55:咲耶の過去編:7
挿絵画像はチャットGPTによるAI生成画像です。
——陰陽寮、医療課。
そこには、どんな怪我も病も治す薬師がいた。
「……これ、風邪薬だ。とりあえず、朝昼晩な……」
「ありがとうございます、薬師様」
「あぁ……」
木花咲弥姫命の神子である咲耶が陰陽寮に来てから、その評判は瞬く間に広がり連日診療室に様々な悩みを抱える術師達が絶えず訪れた。
「胃の痛みが酷くて、食事もままならないんです」
「……薬草を調合するから待ってくれ」
一人。
「夜寝れなくて、どうやっても眠くても寝れないんです。もうかれこれ三日眠いのに寝れてなくて……」
「それは辛いな。とりあえず、これを飲めば体質改善出来るから試してみてくれ」
また、一人と……。
「……薬師様、俺……最近、不整脈が酷くて……」
「他に症状は?その不整脈はいつ起こるんだ?」
「……黒髪の……あの子に似た子を見ると……もう心臓が痛くて、しんどくて——」
「今すぐ帰れ」
咲耶は、どんな患者にも対応できる完璧な薬師だが、元気な患者には容赦なく冷たいと術師達の間では恐れられていた。
夕陽が差し込む咲耶の診療室に、鬼面の男の術師が現れる。
「今日も随分と繁盛していたそうだな、神子殿」
「東寺」
「そろそろ、俺の研究を手伝ってもらうぞ」
「……あぁ」
東寺の言葉に、咲耶は表情を暗くして頷いた。
咲耶は東寺の研究施設で、人間を神に創り変える研究に手を貸していた。
咲耶の出生と同じ原理で、咲耶の咲かせる桜と人間を融合させることで、人間を神に近づけるのだとか——。
「……ひぃっ。 ゆ、許して……く——」
診察台に拘束された男性へ蔦を絡めて眠らせると、咲耶の神力から咲いた桜の種を植え付ける。
すると、眠っていたはずの男性は白目を剥き、絶叫しながら身体を捩らせ——全身が桜の木へと変化していった。
また一つ、研究室に満開の桜の花が咲いた。
「……っ」
咲耶は眉間に深く皺を刻むと、診察台の上に咲いた人間だったはずの桜の木を見つめる。
「素晴らしい。これだけで、数百年は生きられるほどの神力を有しているな……。あとは、どれだけ人の姿を維持できるかだ……雪村、次の罪人を連れて来い」
「はぁーい、兄者」
東寺の研究室内にある罪人の収容所から雪村が罪人の男を引き摺るようにして連れて来る。
「……ほらほら、ちゃんと前を向いて歩いてください」
「……ひっ、何だこの部屋っ!!」
罪人が広い研究室の壁や天井まで埋め尽くすように咲いている桜の木の木目を見て悲鳴のような声を上げた。
そう、満開の桜には全て、人間だった名残が何処かしらに刻まれていた。
顔のような木目、手のような枝、足のような根……美しさと不気味さを併せ持つ桜達を見て、普通の精神であれば恐怖を覚えて失神しかねないだろう。
「はいはい。 どうせ罪人なんですから、兄者の研究の糧になれるその素晴らしさに感謝しながら逝ってくださいねぇ」
そんな光景を前に、雪村は呑気な声で怯える罪人を無理矢理立ち上がらせるともう一つの診察台へと背中を押して連れて来る。
「この実験を繰り返せば……理論上は、いずれ完全な神に辿り着く。 木花咲弥姫命に近しい存在をこの世に生み出せるのだ」
東寺は何もない空間から鬼の手を出すと罪人の身体を掴み診察台の上に置いた。
暴れる罪人の抵抗も虚しく、暴れた分だけ鬼の手は一つ一つと増えて罪人の身体を拘束した。
「さぁ次だ、神子殿——」
「あぁ……」
咲耶は若葉色の瞳を揺らして、静かに頷く。
しかし、心の中で、泣いていた……何日も、何ヶ月も、何年も——咲耶は、陰陽寮の薬師として人を救い、その裏で東寺の研究に手を貸し続けた。そんな、ある日のこと。
桜の花弁がひらひらと無邪気に遊ぶ子供達の周りに降り注ぐ。
「きゃはははっ!咲耶兄……ほら見て、桜っ!」
「ねぇねぇ、花弁を捕まえて一緒に遊ぼーよ! 咲耶兄」
研究施設に並ぶ桜の木々と、咲耶によく似た小さな子供達——元は全て、罪を犯した人間だった。
「……あぁ、綺麗だな」
咲耶は困ったように笑いながら、子供達に手を引かれて歩いていた。
(……綺麗だなんて、そんなわけがないだろ……)
この研究室に広がる桜の全て、子供達も含めて元は人間なのだ。
咲耶が自分と同じ顔の少女と少年を見下ろして眉を顰める。
桜の少女が訝しげに首を傾げる。
「……どうしたの? 咲耶兄」
咲耶と同じ神力を有する子供達は、研究結果で生み出された。
子供達は研究室の中でならば、数百年は生きられる。
しかし、逆に言えば研究室の桜の中でしか生きられない不完全な儚い命だった。
木花咲弥姫命の神子である咲耶の神力は、植物を変化させて薬効を創り出す。
そう、元が桜の木であるがゆえに、木の性質を引き継いだ子供達は、研究室の外に出ると儚く散ってしまったのだ。
——数年間の研究の果てに生み出された子供達が、桜の花弁に還って行ってしまう姿を見て、咲耶は理解してしまった。
咲耶はどこまで行っても神子であり、神様ではない。
神子が神子を生み出すことは不可能だったのだ。
咲耶の若葉色の瞳に子供達の姿が映し出されて、悲しみに揺れた。
(……人を救う薬師が、人を化け物にし続けるなんて、なんて皮肉なんだよ……)
こうして、——生まれたのは、研究室の中でしか生きられない、咲耶の劣化版とも呼ぶべき存在ばかりだった。
「どこか痛いの? 咲耶兄……」
咲耶が悲しんでいる理由を知らない子供達は「どうしたの?大丈夫?」と咲耶を心配して囲んでくる。
「……ごめんな、俺の……俺のせいだ……」
咲耶は掠れた声で呟くと、崩れるように膝をついて顔を隠した。
「どうして? 咲耶兄は何も悪くないよ?」
「……悪いに決まってるだろ……俺はっ!」
珍しく声を荒げた咲耶に子供達は驚いて、きょとんと目を瞬いたあと、お互いの顔を合わせ合う。
「咲耶兄……?」
そして子供達は、様子を伺うようにうずくまっている咲耶を心配そうに見つめた。
「——俺がっ……お前達を作ったから、俺のせいなんだよ……っ。 俺は、どうしたらいい。 俺は、あと何人、こんな不幸な化け物を創らなくちゃいけないんだよ……っ!!」
「咲耶兄……どうして、泣いて、怒ってるの?」
子供達は咲耶が自分達を生み出して後悔に苦しんでいることなど知る由もなかった。
何が辛いのかと、何がそんなに悲しいのかと、純粋に心配してくれる子供達の視線が咲耶に刺さる。
「っ、……ごめん——」
もう受け止めることができなかった咲耶は子供達に背を向けて走り出した。
研究室の桜の木を横目に見やれば、人の形を残した桜の木は何も語らず、涙のように、ただ桜の花弁だけを床へ散らしていた。
(——なぁ、真広……俺はもう、どんな怪我も病気も治せる薬師じゃない……)
咲耶は嗚咽が漏れそうになる唇を噛み締めた。
(……俺はもう、ただの化け物だ——)
研究室を飛び出した咲耶だったが陰陽寮から出る事は叶わず、逃げ込む場所もない。
虚な気持ちのまま、誰にも会いたくない咲耶は一人になれる場所を求めた。
(もう、一人になりたい。誰にも関わりたくない……)
広い陰陽寮の中をフラフラと歩いていると書庫に辿り着いた。
書庫なら人目を避けられるだろうと足を踏み入れた咲耶だったが、そこは隙間なく本に溢れかえっていた。
しかも、埃っぽくて薄暗い。整理整頓とは無縁の書庫の中で足場を探しながら咲耶が歩いていると……ぎゅむっと何かを踏んだ。
「……ぅ」
足元には、幾つもの本に埋もれる真っ赤な髪の小柄な少年が倒れていた。
「……は? お、おい、お前っ、大丈夫か?」
咲耶は慌てて赤髪の少年を抱き起こした。
小柄な少年は羽根のように軽く、その病状を診ると、ただの空腹だった。しかも、栄養失調に近い。
「……なんで、こんなことになるんだよ」
咲耶は信じられず、開いた口が塞がらなかった。
赤髪の少年の身なりを見る限り、貧しい暮らしをしているようには見えない。
むしろ、腰に揺れる妙に輝く金の鈴や、絢爛な鶴の刺繍がされている白い羽織は薄暗い室内でも目立っていた。
「……はぁ。ったく……」
咲耶は苛立ったように髪を掻き乱した。
そして、懐から取り出した種を袋状の植物へと変化させると、赤髪の少年に点滴を施した。
しばらくすると、赤髪の少年の身体が動いた。シャン……っと金色に輝く鈴が揺れる。幼い少年の唇が言葉を紡ぐ。
「……其方、神子か?」
その一言に咲耶は息を呑んだ。
「っ!!」
赤髪の少年はまだ目も開けていないはずだった。
次の瞬間、その瞳がゆっくりと開く——両眼には黄金の五芒星が刻まれ、淡く光を放っていた。
「……やはり、そうか。 その神力——木花咲弥姫命の神木に取り込まれた人の子か……」
その少年は見た目にそぐわぬ古風な話し方で独り言のように言った。
誰と話しているのか分からない。まるで、咲耶の奥に何かを見ているかのように呟くと、赤髪の少年はヨロヨロと立ち上がった。
「其方が在るべき場所に帰るというのなら、わしについて来るが良い……」
「あ、あぁ」
咲耶は戸惑いながら、赤髪の少年の後について行くと、行き止まりのようになっている書庫の奥でキョロキョロと辺りを見渡す。
「……あぁ、この辺りじゃったか」と言っておもむろに本に触れると、行き止まりだったはずの書庫に、本棚の列でできた細い通路がさらに奥へと現れた。
「——なっ、これは、この書庫の……通路なのか?」
「うむ。 通路のようにも見えるが、ここは陰陽寮とは切り離されておる亜空間じゃよ」
「そんなものが書庫に普通にあるのかよ……」
「普通には存在しておらぬ……安倍晴明の隠しておる禁書じゃからの。 亜空間の権限を乗っ取らねば開かぬ場所が——この禁書の小道じゃ」
そう当たり前のように言う赤髪の少年に咲耶は思わず見やってしまう。
「……え、それ入っていい場所なのか?」
「安倍晴明は、わしがただ読むだけなら構わぬと言っておったので、毎度勝手に入らせてもらっておる。 ここは、陰陽寮の者も来れぬからのぉ、わしが一人で本を読むにはちょうどいいのじゃよ、ほっほっほっ」
そう赤髪の少年は、年寄りのように朗らかに笑う。
亜空間へ勝手に入っていることを気にしている素振りは、全くなかった。
むしろ、ここはもう、自分の秘密基地というくらいの楽しげな空気を纏って歩いて行く。
この亜空間は、空間を維持する動力源となる代償が必要——だが、その動力に使われているのが安倍晴明が観測した『愛』という呪い。
そして、天から与えられた使命である『観測』を放棄した安倍晴明が、陰陽寮への最後の嫌味とばかりに、この亜空間を構築して置いていった——ただ一つの感情だった。
赤髪の少年は一体……誰でしょうか。




