54:咲耶の過去編:6
「……そうか。 それが答えならば、我々も実力行使するしかなくなるのだが——」
東寺が静かに呟いた瞬間、空に巨大な鬼の眼が開いた。
札の貼られた異形の眼が、咲耶の桜を見下ろす。
ぴたり、と——時間が止まったかのように、咲耶の桜の枝が空中で止まった。
「——っ!?」
否——重力が変わったかのような『呪詛』が放たれたのだ。
咲耶の身体が重く沈み、膝が崩れかける。
その眼は、呪いの活性化を促す——全ての殺意を集めたかのような視線で、配下の鬼達へ『ただ殺せ』と命じた。
それと同時に、周囲で悪鬼と戦っていた小鬼達の身体がギチギチ……ッと不気味に音を立て始める。
そして、小さな身体が膨れ上がり、骨を軋ませながら皮膚を裂いて、やがて巨大な大鬼へと変貌した。
大鬼と化した東寺の鬼達は自我を忘れたかのように、禍ツ門から溢れる悪鬼だけではなく、逃げ惑う村人までも見境なく喰らい始める。
「……なっ!? ふざけるな!! 村人に手を出すな——っ!!」
咲耶は叫び、止まっていた桜の枝を再び勢いよく伸ばして、東寺が立っていた場所へと桜の枝を無数の剣のように突き立てる。
東寺はひらりと宙を舞うと、地面を割りながら咲耶の桜の枝がその後を追いかける。
「……道満」
東寺が枝を躱しながら短く告げる。
促された蘆屋道満は、舌打ちをして両手を咲耶の桜に向けた。
「チッ——芽吹く花を喰らえ、蟲喰」
道満の声とともに黒い霧が溢れる。
それは無数の羽蟲となり、咲耶の桜へ群がって黒く染めていく。
「なっ……! やめろ——っ!」
咲耶は瞬間的にその蟲の性質が己の桜と相性が悪い呪いだと気付いて叫んだ。
葉を喰らい、枝を喰らい、花を喰らい、咲耶の神力で生み出された桜を外側と内側の両方から食い荒らしていった。
満開だった桜が呆気なく黒い灰に変わっていく。
「……嘘……だろ」
咲耶の開かれた瞳に崩れ落ていく桜が映っていた。
「神子様は悪い子なので、金縛りにあわせちゃいましょう……怪異『ナマリ』——手のなる方へ」
それに追い討ちをかけるかのように犬面の少年が手を叩く。
——ぱん、ぱん。と、その乾いた音が響いた瞬間、咲耶の身体が見えない何かに縛られた。
膝から崩れ落ちるように咲耶は、そのまま地面に倒れ込んだ。
「……っ!!?」
地面に突っ伏したまま咲耶は目を見開くと、そこへ歩み寄って来た東寺の静かな声が降ってくる。
「……神子殿。神力が尽きかけているのだろう?」
力量差は明白だった。
(……く……っそ……)
それでも、咲耶は動かない身体を必死に動かそうとした。
だが、毒で麻痺しているかのように指先一つ動かない。
(……木々よ、草花よ……どうか——)
いつもなら何かしらの返事が返って来るであろう咲耶の言葉にもシン……とした空気だけが流れた。
桜も植物達も、神力が尽きかけている咲耶の声に応えてはくれなかった。
「我々は野蛮ではない」
東寺の声は穏やかに咲耶に向かって紡がれる。
「神子殿……これは、取引だ——残りの村人は助けてやろう。 それならば、我々に協力するのか?」
まるで悪魔の囁きのような東寺の声が聞こえた後、近くにまた悪鬼が湧いた。
「うわぁぁぁ!! 神子様ぁぁぁぁ!!」
咲耶はその声が聞こえる方に視線だけを向けた。
悪鬼が逃げ遅れた村人に飛びかかったが、その悪鬼も、村人も、東寺の大鬼がまとめて捕まえた。
「……ひぃぃぃ、何だ、この大鬼——」
そして、大鬼は村人も悪鬼も一緒に頭から喰らった。
咲耶の若葉色の瞳に血飛沫が舞う。
(なんなんだよ、この地獄は……)
周りを見れば、生き残りさえ許されないとばかりに、逃げ惑う村人がまた一人、そして一人と見せしめのように大鬼に、悪鬼諸共喰われていく。
「俺にとって何人死のうと構わないが——いかがする?」
「……っ」
咲耶の絶望に染まる瞳から、とめどなく涙が溢れた。
(……あぁ、なんでだよ。俺はこんなにも……無力で、村を、村人達を……助けることすら叶わないんだ……)
咲耶の身体は小刻みに震える。
歯を食いしばり、無力にもただただ、東寺の鬼面を睨みつけた。
鬼面の奥で東寺が咲耶の答えを悟ったかのように柔らかに笑った。
「……雪村、解いてやれ」
「はーい! 兄者」
飄々とした犬面の少年の返事とともに見えない拘束が解けた。
それでも咲耶は立ち上がれなかった。
「……っ。ぅ……」
俯いてしまえば、堰を切ったように、若葉色の瞳から涙が滴り落ちる。
近くの家屋が火の粉を上げて崩れていった。一層、赤く照らされる無数の血溜まり。
地獄と化した村の中で、咲耶は東寺達に頭を下げた。
「……頼むから……これ以上、この村を壊さないでくれ。 もう誰一人、村人達を死なせないでくれ……」
一言一言が震える咲耶の力ない声。
それを聞き届けると、東寺は膝を折って咲耶に手を差し出した。
「——それでは、神子殿は我々と共に行くと?」
東寺の言葉に、咲耶は唇を噛んで、諦めるように静かに目を伏せる。
「……あぁ、分かった」
東寺の手を取って咲耶が立ち上がる。それとともに空に開いた鬼の眼が閉じた。
大鬼達は再び小鬼へと姿を戻すと——次の瞬間、東寺は淡々と宣言した。
「では、神子殿に対価を支払おう——これより、禍ツ門を破壊する」
「……はぁっ!? クソが、何を簡単に言ってるんだ!!」
蛇面の女が声を荒げた。
しかし、東寺が動じている様子はなく、懐から古びた一冊の書を取り出した。
「もちろん、簡単ではない」
安倍晴明が残した術式の一部が記録された書を東寺は自分の術式に組み込みながら再現し始める——光り輝く術式は何重にも層を成しながら、大地に広がっていく。
それでも天才には遠く及ばない。体内の霊力量も重ねられる術式の数も限られる。
「だからこそ蘆屋、雪村——霊力源となれ。…… 今からあの男の破壊術式を二割の規模で再現する」
「はーい!」
「馬鹿なっ!! それをクソだと言っている!!」
犬面の少年、雪村と反対に、蛇面の女の術師、蘆屋道満は吐き捨てるように言った。
「あの破壊術式の術式密度ならば二割でも、私と雪村の霊力だけでは賄えん!!」
そう安倍晴明が陰陽寮で最後に創り出した禍ツ門を破壊する術式——そのたった二割の再現が、上級術師である東寺の限界だった。
そして問題は術式を発動するための霊力供給源。
東寺一人では賄えず、蘆屋道満と雪村の霊力を織り込んでもなお足りない。
「あの男がよく言っていただろう。 無いものは創るしかない、と——道満」
東寺は穏やかに、されど淡々と告げた。
それをどうにかできるのは、生物を蠱毒へと変換してしまう蘆屋道満の術式しかないのだ、と。
「……霊力が足りなければ、俺の研究室にいる、お前がゴミどもと呼ぶ連中と繋げろ。 体内の蠱毒を霊力へ変換——お前ならば可能であろう?」
やってみせろ。と東寺は言い切った。
なんという理不尽。なんという無茶振りか……一人で何でも体内の術式と霊力で賄ってしまう男と蠱毒使いを一緒にしないで欲しい。
「……あー!! クソが!! これで死んだら貴様を呪い殺してやるぞ——クソ野郎ッ!!」
蘆屋道満が苛立ちのあまりに蛇面を外して地面に叩き付けた。
サラッと艶やかな長い黒髪が揺れる。
陶器のように白い肌が露わになって、長い睫毛が影を落とす紅玉の眼が怒りに細まる。
「あはっ! 死ぬ時は俺と一緒ですねぇ、蘆屋道満」
「クソッタレ。貴様一人で逝け」
誰もが息を呑む美女だと称されても不思議ではないその女は、すこぶる口が悪く、犬面の少年の言葉に、これでもかというほど顔を顰めたのだった。
そして、東寺達の手によって禍ツ門が破壊され、浅間野村がかろうじて残された、その日。
——咲耶は、陰陽寮の薬師となった。
丁寧に野蛮です、東寺さん。




