39:未来の君と過去のボク
安倍晴明のあとを咲耶は静かについていく。
咲耶のすぐ背後では、蓮を優しく包み込むように抱えた影踏鬼が、天秤の槍を携えながらズズズッと地面を滑るようについてきていた。
しかし、その時、大きく地面が揺れ始めた。
「あれは、禍ツ神の瘴気……」
咲耶が息を呑んでコノハを見やる。
黒い霧のような瘴気がコノハから溢れ出していた。
『——いやよ、私……を、一柱にしないで、時憲さん、咲耶っ、誰もどこにも行かないで……』
パキパキと石化するように木花咲弥姫命の肌が黒く染まっていく。
コノハの足から身体へ巨大な桜の幹が絡みついていく。
それは、人が桜の木に変わっていくようで、咲耶が人を桜に変えていた時の姿と似ていた。
だが、規模そのものが違った。
桜の木はコノハを呑み込みながら膨れ上がり、やがて万年桜にも匹敵する巨木へと変貌する。
その幹はさらに枝分かれし、ゆっくりと人型の上半身を形作っていく。
『ああああああああ——!』
コノハの悲鳴のような絶叫とともに、桜花の国の地面を割って現れた黒い桜が次々と咲き乱れた。
「……これは、あかん。ここも桜が生えてきて足場がないなってまうな……影踏鬼、影を広げてくれるか?」
『ウン、イイヨ』
安倍晴明の声に応じて、影踏鬼が周囲を囲む影を広げて、黒い桜や割れる地面そのものを影の中に呑み込んだ。
影踏鬼の影自体が異空間だ。
影の中にまでコノハの桜は侵入できない。
「……っ、コノハ姉さん……」
咲耶が影踏鬼の影の中で、膝から崩れ落ちる。
泣きながら変わり果てていくコノハの姿を見ていた。
黒い桜の枝は揺れながら長い桜色の髪を形作り、巨大な幹は美しい顔と両腕へと変わっていく。
さらに黒い花弁が幾重にも重なり、十二単のような衣を形作った。
肌を切り裂く花吹雪を舞わせながら、コノハが叫ぶ。
『全て——私とともに眠れ!桜の木となり眠りなさい!』
その姿は、黒い涙を流し続ける異形へと変わり果てた木花咲弥姫命。
咲耶が知っている優しいコノハの姿はもうどこにもなかった。
「……俺は、また、間に合わなかった……ごめん、ごめん、コノハ姉さん」
肩を落として謝り続けていた咲耶の鼓膜を激しい雷鳴が震わせる。
「泣いてる場合じゃないわよ、咲耶ちゃん」
瞬間的に移動してきたタケルが崩れ落ちた咲耶の前に立った。
「貴方はこの国をこの状態のまま放っておくのかしら?」
両手に持った双剣を消すとタケルは、咲耶を覗き込んで呆れたように言った。
「——ッ!」
咲耶がパッと顔を上げると、まるで母親が息子を叱るような温かさと厳しさで、タケルの金色の瞳が咲耶を射抜いた。
「貴方はこの国の主神、木花咲弥姫命なのよ。そして、コノハちゃんの弟だからこそ、姉が大切にしている桜花の国を守ってご覧なさいな」
タケルは言い終えると、蛍を抱えている安倍晴明に両手を伸ばして微笑む。
「晴明ちゃん、蛍ちゃんと槍を借りるわよ」
安倍晴明は拒むことはなく、タケルに蛍を渡したが少しだけ心配そうな視線を送っていた。
「あまり無茶なことをさせんといてやってな……」
「うふっ、晴明ちゃんって……見かけによらず甘いこというタイプなのね」
「甘いわけやない。お前さんのやり方は、蛍が死にかけてまうから前もって言っただけや」
眉間の皺を深めた安倍晴明を見やり、タケルが蛍をお姫様抱っこしながら影踏鬼から天秤の槍を受け取ると、零れるように笑った。
「もちろん、善処はするわ」
タケルは悪戯っぽく片目を閉じると、雷鳴を轟かせながら一瞬で上空へと姿を消した。
禍ツ神を囲う結界が間近に見える上空で、宙に浮かびながらタケルは、腕の中で眠る蛍に優しく声をかける。
「蛍ちゃん。ほら起きて……お仕事の時間よ」
「んん……ん?」
タケルの声に蛍の瞼がピクリと反応する。
「……ひゃわぁっ!タケルっ!?」
ゆっくりと開かれた翡翠の両眼に、タケルの綺麗な顔が飛び込んできて、蛍は思わず声がひっくり返った。
「あまり動いたら落としちゃうわよ、蛍ちゃん」
「だっ、だだって……こんな近いとビックリする……」
腕の中で、驚きのあまり瞬きを繰り返している蛍を見て、タケルが満足そうに笑った。
「うふっ!アタシの顔、とっ〜ても綺麗だものねぇ」
「……う、うん?そうだな」
そして、タケルに抱えられ空に浮かんでいた蛍が小首を傾げながら視線を下に向ける。
蛍の目に飛び込んできたのは、巨大な人型の桜のような異形へと成り果てたコノハの姿だった。
「な、何が起きてるんだ、これ……」
蛍は思わず息を呑む。
「コノハちゃんが取り乱して、大きくなっちゃったのよ。蛍ちゃん、一緒に頑張りましょうね!」
(……とり乱して、どころじゃない気が……)
もはや正気を失った禍ツ神のような姿のコノハを見て、蛍は困惑を隠せない。
しかし、蛍は首を左右に振ってタケルの金の瞳をまっすぐに見据えて言った。
「コノハ姉のために頑張るんだよな、ボクは何をすればいいんだ?」
「そうねぇ、蛍ちゃんは空を飛べるかしら?」
タケルに当然のように聞かれた蛍はタケルの言葉をゆっくりと復唱した。
「空を……飛ぶ?」
そして、少し間をおいて蛍は両手を振って勢いよく答えた。
「いやいや、そんなっ!ボクは鳥じゃないから空を飛んだことないぞっ!タケルみたいには飛べない!」
「うふっ、なら飛んでみましょっか!」
そうニッコリと笑ったタケルに蛍は嫌な予感がして、身を震わせた。
「え……いや……っ」
「大丈夫よ、蛍ちゃんなら出来るわ…… 」
タケルの声がやたらとゆっくり聞こえて、蛍はフワッと浮遊感に襲われる。
「やっ、待って、タケル……っ!……ここ、空……っ!」
言うや否や、蛍は上空から天秤の槍と一緒に落とされていた。
「うわぁぁぁぁっ……落ちてるっ!落ちてる……タケル——っ!」
助けを求めて伸ばした手も虚しく、タケルは空いた両手を再び双剣で埋めると、何事もなかったかのように落ちていく蛍を見下ろして声を上げた。
「蛍ちゃーん!身体に神力を巡らせて、宙に浮かぶのよー!頑張ってー!」
「そんな急に言われても……っ!ボク、飛べないって言ったのに——!タケルのお馬鹿っ〜もぅ、助けてっ!」
蛍は落下していく浮遊感から逃れたくて、助けを求めるように遥か彼方に見えるタケルに手を伸ばすが、タケルは優しく微笑んでいるだけだった。
(うわぁぁぁ……神力を身体に巡らせて……わぁぁぁっ、早くしないと!戦う前に、落下死してしまう……ッッ!)
蛍は翡翠の瞳に涙をいっぱい溜めながら、必死に身体へ神力を巡らせようとするが、落ちていく焦りから上手く集中ができない。
しかし、一緒に空から落ちていた天秤の槍は、まるで意思を持っているかのように、蛍が掴める位置まで落ちる速度を調整しながら落ちてくる。
「……天秤の……槍よ……っ!」
蛍は空中で天秤の槍を掴んだ。
ぎゅっと両手で握り締めながら、意識を集中させると天秤の槍を通して神力を循環させたからなのか、ポゥと身体が熱くなる。
その瞬間、天秤の槍が白銀に光り輝いた。
「……あれ?」
フワッと白い膜に包まれるかのように、蛍の身体から落下する感覚がなくなった。
『……まぶ、しい……あぁ、わずらわしい!』
だが、蛍のすぐ下には人と桜が混ざり合ったようなコノハの顔があった。
蠢く桜の枝が宙に浮かぶ蛍に向かって、襲いかかる。
「……っ!」
蛍が天秤の槍を宙で構えた目の前に、金色の雷が駆け抜ける。
「……ウフッ、やれば出来るじゃないの」
蛍を貫こうとした桜の枝をタケルは全て双剣で切り落としていた。
その一連を見守っていた安倍晴明は深いため息を吐いた。
「……はぁ。なんて無茶をさせてはるんや」
流石の安倍晴明も空から蛍が落とされた時は、肝を冷やした。
蓮が意識を失っている今、蛍を助けられる存在は自分しかいないと、蛍が地面に落下する前に助けるための転移術式を用意していたところだったのだ。
「タケルは、可愛い子ほど谷に突き落とす性格だからな」
安堵の息を零していた安倍晴明の隣に、そう言って現れた咲耶の衣装が薬師の着物から木花咲弥姫命の姿へと変わる。
「もう、ええんか?」
静かに問いかける安倍晴明の新緑の瞳が咲耶の悲しげな顔を映し出す。
咲耶の揺れる若葉色が巨大な異形の桜となったコノハの姿を見て、一度伏せられる。
そして、再び開かれた若葉色には迷いはなく、覚悟を決めた咲耶のまっすぐな視線が安倍晴明を見つめた。
「……あぁ、今からコノハ姉に乗っ取られた主神の座を返してもらう」
そう言った咲耶の身体から桜の花弁が舞い上がる。
桜の花弁一つ一つが神力の塊であり、空気に散れば神気となる。
それは花吹雪となって、桜花の国へと広がっていく。
咲耶の広げた桜の花弁は黒く染まった桜の木を包み、次々と元の桜へと戻していった。
もはやコノハを優に上回る神力で、咲耶は桜花の国の主神に返り咲くが、その表情は深刻だった。
「……これは負傷した神が多すぎる。桜花の国全域に治癒をかける。手を貸してくれ、晴明……」
「構わへん、お前さんの判断に任せる」
桜花の国全体の被害は建物だけでなく、負傷した神々が多く存在していた。
あとから咲耶が回るのでは遅すぎると、咲耶は膨大な神力を使って、桜花の国全体をまとめて『変化』の権能で『治癒』させることにしたのだ。
「ありがとう、晴明……」
いつも通り淡々とした安倍晴明の言葉が咲耶の気持ちを落ち着かせてくれた。
深呼吸のあと咲耶がコクリと頷いて、両手を禍ツ神を囲う結界が流れる空に向ける——否、その向こうの桜花の国を含めた上空を見据えて、咲耶は祈りを込めて言葉を紡いだ。
「淡き命の花よ。癒しの花籠となり、汝の芽を守りたまえ——枯樹生華」
花が開くように、桜の神紋が曇天の空に展開される。
一つの桜の神紋は広がり続けて、みるみる桜花の国を覆い尽くす。
(相変わらず、この規模の神力を一瞬で国全体に広げる咲耶の神力は桁外れやな……)
安倍晴明は空から降り注ぐ桜の花弁を視線で追いながら、感心していた。
(……花弁の一つ一つに癒しを込められるのは神子やからやない。これは才能か……あるいは咲耶の魂が持って生まれた祝福か)
咲耶の花弁の一つ一つが触れたもの全てを癒していく。
影踏鬼が抱えている蓮の傷も花弁が触れると傷の中に溶けるようにして、みるみると傷を癒していった。
安倍晴明は、咲耶が桜花の国全体に広げた『治癒』を解析し、そこへ術式を重ねる。
「幻想なる神の祈りよ、永遠の癒しとなれ——花鳥風月」
安倍晴明が重ねた術式によって、咲耶の消費する神力は半分以下に減るのだ。
そして、安倍晴明の術式から放たれた無数の鳥達が羽ばたいて、コノハの暴れる桜の木々を風の刃で切り倒していく。
咲耶と安倍晴明によって、桜花の国の崩壊が一時的に止まっていた。
「すごい、綺麗だ。咲耶兄と晴明が桜花の国を黒い桜から守ってくれているんだな……」
空に展開された桜の神紋と金色の術式を見上げて蛍は目を輝かせながら声を上げる。
そして、不慣れではあるが、ふよ〜っと頼りなくタケルの周りを飛んでいた。
「えぇ、蛍ちゃん。貴女もやらなくちゃいけないわよ」
コノハから向かってくる鋭い桜の幹を切り落としながらタケルが蛍を見やる。
「咲耶ちゃんのためにも、桜花の国のためにも。コノハちゃんの『転生』を貴女にしてもらいたいの……」
「……転生」
タケルの表情にはいつもの軽さはなく、真剣だった。
転生ということは、コノハを殺して生まれ変わらせるということだ。
蛍は天秤の槍を両手で握り締め、ゆっくりと口を開いた。
「でも、タケル。天秤の槍はコノハ姉を悪とは言っていない……本当に、殺さなきゃいけないんだろうか」
「蛍ちゃん……。そう言っても悩んでる時間はないわよ?」
黒い桜の花を咲かせて襲いかかってくる枝を切り捨てながら、タケルが困ったように小さくため息をついた。
蛍はタケルの言っている事も理解できた。
だからこそ、これが、最後の判断になると……天秤の槍を握り締めて、タケルをまっすぐに見つめて言った。
「生命の権能には、きっとボクが知らない答えがあるんだと思う!でも、一体どうしたら……いいのか……」
そう言い淀んだ時、蛍の頭の中に聞き覚えのある柔らかな男性の声が響いた。
『——その、どうしたら……の問いに、ボクが答えてあげよう』
「えっ!?誰……!?」
蛍はキョロキョロと辺りを見渡すが声の主らしき存在は見当たらない。
視界に入るのは双剣で黒い桜を切り落としているタケル、異形の桜となったコノハ。
地上には影踏鬼の影の中にいる木花咲弥姫命の姿の咲耶と金色の術式をまとう安倍晴明。
そして、影踏鬼に包まれている蓮の姿だった。
『今はボクの言うことに耳を澄ませて、心を落ち着かせるんだ……』
「これは……一体、誰の声なんだ?」
蛍は頭の中に響くその声に、頭痛さえ覚えた。
目眩にも似た感覚。
しかし、蛍の状態に構う事なく、柔らかな口調で男性は言葉を続けた。
『君に一度だけ、ボクの生命の権能の使い方を教えてあげよう。その槍を構えるんだ……』
柔らかな声とともに蛍の身体が勝手に天秤の槍を構え始める。
「えっ?身体が……勝手に……」
突然、狼狽え始めた蛍を横目に、タケルは不思議そうに首を傾げた。
「……蛍ちゃん?どうしたのかしら?」
そんなタケルの前で蛍が白銀の光に包まれた。
『君はボクだ。未来の君と過去のボクを東が一度だけ繋げてくれた……だから、その身で覚えていてくれボクの権能を——』
白銀の光が蛍の輪郭を覆い隠し、その姿を完全に呑み込んだ。
その光は幾千もの金と青の蝶へと形を変えて、蝶たちは宙で重なり合い、やがて一柱の古の男神を形造っていった。
『……ここに集え、ボクの生み出した魂の権能達よ』
その言葉とともに曇天の桜花の国の空に現れたのは、イザナギ。
『この創世の神たるボクに従う神々よ……舞い踊れ』
凛と響く柔らかな声とともに金色の蝶と青色の蝶が一斉に空に舞い踊った。
「まさか、そんな……こと……あるわよね」
戦神であるタケルが戦いを忘れて、イザナギの姿に目を奪われてしまった。
「イザナギだものね、蛍ちゃん……いいえ——サナギちゃん」
タケルが呼んだ——サナギ。
それは、創世の神であり、神々を統べる偉大なる高天原の最高神イザナギ。
『……あぁ、なんてことだ。木花咲弥姫命』
蛍とは似つかない冷徹な瞳で異形の桜となった木花咲弥姫命を見下ろしていた。
『キミはボクが生んでやった魂の一つだろう……』
慣れた手付きでブンッと天秤の槍をコノハに向かって振り翳す。
『されど、君はまだ救えそうだ——』
穏やかな声で淡々と言い終えると、天秤の槍から圧縮された神力が神威となって放たれる。
暴れ回る黒い桜の枝と根は蒸発するかのように消えていった。
イザナギお父様が正式に登場です。




