37:その桜の正体は——
桜花の国の象徴とされる巨大な桜「万年桜」。
国の中心部に一際大きく聳える、その桜の正体は——禍ツ神に堕ちた邇邇芸命を、先代の木花咲弥姫命が自らが封印となり“二柱”がともに桜の木と化し、永い永い眠りについたことで生まれたものだった。
「……やけど。問題は万年桜は確かに、そこにあるはずなのに、そこにはあらへん。不可侵の存在になってしもうてることや」
「……えっ? どういうことだ?」
安倍晴明の言葉に、蛍はこてんと首を傾げる。
「魔力、霊力、神力……これらは、その性質は違えど、生けるものの体内から発生する"生命力"なんや」
安倍晴明が手を広げると、手の平と同じ大きさの術式が光を放って現れる。
「そして、この術式は俺の霊力を通して、攻撃や防御などが発動する。 やけども、その発動には『必ず対象』が存在するのや」
安倍晴明がそう言い終わると術式がバチバチバチッと青白い火花を放って、綺麗な赤い石が手の内に現れる。
「……えっ? 赤い……石?」
「これは俺の体内で、霊力と魔力を混ぜて作った魔石……いわゆる、錬金術やな」
驚いたように目を瞬かせる蛍に、安倍晴明はいとも簡単に言ってのける。
(((……いや普通、体内で錬金術するやついないだろ……外でやれよ)))
そう内心で思った蓮、タケル、咲耶の三柱が呆れたような視線を安倍晴明に送ってしまう。
そんな視線をよそに、安倍晴明が赤い魔石を蛍に見せて言った。
「分かりやすく言えば。——この魔石を投げれば、壁にぶつかって落ちるか、跳ね返って来る。あるいは威力が強ければ壁を貫通もするな……」
そう投げる動作をしながら、そこで安倍晴明は言葉を区切った。
「これが、"壁という対象"に干渉出来た場合の結果や」
「じゃあ、干渉出来なかったら……どうなるんだ?」
言葉の続きが気になった蛍は興味津々に、まるで授業でも受けているかのように真剣な表情で聞き入っていた。
安倍晴明はそんな蛍の様子に少し表情を和らげて、ゆったりと答える。
「この魔石は、投げる前の時間に戻ってしまうのや」
「……えっと、なぞなぞ、ではないんだよな?」
蛍は困ったように、うーん。と頭を悩ませていた。
「——それが事実や」
そう静かに言って安倍晴明は新緑の瞳を伏せる。
「俺の場合は、術式発動前の霊力が術式に吸われる前までに……。 攻撃したという認識はあっても実際のところは、何も起こってへんということになる」
そして、再び新緑の瞳が開いた。
その目には赤い魔石を通して、遠くの庭で揺れる桜の木が映し出されていた。
「そして、魔石で言うのなら、壁に向かって石を投げたはずやけども。……実際のところは手の内に石があるという状態やな」
赤い魔石を陽の光に照らしながら安倍晴明は言葉を区切ると。
「これだけなら、時間が巻き戻ってる可能性があるんやけどな……」
ため息混じりに言って、安倍晴明は赤い魔石を机の上に置いた。
「——でも、そこへ投げたという認識は出来てるんだよね?」
そう問いかけたのは、蛍の隣で安倍晴明の話を聞いていた蓮だった。
「……あぁ、問題はそこなのや。 そもそも、干渉出来てへんのなら——万年桜が見えるという"視覚"や、そこへ何かをするという"感覚"すら、認識出来てへんはずなのや」
蓮の問いに安倍晴明は淡々と答えると、蓮へ静かに視線を向けた。
「そう。視覚や感覚、記憶すらも残ってる、ね……」
蓮が澄んだ声を低くして考え込む。
(……蓮?)
何故か、蓮が蓮でないような別人のような大人びた、その横顔に、蛍は少し落ち着かない気持ちで、蓮を見つめた。
「……つまり、僕達の時間は動いてるけど、その場所だけは時間が止まってる。あるいは切り取られてるのかな?」
再び上げられた、蓮の蒼い瞳はいつもと違って静かな水面のように安倍晴明を見やる。
「——だから、動く前の動作に。石や攻撃は僕達の時間に戻って来るんだね」
「その推測通りや」
蒼と新緑の視線が重なった。
安倍晴明は再び、机の上に置いていた赤い魔石を手に取る。
その手の平を広げて、赤い魔石がコロンと転がる。
「邇邇芸命の『時』の権能が、木花咲弥姫命の封印……その権能の『変化』を止めることで、お互いの権能が混ざり合った結果——」
まるで手品のように赤い魔石の中で青色が発生して、混ざり合うと、みるみる紫の魔石へと色を変えた。
「……『不変』という権能に近い現象が生み出されてしもうたんやろうな」
そして、どういう原理なのか。
安倍晴明の手のひらに乗せられた紫の魔石からは僅かに紫色の靄が溢れている。
「せやから、『万年桜』の周囲では3分どころではない時間停止が起きてはる」
安倍晴明がそう言うと役目を終えたとばかりに、紫の魔石はピキピキと音を立てたあと霧散した。
「えっと……晴明。それなら、封印もずっとそのままにならないのか?」
「いいや。 封印はそのままにはならない」
おずおずと安倍晴明に問いかけた蛍の質問に、はっきりと答えたのは咲耶だった。
「……咲耶兄?」
蛍が咲耶に視線を向ける。
そこには珍しく俯いた咲耶の姿があった。若葉色の瞳はどこか心許なさげに揺れている。
「俺達……木花咲弥姫命の権能は『変化』……その一つとして、一時的に、変化を止めることも出来る」
いつも凛としている咲耶の声が震えていた。
「——だけど、その本質はどこまで行っても……止まることのない変化を続けているんだ」
先代の主神である木花咲弥姫命に全てを背負わせてしまった。
その事実が、咲耶を苦しめていた。
「あぁ、封印の主導権は未だ先代の木花咲弥姫命が握ってはる……」
それを肯定するかのように安倍晴明が一つ頷いた。
そして机の上に置かれていた、かつての記録書"邇邇芸命と木花咲弥姫命の封印"の表紙にそっと触れる。
「——そして先代の主神、木花咲弥姫命は、止まった時間の中での変化として、内側の『意識や感覚』だけが残ってる可能性があるのや」
安倍晴明の言葉に、その場の空気が静まり返った。
しかし、蛍はその事態の重さに、思わず沈黙を破ってしまう。
「……それって、すごく辛いんじゃ」
「せやから、いつまで保つかわからへん。 自分自身を見失えば、木花咲弥姫命も禍ツ神に落ちるかも知れへんしな……」
実際に、封印は揺れてはる。と、蛍の呟くような言葉に安倍晴明は淡々と肯定した。
咲耶は、桜花の国の現状を頭で理解していても心が追いつかなくなって唇を噛んで眉を顰める。
「……っ」
そして思わず、かつて自分を育ててくれた木花咲弥姫命の呼び名を、溢れるように紡いだ。
「コノハ……姉さん……」
タケルは咲耶の気持ちを察してか、そっと咲耶の肩に手を添える。
「咲耶ちゃん……」
パパに任せなさいな。と軽く、何でもないかのようにタケルは片目を瞑って言った。
「どうしようもないってなったら——その時は、アタシが本気で。……万年桜も全て引き受けてあげるから」
パパ!?(……もちろん男です)




