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蒼蓮の天秤 〜神なる君と紡ぐ恋物語〜  作者: 花房 燈
第二章 桜花の国の万年桜
31/60

31:湖の中の正義の天秤



 その空間は、青空を映した水面の上だった。


 どこまでも続く浅い湖のように、静かな水面が広がっている。

 風に揺れることもなく、ただ穏やかに空を反射していた。



「……よっ、と」



 ぽちゃん——と、水音が響く。


 蓮が蛍を抱き抱えて、上手く着地すると、水面に小さな波紋が広がった。

 見た目よりも浅いらしく、水位は足首ほどしかない。

 そっと蛍は水面に降ろされる。



「ここが、正義の天秤の間なのか?」



 辺り一面が水面なことに戸惑いながら、蛍はきょろきょろと周囲を見回す。


 そんな蛍に、月夜見(つきよみ)は静かに首を横へ振った。



「いいえ。ここは、ただの入り口ですよ」



 そう言って、月夜見は前方を指し示す。



「正義の天秤の間は、この先——あの白い大鳥居の向こう側です」



 視線の先には、巨大な白い大鳥居が一つ。

 そのさらに奥、ぽつりと宙に浮かぶ銀色の天秤が見えた。


 台座もなく、支えるものもない。

 ただ独りでに、静かな空間の中心へ浮かんでいる。



「……なんだろう。予想と違って、驚いてしまうな」



 神聖というより、異様。

 そんな感想を抱いた蛍に、月夜見は少し気まずそうに視線を逸らした。



「はい。本来、()()()()が“天秤の間”と呼ばれていたのですが……」



 そこで一度言葉を切り、小さくため息を吐く。



「魂の選別のために、良かれと思ったのか……大国主命が勝手に、“正義の天秤と縁がある者”しか、くぐれない門を設置しまして」



 ややため息混じりの言葉に、その場の全員が「あぁ……」と同じ顔をした。

 ——間違いなく、(あずま)ならやる。



「その際、空間が影響を受けたのか、湖まで発生してしまいまして。一時期、天津の国が水浸しになったのです」



「あの大洪水、東がやったのね!? おかげでアタシまで、天津の国に出入り禁止にされてたのよ!!」


 

 思い出したかのように、建御雷神(たけみかづち)が眉を吊り上げて怒る。


 しかし、月夜見の静かな表情が、さらにスンッと真顔に切り替わった。そしてキッパリと告げる。



「貴方が立ち入ると、全員感電しますので」



「アタシを漏電扱いしないでちょうだいな! ちゃんと雷を制御できるわよっ!?」



 ムキーッ!と建御雷神が抗議するが、月夜見は涼しげに、何も聞いてない振りをした。



「……はぁ。それで致し方なく、天秤の間の扉を閉じました」



「な、なんだか大変だったんだな」



 思ったより月夜見の苦労は大きいらしい。蛍は月夜見に同情の眼差しを向ける。

 すると、月夜見がゆっくりと法典を開いて、その中から鍵を取り出して言った。



「もし、蛍さんが再びここへ来たいのなら、天津の国にいる僕へ声を掛けてください。鍵は、僕が管理していますので」



「うん! その時はお願いする!」



 蛍は大きく頷いて、ふわっと笑った。


 そのやり取りを黙って聞いていた蓮が、昼間の東を思い出したのか、少し顔をしかめた。



「なんか、色々ありがた迷惑な神様だね……」



「えぇ。鳥居も業務妨害として、強制撤去を検討したのですが……」



 月夜見は白い大鳥居を見上げる。



「あぁ見えて、東は未来の縁を見据える神でもありますので。何か意図があるのでしょう」



 だから、そのまま残した。

 そう静かに告げると、月夜見は蛍へ視線を向けた。



「なので、僕達はこの湖まで来れても……あの鳥居の向こうへ行けるのは、おそらく蛍さんだけです」



「えっ!? ボク、一柱(ひとり)で行くのか……っ」


 

 蛍が驚きと不安に大きく目を開いて言った。


 月夜見は思案顔のまま、「恐らく、弾かれるでしょうが……」と淡々と言葉を続ける。



「——では、試しに、そちらの蓮さんと大鳥居まで行ってきてみてください」



「分かった! 行こう、蓮」



「うん! 行ってみよっか!」



 二柱二柱(ふたり)は手を繋いだまま水面の上を走る。


 ぱしゃぱしゃと澄んだ水を楽しげに跳ねさせて、白い大鳥居の目の前まで辿りつく。



「……ねぇ、蛍。 せーの、で一緒に行く? それとも片方ずつがいいのかな?」



 蓮は目の前に聳える大鳥居を見上げて、そして、視線の先にある銀色の天秤を見据えて言った。



「せーの、で……行く!」



 蛍は、そう勢いで答えた。

 目の前に浮かぶ銀色の天秤は、静かなのに圧倒的だった。

 勢いがなくては入るのを躊躇ってしまう。


 その銀色の輝きは、まるで何かを待ち続けているかのような……寂しさを纏っていた。



「「……せーの!!」」



 そして、蛍と蓮は白い大鳥居の向こうの銀色の天秤の間に入ろうと、二柱は同時に踏み出した——だが。



「……え?」



 鳥居を抜けた瞬間、そこにいたのは蛍一柱(ひとり)だった。




「——蓮っ!?」



 慌てて振り返る。

 だが、戻ろうとしても見えない壁に阻まれ、蛍の手は虚しく宙を切った。


 その代わり、どこからか蓮の声が届く。



『……大丈夫だよ、蛍』



 そんな優しい声だった。

 鳥居の向こうに"蓮"はいるのだろう、何処からか声が聞こえてくる。



『僕は、君が帰ってくるまで、いつまでも待つから。

だから安心して行っておいで——そして、必ず僕のところへ帰ってきてね』



「……蓮」



 蛍はコクンと、小さく頷く。



 そして、覚悟を決めて、もう一度前を向いた。

 翡翠の瞳が、真っ直ぐ“正義の天秤”を見据える。

 

 そして、一歩、一歩、踏み出した。

 ——その時、……ぽちゃん。と水音が響いた。



「……やぁやぁ! やぁっと来たのかいっ!」



 蛍は、その大きな声に、釣られて背後を振り返った。



「イザナギの魂よ。 随分と長いことかかったじゃないかぁ〜!」


 

 そして、大国主命(おおくにぬしのみこと)——(あずま)は、くるりと朱色の番傘を回して、太陽のように笑う。



「え……っ! 大国主命!? 何でここに……っ」



 蛍は今の状況に追い付けず、やや混乱しながら東を見上げる。

 しかし、東が、この白い大鳥居を作ったのだから、ここに東がいても不思議ではなかった。



 それよりも、気になるのは——先ほど、イザナギの魂って言われていなかっただろうか?。



 そんな、思案顔の蛍を一切気にすることなく、東は大きく笑う。



「——まったく、君は! あっちへ行ったり、こっちへ寄り道したり! 道草ばかり食っているからだぞぅ! ははははははっ!」



「うー……今のキーンって、したぞっ(あずま)っ!」



『あははははははははははは! いいぞっ、(うい)っ!!』



「……なんで声量パワーアップしたんだっ!?」


 

 蛍の目が点になる。声量も勢いも凄まじい。



(ここに、晴明か蓮がいてくれたら、東の話を通訳してくれただろうに……とほほほ、ボク、やっぱり帰りたい)



 東の大きな笑い声で、蛍は鼓膜がキーンとする。

 そして、一番辛いのは彼の話に追いつけなくて、色んな意味で、頭が痛いことだった。



(……でも、ここで立ち止まっても、みんなのいる所に帰れないから、よし、がんばろうっ!)



 だが、ここで心が折れては前に進めない。

 蛍は気持ちを奮い立たせ、東へ問いかけた。



「あの……東。ボク、本当にイザナギの魂なのか?」



「あぁ、そうだとも!」



 そう東は大きく笑う。



「君の魂は確かに、一度消えた! 

だが私は、消える寸前——ふわふわ、とろとろになっていた魂を、近くにいた存在へ繋げ! さらに縁を繋げに繋げぇて〜!!」



 東がとんでもない長文を一息で、さらに語尾を歌舞伎のような口調で言うと。



「なんとかっ! 君が此処に来れるように、繋げてあげたのさ! なんて言ったって、私は縁の神だからね!!!

 あははははははははっ!!」



 東は腹を抱える勢いで笑い続ける。

 もはや、これが会話なのかすら蛍にも分からない。



「……あ、ありがとう」



 蛍の笑顔は若干引き攣っていた。

 東の話の勢いのせいなのか、声量のせいなのか、蛍の理解が追いつかない。



(つまり、東が縁を繋げて、ボクはここに来た……ってことだよな? たぶん)



 半ば思考停止しながら結論を出した蛍の肩を、東がぽんぽんと叩く。



「……東?」



 見上げた先で、東の赤い瞳がスッと細められた。




「……さぁ準備はいいかい? 

 ここからは、君の選択次第の縁の先だ——」




 先ほどまでとは違う、静かな声。

 いつもとは違う、落ち着いた口調で言葉を続けた。




天津の国の大洪水が東のせいと、建御雷神は初めて知りました。

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