第十九話~晩酌のお誘い~
「神楽さん、コーヒーもらっていいかな」
「はい、わかりました」
晩ご飯を終えて一時間ほど休んでから、私は洗濯物を干していた神楽さんに声をかけた。少し前ならそれが終わるまでためらっていたけど、最近じゃ気にかけず声をかけるようになった。
厚かましくなったわけではないと思う。むしろ、そうした方が神楽さんも変にそわそわしなくなったように思える。以前ならそれこそ、私の言葉を待っていたように思うから。
淹れてもらったコーヒーをパソコンデスクに置いてもらうと、私はそれを合図に書き始める。
実は今日から、ちょっとだけ書き方を変えたのだ。
前日に送った原稿を瑞希が確認し、修正したメールが届くまで、私は仙谷出版用の二万文字の短編を書くようにしている。そうすれば余計な修正作業もしなくて済むし、何より藤崎さんの原稿もじっくり書き進められる。
頭の切り替えは神楽さんと買い物に行ったり、話したりしているうちに行われるだろう。それに今後、ジョギングでもするようになれば問題ない。
だから昼からは長編にひたすら集中している。
カタカタとリズムよくキーボードを叩いていたが、やがて手が止まった。盛り上がるシーンでの決め台詞に、いい言葉が浮かばない。いくつか候補を出してみたものの、どうもしっくりこないのだ。
腕組みしたりコーヒーを飲んだりしていると、洗面所から神楽さんが出てきた音が聞こえた。歯磨きでもしていたのだろう。私はぐるりと椅子ごと体を回すと、神楽さんが静かに自室へと向かっているのが見えた。
「神楽さん」
「はい、なんでしょうか? あ、コーヒーのおかわりですか?」
ビクッと肩を震わせたけど、それは一瞬のように見えた。神楽さんはいつものようににこにこと笑いながら、丁寧に私を見詰めてくる。
「いや、コーヒーはもういいの。あのさ、まだすぐには寝ないでしょ。何かするの?」
「えっと、先生の著作の『箱舟のトロイア』を読ませていただこうかと」
「どうせまた十二時くらいまで起きてるんでしょ」
「えへへ、そうですね。でも、今日こそ日をまたがずにちゃんと寝ようと思ってます」
胸の前で小さく拳をにぎり、決意表明する神楽さんに思わずいとおしさが溢れた。
「あのさ、今日なるべく早く書き上げるから、終わったら一緒にお酒でも飲まない?」
それはきっと、前から抱いていたけど言えなかった要望。だけど今日、凛さんに会って今度お店に行く約束をしてしまった。その前に神楽さんと一回飲んでおきたかったのだ。
「お酒ですか。いいですよ」
断られるかなと内心ドキドキしていたものの、案外あっさりと受け入れてもらえた。
「ほんと? じゃあ十一時頃に呼びに行けるよう、頑張るわ」
「はい、お仕事頑張ってください。新作、楽しみにしています」
そうして神楽さんがぺこりと頭を下げて自室に戻るのを見届けると、私はまたぐるりと椅子を半回転させてパソコンの方を向いた。十一時まであと二時間ちょっと。
やるかぁ。
私は太ももを叩き、大きく息を吐いてから勢いよくキーボードを叩き始めた。
スマホから流れているお気に入りのアーティストのアルバムが二周した時、私はぐったりと椅子に身体を預けた。何とか決め台詞も書けたし、その後の展開も進められた。
もう一度ざっと見直し、私はそれを瑞希にメールで送る。これで今日の私の仕事は終わりだ。
時計を見れば、十一時十分を少し回っていた。遅刻しちゃったと気まずく思いつつ、それでも約束したからと私は神楽さんの部屋のドアを軽くノックした。
「終わったけど、起きてる?」
「はい、起きてますよ。あ、でも今はパジャマ姿でして」
中から慌てた、恥ずかしそうな声が届いてきた。
「お仕事終わったんだからいいじゃない。そのままでいいよ」
「でも、さすがにパジャマ姿で先生の前に出るのは申し訳ないというか、みっともないというか……」
「大丈夫、大丈夫。今日はこれからパジャマパーティーだと思っていいから。それにもう、業務時間外なんだからさ」
「あぅ……そこまで言ってくださるのなら」
カチャリとドアが開いた。するとそこにはピンク色のパジャマを着て、髪の毛を下ろしている神楽さんがいた。いつもはポニーテール姿だから、すごく新鮮だ。
「あら、可愛い」
「あまり見ないでくださいよー」
頬を赤らめてもじもじしているその姿が、反則級に可愛らしい。私が二十歳の頃だって、こんなに可愛くはなかった。大学に通いながら夜はひたすらお酒飲んで小説書いているだけで、可愛いの欠片も無かっただろう。
「だって新鮮なんだもん。ささ、晩酌しよう。神楽さんはどんなお酒飲むの?」
「以前は缶チューハイを飲みました。オレンジのやつ、だったような」
「じゃあ、今日もそうしよう」
一緒にリビングに行くと、私はオレンジ系の缶チューハイを取り出した。私は昨日から飲んでいる日本酒。おつまみは何かあったかなと冷蔵庫を物色すれば、まだ未開封のチーズを見つけたのでそれも取り出した。
ソファに向かい合うように座り、神楽さんに缶チューハイを差し出す。アルコール度数は三パーセントなので、たぶん大丈夫だろう。そうしてテーブルの真ん中にチーズを置き、私もグラスにお酒を注ぐ。
「あっ、注ぎますのに。手酌はよろしくないですよ」
「いいのいいの、私は気にしないから。さぁ、今日はお疲れ様でした」
「お疲れ様でした」
カチリと缶とグラスを合わせると、私達はそれぞれくいっと傾ける。疲れた体に喉から食道へと熱く染み渡るお酒に、思わず微笑みが浮かぶ。そうしていい気分のまま顔を上げて神楽さんを見てみると、両手で缶を持ちながらじっとそれを見ていた。




