7: 咲耶兄の匂い袋
——望まれた願いを叶えるのが神の本分。
人工神の蛍にとって、安倍晴明は親であり、自分の存在意義であるが故に安倍晴明を『主』として、その願いを叶えるために行動する。
それは習性——あるいは、本能のように刻み込まれたものだ。
そんな生き方を否定して、自分のために『自由』に生きろと言われても、生まれて間もない蛍に理解できるはずがなかった。
(……それでも、必死に晴明の望みを叶えようとしてるコイツが、一層可哀想に思えてくる……)
咲耶は、蛍を見つめながら小さく息を吐いて、ゆっくりと口を開いた。
「……晴明はお前が人工神として造られた存在だったとしても、お前に自分の人生を生きて欲しいって思ってるだけだよ」
その言葉に蛍の翡翠の瞳が悲しげに揺れた。
「……でも、でも。 ボクは、ボクの人生はご主人様のためにあるのに……?」
「まぁ、そう来ると思ってた……」
今、理解するのは無理難題だった。
それも、無理はないか——と咲耶は蛍から視線を逸らす。
この先、経験を重ねて、蛍が生きていくなかで「新たな存在意義」が見出せるなら、この答えも変わるだろう。
だからこそ、安倍晴明はあえて蛍に寄りかからせないよう振る舞ってるんだろう。と咲耶は内心で思う。
「お前のその晴明に、依存した生き方が重たいんだよ。 まずは、その存在意義の答えから離れろって言われてんの」
「——お、重たい……ボク、重たいのか」
蛍は咲耶から矢継ぎ早に飛んでくる蛍のダメなところが、刺さり過ぎて心が折れそうだった。
(もう、ボク、本当にご主人様にいらないって、思われてるんじゃ……)
蛍の周囲から泣きすぎてキノコが生えている。
そんな哀愁漂う姿を見ても、さらに追い討ちをかけるのが咲耶だった。
「あと、お前さ……晴明の言葉を、全部信じるのはどうかと思うぞ」
「……ふぇっ!?」
もはや、自身でキノコをむしり始めた蛍はハッと我に返り、咲耶を見やる。
先程、蛍は「晴明は、蓮が禍ツ神に襲われたって言ってたんだ」と言っていたが……そもそも、蓮の正体を知っている咲耶にとって—— 本来の蓮は、禍ツ神に襲われるほど、弱くない。
——むしろ蓮は、狩る側の存在だ。
そんな蓮が大怪我をする時点で、自分から危険へ突っ込んで行ったと考える方が自然だった。
それを、安倍晴明は嘘で隠しているのだから、蛍に関わる何かがあるのだろう。
(……しかも、嘘吐くときの晴明は二倍冷たくなるし、コイツ可哀想だな、本当……)
安倍晴明が人工神を造ったのは桜を通して、咲耶も知っていたが、ここまで関係が既に拗れているというか、歪な感じになっているのは予想外だった。
「念の為に言っておくが、晴明だって普通に嘘吐くからな?騙されるなよ」
「それは難しい……ボクにとって、晴明は……ご主人様の言葉全部、真実だって信じたい!」
「そういうところが、既にダメなんだけどな」
相変わらず蛍の晴明全面肯定スタンスに呆れる咲耶。
「また、ダメって言われた……」
逆に、全否定され続けている蛍は、しょんぼりしている。
「なら、お前は晴明に海の魚が空飛んで人間は海に住んでるって言われたら信じるの?」
「うん、信じる!きっと世界のどこかに、そんな世界があるんだ!」
「……マジで、コイツの頭どうかしてる」
高天原には、ヤバい奴かおかしい奴か超人しか居ないわけ?と咲耶は頭を抱える。
……はぁドン引きだよ。そう呆れ顔で、ぼやく咲耶を見ていた蛍は、気になって問いかける。
「咲耶兄は信じたい人、いないのか?」
「この世界に昔、居たけど、今は……そうだな」
少し寂しそうな顔をして、咲耶が若葉色の目を伏せた。
「いない——でも、俺は、晴明や蓮には騙されてもいいって思ってる」
「騙されるのは良くないんじゃ……?」
咲耶の言葉をそのまま受け取った蛍は首を傾げる。
そして、蛍は咲耶を励ますように明るく笑って言った。
「でも、大丈夫だ! 晴明は咲耶兄を騙したりしない!」
「……お前はそうだよな」
蛍は寂しそうな咲耶を励ましたつもりだったのだが、逆に咲耶は呆れたような顔に戻ってしまった。
「でも、そうやって信じて本当に騙された時に悲しいのは結局——お前、なんだよ」
ビシッと額を弾かれた蛍が「い…だっ!」と涙目になって咲耶を恨めしそうに見据える。
「うぅ〜、痛い、咲耶兄……」
「お前みたいに、純粋に誰かを信じれる奴がこの世界に一番向いてないよ」
咲耶は蓮の治療が終わったのか、薬箱を背負いながら蛍を見下ろして、そう言った。
「咲耶兄……」
「自分が信じてる奴が、同じようにお前を信じてくれてるとは限らないんだからな」
咲耶はきっと蛍が同じように傷付かないために助言をしてくれているのだろう。
……簡単に信じて、傷付かないように。
(咲耶兄の言い方は意地悪だけど、本当は優しい神様なんだろうな……)
そう思う、蛍の横を咲耶は通り過ぎる。
「でも、まぁ……兄と呼ばれた限りには、多少は面倒見てやるよ」
部屋から出て行く前に、咲耶は蛍に向かってポイっと小さな巾着袋を投げ渡した。
「これは……?」
「お前に、なんかあったら俺に知らせが来る。そんな種が入ってる匂袋だ。——絶対開けずに!ちゃんと持っとけよ!」
「あ……待って——」
少し頬を赤らめて素っ気なく言うと、足早に出て行ってしまう。
その勢いに、蛍は、お礼さえも言わせてもらえなかった。
(咲耶、兄……)
蛍の伸ばした手が宙を切って、残念な気持ちになるが、手の内にある小さな巾着袋。
——咲耶兄から貰った匂い袋が気になって、鼻を近づけて、その匂いを……スンスンと嗅いでみる。
「わぁ……良い香り。 桜の香りだろうか?」
何かの種が入っているらしいが、このまま開けずに持っていたら良いのだろうか。
「……ありがとう、咲耶兄」
もう姿が見えない咲耶に向かって、蛍は嬉しそうに言った。
匂袋をぎゅっと両手で包み込むと、ホッと温かな気持ちになって、少し眠くなってしまう。
(良い香りは、少しだけ眠くなるな……)
蛍はうとうと……と船を漕ぎ始め、知らず知らずのうちに深い眠りに落ちてしまった。
咲耶が渡したのはセコム付きの匂い袋です。




