前なら、そうだったかもしれない。朝遅くに起きて、スマホゲームとか動画で時間を潰し、仕事をした後は潰れるようにお酒を飲んでいるような生活。部屋も荒れ放題、ご飯だって瑞希が管理してくれないとロクに食べなかったよね」
「正直、昔から危ういとは思ってましたけど、一人暮らししたらあんな惨状になるなんて。でも仕事の出来は素晴らしいから、何も言えなかったんですよね」
「ただね、私は生まれ変わったの」
私が神楽さんを見れば、瑞希もつられて彼女のほうへ目を向ける。当の神楽さんは何事かわからず曖昧に笑いながら、どこか落ち着かない様子だった。
「神楽さんが来てからは規則正しい生活をして、三食ちゃんと食べているんだよ」
「えぇ?! あ、でも確かに肌艶いいかも」
「それに最近はジョギングも始めた」
「嘘でしょ?! 運動嫌いで高校の体育の授業だって、やる気ないどころか何だかんだと理由をつけて休んでいたのに」
驚く瑞希に、神楽さんが「あのぅ」と割り込んできた。
「桐山さん、もしかして先生と同じ高校なんですか?」
「あぁ、うん。同級生というか、友達なんだよね」
……そういえば、言ってなかったかも。
「あと、同じ文芸部でね。当時からすごい小説を書いてたんだよ。私も二次創作とか書いていたんだけど、あやめの小説を見たら何というかもう、そんなことをするよりもこの人を世に出したいって思ってね」
「それで出版業界に入れたんだから、すごいよね。私なんて大学行ってたけど、ほとんど遊んでばかり。それでも小説書いて応募して、何とかデビューさせてもらったけど、もしできていなかったら……考えたくもない」
「でも大手で賞を取ってくれたからこそ、私も社内で強く推薦することができたんだよね。あの時は私も賭けだったよ。でも今はおかげで、何とかやらせてもらってるし」
思い出話はいつだって甘美で、整えられている。でも、それでいい。鮮明にあの頃の苦悩や葛藤を思い出すべきじゃない。若さゆえに過剰に苦しみ、若さゆえに耐えられたのだろうから。
「話を戻すけど、規則正しい生活のおかげで私は今の原稿の合間に二万文字の短編を仙谷出版に寄稿できたんだよね。これ、藤崎さんから聞いてる?」
「そういえば何か言ってたような。でもあの子もあの子で。なんか要領を得ないで勢いで喋ることもあるから……」
それは、そう。藤崎さん、見た目は超絶できる人なのに、どっか抜けているんだよね。
「だから今はね、午前中は仙谷出版さんの原稿をやって、午後は三船出版の小説を書いているの。あの頃の私とは違うんだから」
「確かに神楽さんが来る前と後では、生活の質も変わったからか、文章自体もさらによくなってるけど……」
腕組みをしながら、瑞希がうなる。眉をしかめ、天を仰いだかと思えばうつむき、腕組みを外したかと思えばテーブルを指でトントンと叩く。
「まぁ、わかりました。受けてしまったのはもう、仕方がないですから」
絞り出すようにそう言った瑞希は私をじっと見詰めてきた。その迫力に加え、私にはどこか自責の念もあり、気圧されてしまう。
「ただ、なにかするのなら一言、相談してください。これは編集者としても、友達としても言えることなので」
「うん、ごめん」
確かに軽率だったかもしれない。以前なら、なんでも瑞希に相談していた。それこそ仕事から他の編集部のことまで。




