第十六話~打ち合わせ~
「おじゃましまーす。って、うわぁ! ここ本当に先生の家ですか?!」
「ちょっと、声」
玄関を開けるなり、瑞希が少し大きな声で驚いていたので、私は静かにするよう注意する。すると瑞希は申し訳ないと一瞬眉根を寄せたが、すぐにドアを閉めて辺りを見回し始めた。
「おぉー、すごい。洗濯物はどこにも落ちてないし、ゴミもない。なんか新居に来たみたいですね。空気も淀んでいないどころか、なんなら爽やかな感じもする」
「メイドってすごいよね」
「先生がだらしなさすぎだったんです」
ほんと、余計なことしか言わないなぁ……。
廊下を通りリビングに達した時に、瑞希が立ち止まった。体が小刻みに震え、まるで油の切れたロボットのように周囲を見回す。
「ここ……先生の、家? こんなに変わるの……?」
「仙谷出版の藤崎さんと同じこと言ってるし」
すると突然瑞希が私の方を勢いよく見た。肉食獣が襲い掛かるかのような勢いに、私は思わずのけぞる。
「え、私より先に瑠璃さん来たの?」
「昨日ね。美味しい大福持って来てくれたよ」
「なんでそこで私を呼んでくれないんですかー」
「いや、なんで呼ばないとならないのよ」
悔しがる瑞希に私は乾いたため息をつく。別の出版社の編集者同士なのに、瑞希と藤崎さんは妙に仲が良い。というか、瑞希が一方的に藤崎さんを可愛がっているように見える。
「だって瑠璃さんと会えるの、先生の家だけなんですもん。彼女、いじったら反応面白いから会いたくて会いたくて」
「いや、可哀想だからやめてあげて」
私が冷静にツッコミを入れると、キッチンにいた神楽さんがぺこりと頭を下げて近付いてきた。
「桐山さん、いらっしゃいませ。今、お飲み物用意しますけど冷たいのと温かいコーヒーのどちらがよろしいですか?」
「えぇと、じゃあ熱いコーヒーで」
「かしこまりました」
もう一度頭を下げてキッチンに神楽さんが戻ろうとした時だった。
「神楽さん」
瑞希の呼び止めに、神楽さんが歩を止めて振り返る。その瞬間、私を含めて空気がピリッと引き締まったのを感じた。
「大事なこと、訊くけどいいかな?」
「はい、なんでしょうか?」
契約上のことか、それとも今後についてか。雇用主を私にしているとはいえ、元々は瑞希のいる三船出版が用意したメイド。そこに重大な問題があったのだろうか。
息を呑む私。そしてそれは神楽さんも同じだった。瑞希は神楽さんを数瞬見詰めてから、やがてゆっくりと口を開く。
「先生にセクハラとかされてない?」
一瞬の間が空いた後、神楽さんはぶんぶんと大きく首を横に振った。
「いえ、無いです。なにも無いです。先生すごく優しくて、そういうの全くないですよ」
「そっか、なら安心だね。神楽さん可愛いからさ、先生って隙見せたらセクハラとかしそうだからさ」
……人のこと、何だと思ってるんだろうか。
私は抗議混じりにため息をつくと、ソファに座るよう雑に首を振って指示した。
「あはは……。じゃあ先生、さっそくお仕事しましょうか」
ソファに向かい合うように座ると、瑞希がカバンから紙束を出した。なんだろうかと私が覗き込めば、それは昨日メールで送った原稿のコピーだった。よく見れば、赤ペンでチェックが入っている。
「うん? なんで印刷して持ってきたの?」
「せっかく先生のところにお邪魔するんですもの、こうして紙にした方がわかりやすいですよね」
確かにそうだ。メールでも問題ないけど、こうして対面でやり合うなら私はこのほうがわかりやすい。
ただ、一つだけ疑問があった。
「前もちょくちょく顔出しに来ていたのに、こんなことしなかったよね?」
「先生の家が汚すぎて、できなかっただけです」
真顔でそう言われ、反論する気さえ起こらなかった。
「それが今じゃほら、テーブルに広げられる。神楽さんのおかげですよ」
「ほんとにそうだわ」
嬉しそうに、恥ずかしそうに笑う神楽さんはぺこりと頭を一つ下げた。そうして別の場所に行こうとしたので、私がすっと手を挙げてそれを止めた。
「あのさ、ちょっとどんなやり取りをするのか、見てみる?」
「え、あ、あの、いいんですか?」
「先生?」
するとすぐ、眉根を寄せた瑞希が私を見てきた。それは怒ってはおらず、どちらかと言えば私の意図がつかめない様子に見えた。
「いや神楽さんさぁ、すごい熱心な読者なのよ。私の本、寝る間も惜しんで読んでくれたから。なんかこう、ファンサじゃないけど、いいかなって」
「あぁ、なるほど。確かに読者の反応は大事ですもんね。先生がかまわないのなら、いいんじゃないですかね」
そう言いながら瑞希が少し端にずれると、神楽さんの方を見た。神楽さんは頬を緩ませ、目を輝かせながらその横にちょこんと腰を下ろす。
「じゃ、始めましょうか」
コーヒーを一口飲んだ瑞希が、紙束を広げた。




