第十一話~仙谷出版の藤崎さん~
「昨日、結構遅くまで起きてた?」
白米、豆腐のお味噌汁、焼き鮭にミニサラダと結構しっかりした朝食を食べながら私は神楽さんにそう問いかけた。神楽さんはすぐにばつの悪そうな顔をし、頬を人差し指でかく。
「いやぁ、まぁ。ちょっと先生の本を読んでまして」
「日をまたいでてもまだ電気点いてたからさ。それでいて、私よりずっと早起きなんでしょ。ちゃんと寝るか、お昼寝しないとダメだよ」
「はい、すみません」
申し訳なさそうに頭を下げようとした神楽さんを私は手で制する。
「あぁ、いや、怒ってるわけじゃないの。心配なのよ」
それでも神楽さんはしゅんとしている。私はお味噌汁を一口飲むと、大きく鼻から息を吐き出した。
「で、面白かったの? 何読んでたの?」
「面白かったです。あの、途中だった『カストール候の沈没船』を最後まで読んでました。もう、続きが気になって止まらなくて。まさか相棒が裏切っていたとは思わなくて、でもそれを逆転するのが面白くて」
熱を込めて一生懸命話す姿を見ていると、ものすごく気恥ずかしいけどそれ以上に嬉しかった。
「あれね、本当は裏切る予定はなかったの。ただそれだと盛り上がりに欠けるからって言われて、急遽そういうふうにしたんだ」
「わぁ、そうなんですね。えへへ、作者本人から裏話を聞けるのってものすごく貴重ですね。ありがとうございます」
むしろ、こんなに喜んで夢中になってくれる姿に私からありがとうと何度でも言いたいくらいだよ。
私はにやけそうになる口元を誤魔化すようにご飯を頬張った。その後も熱心にあのシーンが良かった、このシーンが感動したと熱く語る神楽さんに内心狂喜乱舞し、悶えていた。
朝の九時半にはすっかり身支度を終え、仕事に取り掛かろうと私はパソコンに向かった。するとすぐ、スマホから着信音が流れる。最近詐欺電話がとても多いからまたそれかと思っていたけど、画面には『仙谷出版 藤崎』と表示されていた。
「もしもし」
「もしもし夢野先生、おはようございます。朝早く、すみません」
元気の良い、それでいて甲高い声がきぃんと耳に響く。私は思わずスマホから少し耳を離し、顔をしかめた。
「あの、いつも言ってるけどさ、もう少し電話口だと声のボリューム落として」
「あ、すみません。これでよろしいでしょうか」
それでもまだ普通の人よりは大きいけど、まぁ許容範囲だ。
「うん、いいよ。それで、どうしたの? こんな朝から」
「はい。今日は美味しい大福のお店を先日見つけましたので、是非とも先生に食べていただきたいと思いまして。それで、少しお話できたらいいなと」
見え見えの営業活動だけど、作家と出版社は持ちつ持たれつ。今忙しかったり、売れているからといって無下に扱えば、私が困った時に助けてくれなくなる。
「いいよ。あ、でもそれもう買った?」
「いえ、買ってから先生のお家にお邪魔しようかなと思っていましたので」
私は目の端で神楽さんを見る。
「それさ、もう一人前追加してもらえたりする?」
「もちろん大丈夫です。なんなら四人前くらい買っていきますね。小説家って頭脳労働ですもんね、お腹空きますもんね」
どうも勘違いしてるみたいだけど、まぁいい。どうせ理由を素直に伝えたところで、信じてもらえないだろう。百聞は一見に如かずだ。実際に見て、驚いてもらおう。
「ちなみに何時に来るの?」
「そうですね、十一時にはそちらにうかがいたいですけど大丈夫ですか?」
「わかった。じゃあ、お待ちしてます」
電話を切ると、神楽さんがこちらをうかがうように見ていた。
「お客様いらっしゃるんですか。あの、何かこちらでもご用意いたしましょうか?」
「いや、必要ないよ。コーヒーもそのインスタントを出してくれればいいから」
「ですが」
食い下がる神楽さんに私はどうしてなのかと理由がピンとくると、にこっと笑ってわざとらしく腕を組んだ。
「まぁ、そうだよね。私一人じゃないから、ちゃんともてなさないとね。神楽さん、おまかせするから何か買ってきて。もしコーヒーメーカー自体が欲しいのなら、買ってきてもいいから」
「ありがとうございます」
こういうところ、ほんと私は鈍い。危うく神楽さんに恥をかかせるところだった。私は小説内で心情を上手に書けても、現実世界だとダメなんだよね。
もう少し、気の利く人間になりたいものだ。
十一時少し前、インターホンが鳴った。神楽さんが出ようとしたけど、彼女の存在を知らない藤崎さんが慌てるに決まっている。エントランスで大声であれこれ喋られたら近所迷惑だ。
ふと、そこでちょっとしたイタズラを思いついたので、私は神楽さんに部屋から出ないように言い含めてからモニターに近付いた。
「どうぞ、あがってきて」
ロックを解除した私はすぐさま玄関に行き、神楽さんの靴を靴箱の中にしまった。そうしてぐるっと辺りを見回し、神楽さんの痕跡がないかチェックする。
うん、大丈夫。
するとほどなくして、ドアのインターホンが鳴った。私はにやけるのを堪えつつ、いつもの感じでドアを開けた。
「お邪魔します、先生」
切れ長の目に整った顔立ち、そしてサラサラのストレートヘアが腰まである仙谷出版の藤崎瑠璃さんが私を見るなり小さく笑った。
「いつもこうして会う時はすごく仕事できる人っぽいよね」
「先生、だいぶ失礼ですよそれ」
苦笑しながら藤崎さんを中へと入れる。するとすぐ、眉根を寄せてキョロキョロとせわしなく藤崎さんが首を動かし始めた。
「あの、夢野先生……妙に綺麗、ですね」
「失礼だねぇ、藤崎さん。私の家はいつもこんな感じだったでしょ」
「え、いや……どっちかというと汚部屋だったような」
「何を言ってるの? どこが散らかり放題なのさ?」
リビングに通すと、藤崎さんの目が丸くなり固まった。美人らしからぬ顔でぽかんと口を開け、思わず猫背になっている。
「ん、どうかしたの?」
「夢野先生……随分お片付けされたみたいですけど、何かあったんですか?」
「元からこうだってば」
「いやいやいや、待ってくださいよ。そんなわけないでしょう。え……私これ、夢見てる? 夢の中で先生からお仕事を貰う約束をしようとしてる?」
もうすっかりわけがわからなくなった様子で、困り顔になって辺りを見回している。藤崎さんが来たのは先々週の水曜日。その時は当たり前だけど、足の踏み場もそんなになかった。だから今、ゴミどころか髪の毛一本も落ちていないここを見て、そう思うのも当然だろう。
私はもう笑いを堪えるのが限界で、パンパンと大きく手を叩いた。
「え、な、なんですか?」
するとすぐに神楽さんが部屋から出てきた。私は藤崎さんに後ろを見るように指さすと、小首を一つ傾げてから振り向いた。
「ぎゃああああああああ」
部屋中、いや周囲に事件性のある悲鳴が響き渡った。




