第二十五話~価値あるお土産~
三船出版から出す予定の長編の執筆を遅らせることなく、藤崎さんのいる仙谷出版に送る短編の原稿もひとまず書き上げられた。私がメールでそれを藤崎さんに送ったのは、昨日の昼過ぎ。
そして今朝、七時半に目覚めてパソコンを立ち上げると、さっそく返事が来ていた。
「神楽さん、今日の十時半に藤崎さん来るみたいだよ」
「そうなんですね。それではなにかお茶菓子買ってきますね」
「あ、それはいいよ」
素っ気なく答えた私に神楽さんが目を丸くし、すぐに困ったような顔をこちらへ向けてきた。
「え、なんでですか?」
「いやだって、藤崎さん絶対お土産買ってくるからさ。九時になったらきっと、電話かかってくるよ。なにがいいですかって」
「でも、なにかこちらも用意した方がいいのでは」
「うん。だからそのお土産の内容を聞いてから、神楽さんには出す飲み物を決めて欲しいんだよね」
私はどっちも信用している。私の好みを聞きつつ、ちゃんと美味しいお土産を持ってくる藤崎さんを。そしてそれに合うコーヒーなりお茶なりを用意してくれる神楽さんを。
それから身支度を整え、朝食の味噌おじやを食べてから仕事をしていると、予想通り九時に着信が入った。私はおそるおそる通話ボタンを押す。
「もしもし」
「おはようございます! 仙谷出版の藤崎です」
その大声で耳がキィンとなり、思わずスマホから耳を離した。
「何べん言わせるのよ、声大きいんだってば」
「あぁ、ごめんなさい。これで、どうでしょう」
「うん、これなら。それで、もしかしてこれからうちに来るって話?」
スマホの向こう側から驚きの溜息が聞こえた。
「そうです。いやぁ、本当にこの短期間で原稿、ありがとうございました。あの話を会社に持ち帰ってから、編集長大喜びで。それで完成した原稿も読ませていただいたんですけど、多分微細な修正しかいらないと思います」
「そうなんだ、それはよかった」
「それで先生、今日のお土産なんですけど美味しい大福を見つけましてね。そこのいちご大福がもう美味しいんですよ。どうでしょうか?」
大福かぁ、しばらく食べていないかも。和菓子って美味しいんだけど、スナック菓子に比べて高いからか、自分で買うとなるとためらっちゃうんだよね。
「いいね。じゃあ、コーヒーじゃなくて緑茶とかがいいかな」
「そうですね。あ、先生。ちゃんと神楽さんの分も買っていきますから、ご安心を」
「それは良かった。買わなかったら藤崎さんのお茶、出ないところだったかもね」
「お茶無しで大福は厳しいですって。ちゃんと買いますので、お茶お願いしますよ」
通話を終えると、私は洗濯物を畳んでいる神楽さんに声をかけた。
「お土産は大福。だからお茶にしよう。茶葉はなにを買うか、任せるからね」
「わかりました」
そう返事した神楽さんの目は燃えていた。
お互い仕事を進めていると、約束の時間の十分前にスマホに着信が入った。
「もしもし、仙谷出版の藤崎です。少し早いのですが、もうお邪魔してもよろしいでしょうか?」
「いいよ。もう着いたの?」
「はい。今、エントランスにいます」
モニターを見てみれば、藤崎さんが立っていた。ちゃんと手には袋を下げている。
「じゃあ、どうぞ」
ロックを解除し、ほどなくすると玄関のインターホンが鳴った。二度目なので、神楽さんがパタパタと玄関へ出迎えに行く。
「いらっしゃいませ」
「どうも、お邪魔します。あのこれ、お土産です」
玄関先での話し声を聞きつつ、私は瑞希からのメールの確認を中断し、藤崎さんに送ったデータファイルを念のために開いた。
「どうも先生、お邪魔します。この度は素晴らしい原稿、ありがとうございました」
涼やかな、それでいて嬉しそうな目で藤崎さんが深々と頭を下げた。いつだって原稿を渡し、こういう反応が返ってくるのは嬉しい。ちゃんと面白かったんだ、人様の役に立てたんだなと思えるから。
「いやいや、私もいろんなことを試せたからよかったよ。レベルアップにつながった作品になったからさ。ところで、編集長なにか言ってた?」
「それはもう、喜んでいましたよ。この短期間で、寄稿してくれたので。夢野先生が寄稿してくれたことで、宣伝にもなりますからね」
「それはよかった。藤崎さんの評価も上がったんじゃないの?」
「ありがたいことに、昨日は編集長とお寿司でお祝いしましたよ」
満面の笑みでそう報告する藤崎さんは年相応の喜び方をしている。私は満足げにうなずき返した。
「あれぇ、でもそれ私、呼ばれてないんだけど」
「えぇ?! あ、す、すみません。あの、今夜にでも、お寿司」
顔を引きつらせ、青くなる藤崎さんについ噴き出してしまう。
「ごめん、嘘だって。でもよかったね、回らないお寿司でしょ」
「はい。でも、緊張しちゃいまして、美味しかったんですけど落ち着きはしませんでしたね」
あぁいう場所は未だに私もそう。そこにいて食事をするというよりも、いさせてもらって食べさせられているという感覚が強い。服に着られるという表現があるけど、そんな感じだ。
「まぁ、社会経験だよね」
そんな話をしていると、神楽さんがお盆にお茶と大福を運んできてくれた。けれどすぐ、その違和感に気付く。
「あれ、二人分? 藤崎さんのは?」
「いえいえ、これは先生と藤崎さんの分ですよ。先生、意地悪言っちゃダメですよ」
「たくさん買ってきましたので、神楽さんの分ももちろんありますから。どうでしょう、一緒にいただきません?」
藤崎さんが顔を向けると、神楽さんが困ったように視線を下げた。それもそうだろう、これから仕事の話もするわけだから同席しないほうがいいと考えているに違いない。
「ほら、藤崎さんもそう言ってくれてるわけだし、私の隣でおやついただこうよ」
「それでは、お言葉に甘えて」
ほどなくして神楽さんの分もテーブルに用意されると、私はその大福を頬張った。すると口の中に広がる圧倒的な甘み。なのにイチゴを噛んだ瞬間に広がる酸味が程よくて、あんこの味がより引き立つ。当然、お餅も柔らかくて美味しい。
「美味しい! これはすごいわ。藤崎さん、よく見つけたね」
「ほんとに美味しいです。ありがとうございます、藤崎さん」
神楽さんと顔を見合わせ、お互い目を大きく開いて口元を緩ませてから藤崎さんへと目を向ける。すると藤崎さんは大福を頬張ったまま、すごいドヤ顔を見せつけてきた。なんとも締まらないけど、そこが彼女らしい。
「私、こういうちょっと高いお菓子とか調べるの好きなんですよ。こうしてお仕事にも繋がりますし、会社からも頼まれたりするんですよね」
「なるほどね、好きが実益になるなんて素晴らしいね。でもこれ、こんなに美味しかったらいい値段しそうだね」
私はまじまじと見つめ、そうしてもう一口食べる。
「そうですね、値段を言うのは野暮なんですけど、これは一個八百円します」
私と神楽さんの手が止まった。それぞれのお皿には二個ずつある。てことはここにある三人分だけで、四千八百円もするの?
「え……よく買えるね、そんな高いの」
「経費で落とさせていただいているんで。最初は実費でしたけど、いろんな方面から好評になってきて、会社のお金でいいって事になったんですよ。じゃないと買えませんよ」
いちご大福なんてスーパーとかコンビニで売っているのしか食べたことがない。それでも美味しいと思っていたのに、本格的なやつはこんなにも違うとは。さすがだ、値段も本格的なだけある。
「なので遠慮なく食べてください。私も役得だと思ってますので」
そう言いながら二個目を口に運ぶ藤崎さんを見て、案外図太い子なのかなと思ってしまった。
「それで先生、原稿のほうなんですけど校正したのを後日送らせていただきますね。それで先生の意見と擦り合わせ、今回は終わりとなります」
大福を食べ終わった後、藤崎さんがそう切り出してきた。今回は短編だけあってそこまで大幅な修正は無いだろうけど、毎回このチェックが怖い。私がまったく意図しない箇所を直される時もあるからだ。
「じゃあ、届き次第すぐに取り掛かるので」
「ありがとうございます。先生の仕事の速さにはいつも頭が下がります」
藤崎さんが頭を下げ、立ち上がろうとした時だった。私はすっと手を出し、それを止める。目をぱちくりさせた藤崎さんが何事かと私を見てきたので、にいっと口角を上げて見せる。
「お土産、欲しくない?」
「お土産、ですか?」
わずかに眉根を寄せ、藤崎さんが小首を傾げる。まだよくわかっていないのだろう。だから私はそっと耳打ちする。
「月刊誌の連載でいいのなら、長編書くよ。ジャンルはまぁ、仙谷出版さんの色になるべく合わせるからさ」
すると勢いよく藤崎さんがのけ反った。その目は焦点が合っておらず、体全体がわなわなと震えている。
「え……なんて言いましたか、先生?」
「だから、仙谷出版さんでも書くよ、長いやつ。連載形式で試してみたいんだけど、ダメなら一冊分まとめて出すよ」
「ええええぇ?! い、いいんですか?」
「だから静かにしてよ、家の中なんだし」
私は口の前で人差し指を立てて、静かにするように促す。すると、藤崎さんが気まずそうに無言で何度もうなずいた。
「まだ何を書くかは決まってないし、編集部の意向もあるだろうからさ。ただ、私としては意欲はあるよって伝えたかっただけ」
「ああああぁ、ありがとうございます」
何度も何度も勢いよく頭を下げる藤崎さんを見て、私は偉くなった気になんて微塵もなかった。ただ、最近は規則正しい生活をしているから、そういうことをしても問題ないだろうと判断しただけ。
それにお金を稼ぎ続けないと、神楽さんを雇えない。人気であり続けないと、この生活は維持できない。それはきっと、血反吐を吐きながら続けるマラソンのよう。けれど私にはその覚悟があった。
「まぁ、こういう話が出たって戻ってから提案してみてよ」
「はい、ありがとうございます!」
すっくと藤崎さんが立ち上がると、また深々と礼をした。




