49:咲耶の過去編:1
その後、仮説世界の万年桜の封印は蛍が生命の権能で創り出した原初の裁きを放つことで解放することができた。
『——時よ、止まれ』
——リィィン。
邇邇芸命の低い声と鈴の音が響くと三分の時間停止が起こる。
その問題は、蛍の生命の権能と邇邇芸命の時の権能は同じ概念系の権能であることだった。
蛍は戦闘中、生命の加護を広げ続け、仲間達への加護を強く保っておかないと、同じ概念の権能同士がぶつかり合うため、蛍が気を抜いてしまうと邇邇芸命の権能に上書きされかねない。
そして蛍が生命の加護を切らすことなく集中して広げ続けていると——また一つ問題が起きたのだ。
「……ボクの加護を受けて、タケルや蓮に時間停止が効かないのは良いんだが。 タケルは良いとしても、全部の攻撃を蓮に任せることは出来ないんだよな」
邇邇芸命への攻撃を全て蓮に、お願いしてしまうと蓮の侵食の権能によって命が刈り取られる瞬間に、邇邇芸命の魂と権能が蓮に吸収されてしまうことが分かった。
(……魂も権能も吸収してしまうとなると、やはり、蓮は白ちゃんと近い存在なのだろうか?)
蛍は安倍晴明の屋敷の廊下を一柱歩きながら考える。
見上げた星空は小さくも輝いていて、その白銀は夜空に浮かぶ神々の魂のようだった。
(ボクと白ちゃんが生と死の神で、お互いに魂と権能を奪い合っていたとしても……それでも、ボクは——この戦いに負けてはいけないと思うんだ……)
蛍はピタリと立ち止まる。
(——それでも……もし、相手が白ちゃんじゃなくて、蓮になってしまったら?)
不意にそんな考えが過って自然と蛍は足を止めてしまっていたのだ。
その瞬間、ザァァァッと桜の木々が騒めいて、花吹雪を巻き起こした。
花吹雪が収まると、そこにいたのは木花咲弥姫命の咲耶だった。
「咲耶兄……」
「明日、桜花の国の万年桜の封印を解くんだな。 さっき、晴明から聞いた」
「うん」
蛍が小さく頷くと、咲耶が蛍の目の前に歩み寄ってくる。
「ここまで、頑張ってくれて……ありがとな、蛍」
(……えっ? ——さ、咲耶兄が、笑った!?)
ふっと綻ぶ咲耶の笑顔に蛍は数秒固まった。
見慣れぬ咲耶の笑みに思考を持っていかれた蛍だったが、すぐに我に返ると首を左右に振った。
「……ううん、お礼はいらない。 ボクはやれることをやってるだけだから」
「お前らしいな」
当たり前のように答えた蛍の言葉に、咲耶は穏やかに若葉色の目を伏せる。
蛍はそんな咲耶を見上げて少し眉を寄せた。
「……でも、本当は、ちょっと不安もあるんだ」
「木花咲弥姫命、コノハ姉さんのことか?」
「うん……」
そう、仮説世界で蛍達は邇邇芸命しか相手してない——というより、月夜見は邇邇芸命しか仮説世界を用意出来ないらしいのだ。
月夜見曰く、仮説はあくまで仮説であって「未来予知ではない」ため、状況不明の対象は用意出来ないと言っていた。
逆に状況や原因の対象を把握しているのなら、解決のために仮説世界を用意できるということらしい。
現状、邇邇芸命を封印している木花咲弥姫命の状態が分からない。
(……もし、木花咲弥姫命まで堕ちていたらボクは………咲耶兄の大切な神を二柱も転生させることになる——)
蛍の翡翠の瞳が揺れる。ただ木花咲弥姫命まで禍ツ神に堕ちていないことを祈るばかりだった。
「……コノハ姉さんは強いから、きっと大丈夫だって思いたい。それに、もしコノハ姉さんが堕ちていたなら……」
咲耶の細く長い指先が蛍の頬にそっと触れる。
「それは、俺の責任だから、お前が背負うことはないよ……蛍」
そう言って、咲耶の若葉色の瞳が細まる。
咲耶の指は蛍の頬を一度優しく撫でて、そのまま蛍の頬を摘まんで、にょんと伸ばした。
「咲耶に……いひゃいっ」
にょん、にょんとひたすら蛍の頬を摘まんだまま伸ばす咲耶の表情は変わらない。
きっと咲耶は蛍の気持ちが沈まないように励ましてくれているのだろう。
「蛍、二柱のために、お前は本当に良くやってくれてる。 そこはちゃんと誇っていい……」
本当なら蛍が咲耶を慰める立場なのに逆に励まされてしまった。
蛍の頬を摘まんでいた咲耶の手のひらが蛍の黒髪を優しく撫でる。
「……うん」
蛍は少しだけ視線を彷徨わせると、ぎゅっと拳を握り締める。
普段、素っ気なく思える咲耶だが本当は優しいことを蛍は知っている。
咲耶の言葉は、蛍の責を軽くするためのものだった。
(……咲耶兄は優しい。 だけど、それに甘えちゃダメだ。 だからこそ、ボクは咲耶兄が背負おうとしているものを、背負ってきたものを知らないといけないと思うんだ……)
蛍は翡翠の瞳でまっすぐ咲耶を見つめて柔らかく微笑んだ。
「ありがとう、咲耶兄」
そして蛍は一歩、咲耶に近づいた。
澄んだ翡翠の瞳はまっすぐ咲耶を映し出していた。
蛍が今から聞こうとしているのは咲耶が人間でありながら何故、高天原に至ったのか。
それを問うことで、咲耶の傷を抉ることになるかもしれない。
「……咲耶兄、一つ、聞いてもいいか?」
それでも蛍は咲耶に踏み込んだ。
蛍と咲耶は至近距離で見つめ合う。翡翠の瞳と若葉色の瞳が重なると、諦めたように咲耶は笑った。
「——あぁ、いいよ」
きっと咲耶も蛍が何を聞こうとしているのか察したのだろう。
「お前になら答えてやるよ。なんなら、そこに座って話そう……」
そう言って咲耶は縁側に薬箱を置いて座ると自分の隣をポンポン叩いて、蛍に「ここに、来い」と言う。
蛍は少し緊張しながらも咲耶の隣に座った。
「……咲耶兄」
隣に座る咲耶を横目に見上げると、月明かりに優しく照らされて、それでいて少し悲しげに見えた。
蛍はおずおずと問いかける。
「咲耶兄は元々……人間だったのか?」
「あぁ、そうだよ。 俺は人間だった——」
咲耶は夜空を見上げた。
その若葉色の瞳に映るのは、丸く大きな満月ではなく、桜の花びらが降り注ぐ青空だった。
——その人間の赤子は、大きな桜の木の下に置かれていた。
それは、たまたま意思と神力を持った桜の木であった。
腹を空かせたその桜の木に、赤子は取り込まれてしまう。
しかし、桜の木はすぐ、それが「人間である」と気付いたのか赤子をぺっと吐き出した。
吐き出されたものの赤子は、桜の神力によって身体が造り替えられた。
それは、もはや、限りなく人に近い神であった。
美しい桜色の髪に若葉色の瞳、まるで木花咲弥姫命のような美貌の少年を——村人達は『神子様』と呼んだ。
木花咲弥姫命から名を取り、咲耶と名付けられた少年は生まれながらに様々な植物を扱い、医学に長けていた。
村人や友人からも咲耶は神子として扱われて、とても大切に慕われていたのだ。
「おーい! 咲耶! 遊ぼうぜ……ってお前、今日も謎の植物育ててんのかよ」
手を振りながら咲耶に駆け寄ったのは、元気はつらつな黒髪の少年だった。
そんな少年に向かって、咲耶は薬草片手に横目に見やる。そして鬱陶しいとばかりに若葉色の瞳を細めた。
「真広……謎の植物じゃなくて、これは薬草だからな?」
咲耶が畑に植えた植物を採取している姿を見て、村人であり咲耶の友人でもある真広がやや引き攣った表情で咲耶の手にある植物を見やる。
「……いや、それ動いてんのよ!! そんな動く植物なんて、俺、見たことねぇーよ!?」
「大げさな。別に生きてんだから動くだろ、普通」
そんな淡々とした咲耶に、真広は思わず声を上げて突っ込んでしまう。
「植物は動かねぇーよ、普通はなっ!!」
大根のような白い根は顔が浮かび上がり「ォェァァァァ……」と謎の声を上げながらウネウネと根の先を動かしている。それは不思議と人形にも見えた。
真広は咲耶が作る数々の謎の植物を見てきた。
どれもこれもが、見たことのない植物ばかりだが、その薬の効果は絶大で咲耶に治せないものなどなかった。
「まぁ、けど本当……すごいよなぁ、咲耶は」
「なにが?」
ポツリと溢した真広の言葉に、咲耶は畑の薬草から視線を上げて、真広を見上げた。
「こんなわけわからん植物で、どんな怪我も病気も治しちまうんだからよ」
「わけわからんとか失礼だな、ちゃんと品種名くらいある。なんなら一種類ずつ聞くか?」
「いや、覚えらんねぇーし! いらねぇよ!」
真広は唯一、咲耶を神子だと崇め奉らない対等な友人でいてくれた。それは咲耶にとっても気楽で心地の良い関係だった。
ついに、咲耶の過去編突入です。




