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蒼蓮の天秤 〜神なる君と紡ぐ恋物語〜  作者: 花房 燈
第二章 桜花の国の万年桜
59/60

59:咲耶の過去編:11

挿絵画像はチャットGPTによるAI生成画像です。



 もはや無我夢中だった。

 悲しみで痛みも思考も麻痺していたのか、咲耶は竹林を越えて、森を越えて、ハッと気が付けばそこは高い山の上の神社に一人佇んでいた。

 手に持っていたはずの地図はなくなっており、今、自分が何処にいるのか分からない。



「……これは、浅間山の山頂なのか?」


 

 ただ、浅間山の山頂に酷似した景色がそこに広がっていた。

 神社の境内から下を見れば雲が流れて、低い山々はより一層小さく見えた。 

 しかし、どこを見ても民家や人の住む街並みが一つも見当たらない。



「そうか……そもそも、ここには人が存在しないのか……」



 ——見渡す限り自然と青空だけ。

 風はあるのに、鳥の声も葉擦れの音もしない。


 まるで、世界から切り離された景色を見下ろして、咲耶は自分しかいない世界に閉じ込められたのだと理解した。



「これが、神隠し……か」



 これから先、長い長い時の中で、この神社に神が訪れるまで待つか。

 あるいは、黄昏時の鬼のように、自分が怪異に成り果てるかのどちらかになるだろう。



(……もう、二度と俺は元の世界には帰れない)



 そう思いながら、咲耶は神社の拝殿の階段に腰を下ろした。

 どれくらい座っていたのだろうか。

 青空は変わらず、ただただ流れる雲だけを見つめていた。



 

 ——この世界で気付いたことがある。



 昼しかないということ。夜は来ないのだ。

 気温も一定で、空腹感もない。

 一人しかいない世界ではすることもない。




 何日、何年……一体、どれほど時が経ったのか分からないまま、咲耶はひたすら流れる雲を眺めていた。


 

(……まるで、自分が木になったみたいだ……)



 咲耶が自分を忘れかけていたとき、神社の境内に春が訪れた。

 懐かしいとすら思う、その桜色の花吹雪とともに現れたのは木花咲弥姫命このはなさくやひめのみこと



「——はぁ……まったく、(あずま)も勝手に私の領域に、自分の社を置いたなら自分で管理しなさいよ! なんで私に行かせるのよ!もうっ……」



 誰もいないことを前提に、澄んだ声で怒りを口にしているのだろうか。

 可憐な桜を人の形にしたかのような木花咲弥姫命は、そっと顔を上げて——。



「わざわざ此岸と彼岸の境界なんて一体、誰がお参りに……って、えぇ!?」



 数秒間、その場で固まっていた。

 驚愕に目を見開いたあと、木花咲弥姫命は拝殿の階段にボーッと座っている咲耶に恐る恐る近付いた。



「ど、どうして……こんなところに人が……人?」



 近付いても反応が全くない咲耶を、まじまじと観察した結果。



「……あらあら? この子、人と呼ぶには神力がありすぎるわね、神子なのかしら」



 咲耶が、ただの人ではなく神子なのだと悟った。



(——それに、この子、私の桜の気配がするわ……)



 そうなると考えられるのは、まだ神の国と地上を行き来できていた時代に、木花咲弥姫命が地上へと遊びに降りたときに、うっかり置いてきてしまった桜達。

 


「お腹すいたー!!」

「うぉぉぉ!養分来たー!」

「あ——っ!?……やっべ、これ人間じゃん!!」

「食べたら怒られる! ——ぺっ!!」



 神木と呼ばれる桜に人の子が取り込まれて、慌てて吐き出されて生まれた可能性が高い。



(……あり得るわ。 あの子達なら私に似てうっかりしてるから、つい取り込んでしまったのね……)



 

 頬に手を当てながら、木花咲弥姫命は懐かしむようにその賑やかな桜達を思い出していた。



(……この子がいるのなら、あの子達はまだ、地上に存在しているのね……)



 今はもう、神秘の薄れた地上に神々は降り立つことはできない。

 それでも、いつか消える存在だとしても神々が愛した名残はまだ地上に存在していたのだ。



「ねぇ……あなた、名前は?」



 それが、木花咲弥姫命にとっての目の前の少年——咲耶だった。



「…………」



 しかし、咲耶は木花咲弥姫命が問いかけても座ったまま宙を見つめて瞬き一つしない。

 普通、声をかけられたら視線を上げるとか、ぴくりと動くとかあってもいいのだが……。



「……もしかして、し、死んでたりしてないわよね??」



 微動だにしない咲耶に、木花咲弥姫命は不安になった。



「ねぇ、貴方……名前はあるの?」



「……………ぁ」



 長い沈黙のあと、やっと咲耶は乾いた唇を開いた。



「……な……ま、え………」



 咲耶の声は掠れていた。

 何年、何十年、何百年経ったのか、もはや分からない。

 ただ長い間、話す相手も居なかった咲耶は声を発することはおろか言葉さえもうろ覚えになっていた。



「はぁ、良かった。生きてた……」



 それでも、木花咲弥姫命は咲耶が生きていたことに胸を撫で下ろして柔らかな笑みを浮かべる。



「そうよ。貴方は地上で、なんて呼ばれてたのかしら?」



「…………さ、く、や」



「そう……サクヤ。私の神名(しんめい)とよく似てるわね」



 その答えに木花咲弥姫命は一つ頷くと、ゆるく癖のかかった桜色の髪を耳にかけて優しく問いかける。



「貴方は、どうしてここにいるのかしら?」



「お、れは……もう、だれも化け物に……したくない」



 咲耶は木花咲弥姫命を見ることなく、途切れ途切れに答えた。

 そんな咲耶を木花咲弥姫命は静かに見つめる。



「ここに来た理由があるのね。それについては、何か覚えているの?」



「……か、みかくし……を……した」



「自分で? 神隠しに遭ったの? それは——」



 自殺行為にも程がある。木花咲弥姫命は驚きのあまり言葉を失った。

 普通は本人の意思ではなく迷い込む方がほとんどだ。  

 何か事情があったとしても、こんな場所で、たった一人で自分を忘れていってしまうなんて……なんて悲しい選択を強いられた人生なのだろう。



「ううん、分かったわ。 きっと自分で消えてしまいたくなるくらい、地上は苦しかったのね……」



 一体、彼の心は、どれほど傷付いてきたのかしら。

 木花咲弥姫命は咲耶の傷に触れるように、咲耶の頬を優しく撫でた。



「それなら、これからは貴方の好きなように生きるの、私と一緒に、高天原へ行きましょう?」



「……高天(たかまが)……(はら)?」



 咲耶がゆっくりと顔を上げる。

 その若葉色の瞳にまだ光はなく、濁った水面のように木花咲弥姫命の顔を映し出していた。



「えぇ。神々が住まう世界、高天原よ。 貴方は今日から私の眷属の木花咲弥姫命このはなさくやひめのみことになるの。 そして、貴方は私の弟よ」



「……俺が、弟?」



 若葉色の瞳が揺れる。

 咲耶の言葉に、木花咲弥姫命は春の訪れのようにふわりと微笑んだ。



「私はコノハと呼ばれているの、だけど貴方がサクヤなら丁度いいわ。まるで二柱で一つの神名みたいじゃない。ふふっ、とても素敵」



 木花咲弥姫命の周囲に桜の花弁がどこからともなく現れると、ひらひら舞い落ちる。

 咲耶の頬から手を離すと、桜色の髪に乗った桜の花弁を払いながら言葉を続ける。



「こうして出会ったのも、きっと運命だと思うの。だから貴方は特別よ? 私のことは気安く、コノハ姉とでも呼んでちょうだいな」



 そして、木花咲弥姫命を見つめる咲耶の若葉色の瞳に、僅かな光が差した。



「コノハ……姉——」



 そう掠れた声で名前を呟く。

 初めて咲耶の瞳に木花咲弥姫命——コノハの姿がはっきりと映し出された。

 コノハは咲耶に向かって手を差し伸べて言った。




挿絵(By みてみん)




「えぇ、そうよ、……サクヤ。一緒にいきましょう」



「……あぁ」


 

 小さく頷いた咲耶は、優しく微笑むコノハの手を取って立ち上がった。

 そういえば、と木花咲弥姫命は思い出したかのように咲耶に問いかける。



木花咲弥姫命このはなさくやひめのみことの呼ばれ方の漢字には色々な字があるのだけど、咲弥、咲耶、佐久夜……貴方はどの『サクヤ』が好きかしら?」



「コノハ姉が、好きなのでいい……けど」



 咲耶がそう答えると、コノハは「そうねぇ」と少し悩む素振りを見せた。



「……貴方の雰囲気なら『咲耶』が一番似合う響きね。きっと、この字が貴方に相応しいわ」


  

 そして、偶然にもコノハは咲耶が地上で呼ばれていた名と同じ漢字を選んだ。

 もちろん、言葉だけでは咲耶に伝わらないが咲耶は困ったように眉を下げて小さく笑った。



「分かった……」



 そんな咲耶をコノハは手を引いて歩き出す。

 コノハが歩く度に桜の花弁がひらひらと祝福しているかのように、どこからか舞い散る。



 この音も風もない世界で初めて風が吹き抜けた。

 桜の花弁は青空へと舞い上がる。

 そして、咲耶はコノハとともに神々の住まう世界——高天原へと旅立った。



咲耶兄の過去編がほぼほぼ終わりました。

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