39: 法典解放——仮説世界。これより結論を。
月夜見は「仕方がありませんね。音声通信に戻しましょう」と、近くにあった本に憑依先を乗り換えた。
「こちらの本を依代に……あっ」
本がフワッと宙を舞うと、ハッとしたように本が揺れる。
「会話に入ってるだけですから会話侵入ではありますが、不法侵入ではありませんので、ギリギリセーフですよ?」
「いや、盗み聞きしてる時点で問題やろ。最初から話せば良かったやないんか……」
安倍晴明は、文字が消えてしまった記録書の表紙を惜しむように指先でなぞりながら言った。
「そうですか。文字の方が僕は話しやすいんですが……」
月夜見はそう呟いて、本がシュンと一瞬萎れたように見えたが、次の瞬間には何事もなかったかのように本は元の様子へ戻る。
「そもそも、この世界、特に貴方の周りは観測の眼に見られているようですし……今更ではありませんか。 何故、僕ばかり法を守らなねばならないのですか?」
そんな棘のある月夜見の声が響くと、何故か本は安倍晴明の前でプンプンと怒っている。
安倍晴明は眉間の皺を深めると本に手を伸ばして、落ち着かせるかのようにポンポンと叩いた。
「それは、お前さんが法の権能を持っとるからやろ……」
「えぇ、腹が立ちますね。 捨ててしまいましょう、こんな権能」
「反骨精神の塊かいな。……はぁ。と言うことは今は"上弦の月"か、もうええわ」
そう言うと、視線を本から逸らして安倍晴明は頭を抱えた。
安倍晴明の口から出てきた『上弦の月』という単語に蛍は「一体、なんなんだ?」と目を丸くして、宙に浮かぶ本を見つめた。
「上弦の月って……?」
「えぇ、月夜ちゃんは月の満ち欠けによって、ちょっとテンションが上がったり下がったりするのよ」
そうタケルは当たり前のようにサラッと答えた。
月の満ち欠けは月夜見の精神に深く繋がっているらしく、どうやら下弦の月だと、法的にゴリゴリ厳しくなるけども、上弦の月だとなんなら法に叛逆したいレベルらしい。
「それはすごい……。月の神様らしいな」
ふわりと笑う蛍に月夜見が憑依した本が飛んできて、蛍の目の前で動きを止める。
「えぇ、月の神ですからね。——ところで蛍さん。邇邇芸命への唯一の対抗策について話を戻しますが聞いていただけますか?」
「うん、聞かせてくれ」
蛍は宙に浮かぶ本を両手でそっと持つと、月夜見の声に耳を傾けた。
「邇邇芸命の『時』は、生命や死と同じく概念の権能です。
故に、イザナギの生命の権能ならば、その停滞した時間を再び動かすことが可能なのですよ」
月夜見は一度言葉を区切る。
そして、思考をまとめるように逡巡してから言葉を続けた。
「分かりやすく説明するならば、“生きるという概念”が、時を進めて死へ向かわせるということでもあります」
「……そういえば、さっきタケルが言ってたやつだな。『時』は世界の理を構築する概念で、イザナギの『生命』やイザナミの『死』に近い特殊な権能だって」
蛍が本を手にタケルを見やって言うと、本は満足そうに一度ふわりと揺れた。
「えぇ。その通りです。概念系の権能は高天原でも指折りの特殊な権能ですね」
それは本の向こうの月夜見が穏やかに笑っているようにも思えた。
「死があるからこそ生があり、生があるからこそ死がある。そして、時はその間にあるものです」
静かな月夜見の声が安倍晴明の部屋の中に溶けていく。
月夜見の話からすると、どうやらイザナギの権能が存在する今の高天原なら、生と死の循環が成立するらしい。
だから、その『生命』の権能で、『時』の権能に干渉するのだということだ。
「……なら、ボクのイザナギの権能で時間停止を解除できるとして、どうやって邇邇芸命と戦うんだ?」
「そうですね。……あっ、では擬似的に試してみましょうか」
蛍の疑問に月夜見は答えようとしてやめた。
何故なら、月夜見の場合は「実践で体験していただいた方が早いですからね」と、本の向こうで説明の効率を重視していたのだ。
「え?」
蛍はきょとんと目を瞬いた。
しかし、その疑問に答える者は誰もいない。
そんな蛍をよそに、月夜見が憑依した本が突然、眩い光を放って、パラララッ——と頁が独りでに捲れ始める。
「法典解放——仮説世界。これより結論を導き出します」
蛍の隣にいた蓮が嫌な予感を察知して、すかさず蛍を抱きしめた。
「ちょっ、何で急にこう——なるわけっ!?」
「……え、蓮?」
蛍が驚いた様子で蓮を見上げた次の瞬間、全員の身体が本へ吸い込まれていく。
——そして、桜花の国の万年桜の付近に、ぺっと吐き出された。
「い……ったぁ! あぁ、もぅ……」
またもや蛍の下敷きとなった蓮は、背中に走る痛みに顔を歪める。
どうやら今回も、とっさに蛍を庇ったらしい。
「……ぅ、ん?」
落下の衝撃はあったが蛍の体に痛みが走ることはなかった。
代わりに蓮の温もりと声に顔を上げた蛍の視界に、綺麗な顔を痛みに歪める蓮がいて慌てて体を起こした。
「——わぁっ! だ、大丈夫かっ?蓮っ……!」
「……大国主といい、月夜見といい……全く神の話し聞かなすぎっ!」
そう怒る蓮は、もちろん、とっさに蛍を抱きしめて、落下の衝撃をしっかり受け止めてくれていたのだ。
蓮くんはだいたい、蛍の下敷きになりに行っています。




