28:イザナギの権能
「——では、本題に入りましょう」
眉間に皺を刻んでいる安倍晴明の頭上には青い花冠。
その不似合いな組み合わせをよそに、月夜見が穏やかな声で言った。
「天界の観測の眼が、認識の錯誤に気付く前に進めなければなりません。天界の権能による介入は厄介ですから」
声色は穏やかなのに、その内容は不穏だった。
「イザナギは人々の信仰を失い滅びゆく高天原に『希望』を残しました。自らの命の全てを使い、創世たる『生命の権能』を次代へ託したのです」
「……生命の権能」
蛍がぽつりと反芻する。
そう、それが——『正義の天秤』に守られし、『生命の権能』。
「元より『正義の天秤』は、魂の裁量をする神具でした。
悪しき魂と善なる魂を選別する。それを、鍵として、『生命の権能』に相応しき、『善なる魂の位を持つ者』にしか、イザナギの権能へ触れられないようにしたのです……」
イザナギの創世たる「生命の権能」は天界の権能に近く、本来、天界の天の神のもの。
天界とは、善なる魂の最高峰のみが辿り着く位。
高天原の神々の魂では、到底そこへは届かないのです。
そう語る月夜見は、少し困ったように眉を下げた。
それでいて、それは仕方のないことなのだと諦めるように息を吐く。
「イザナギの権能は、究極において、世界さえも創り換えられる。 ——だからこそ、前イザナギは次代のイザナギを選ぶために正義の天秤に守らせたのです」
一つ間を開けて、月夜見は言葉を続ける。
「それが、高天原の神々誰もが、イザナギの権能に触れられない理由でした……」
「……えっと、それだと高天原じゃ、イザナギは現れないんじゃないのか?」
難しい話が苦手な蛍でも流石に理解できた。
そう、結局のところ、イザナギの強大な権能の守りが固すぎて、高天原の神々は誰もそれを手にすることが出来なかったということなのだ。
蛍の言葉に月夜見が一つ頷く。
「ですから、僕は、安倍晴明の計画に手を貸しました。僕の権能は『法』です。故に、この世界の法を掌握しています」
月夜見は手に持っている分厚い本を宙に浮かせる。
淡く光を放ちながら、頁が独りでにパラパラと捲れ始める。
「そして、この月の法典により世界の理の範囲でなら相手を法に縛ることも、存在の定義そのものも書き換えることが可能です……」
言葉の最後に月夜見は涼しい声を低くして言った。
「……もちろん、相応の代償を支払えば、禁忌すら行使可能ですよ——」
暗闇で凛と鈴が鳴るように妖しく、絶対的な力を感じさせる月夜見の金色の視線にゾッと背筋が凍り付く。
「……ひっ、怖いっ」
蛍が身をすくめて、思わず、そばにいた蓮にしがみ付く。
「え……待って月夜見。今サラッと、存在そのものを書き換えるって言ったけど、なんかやばい神じゃない!?」
蓮は蛍を守るように、そっと手を添えながら声を上げた。
「そうよ、月夜ちゃんはやばい神よ。武神のアタシと智神の月夜ちゃんは、戦っても権能の相性最悪だから、勝負が決まらないのよねぇ」
建御雷神が頬に手を当てながら、想いを馳せるような顔でしみじみと言った。
「ちなみに、月夜ちゃんはアタシのズッ友仲間の一柱よ!」と明るく付け加える。
つまり、月夜見は神話時代から生きる“初代の神々”の一柱ということなのだろう。
(これほど、強力な権能を持っているなら確かに……ってことは、初代から生きてる神様って、全員こんなにやばいのか!?)
すっかり蓮と建御雷神のノリに引っ張られながら、初代の神様やばい、怖い!と蛍は蓮の腕に縋りついたまま、小動物のように震えていた。
そこへ追い打ちをかけるように月夜見が淡々とした口調で告げた。
「なので、自白するとそちらにいる白さんを天界に送ったのは僕ですよ」
月夜見の細く長い指先が蓮を指し示す。
「白さん……えっ、ちょ、僕っ!?」
蓮が月夜見の指先を辿り、行き着いた先が自分だと、気付いてギョッと蒼い目を見張る。ここで僕に来るの!?という表情だ。
「えぇ、貴方です。その時は、今みたいな脆弱な稲荷神ではなかったですがね……」
「いまサラッと脆弱って言われた」
「まさか、その少年姿で、天界の負荷に耐え切って帰って来れるとは思っていなかったです……。さすが、その権能に護られている身ですね」
天界で潰れていなくて良かったですね。と優しく微笑む月夜見だが、もはや本当に心配していたのかすら怪しい言葉並びだった。
しかし、告げられた真実が重大すぎて、蓮はそれどころではない。
「……って、ことは、待って——!?」
頭の良い蓮は薄々気付いてはいたが、いざはっきりと言われると衝撃は隠せない。
「だったら、僕が神獣を殺した犯人じゃんかっ!えっ、……待って、全然、晴明関係ないじゃん!?」
どうなっているの? 流石の蓮も混乱を隠せない。
「おおおお、落ち着いてくれ!そそそっ、それは何かの間違いだと思う!?ほわぁっ——!!」
「お前さんが落ち着きや、蛍……」
蓮に釣られて、あたふたして危うく転びかけた蛍が、安倍晴明にそっと受け止められる。
たとえ蓮に、どんな過去があったとしても——それを受け止めたい。と先程、言ったばかりの蛍ですら現状受け止めきれていない。
目の前で巻き起こる大混乱を、まるで絵画でも眺めるように、月夜見は静かに口角を上げて言った。
「……いえ、安倍晴明も関係ありますよ。天照大御神の神殿でも言っていましたでしょう?」
その穏やかな声が、なおさら恐ろしく聞こえるほど美しく月夜見は笑う。
「人工神を創ったのは安倍晴明です。僕と蓮さんは、その材料を集めるために動いたに過ぎません……」
貴方は悪くないのだと。月夜見は蓮の罪を赦すかのように優しく言葉を紡ぐ。
「天界の——その奇跡たる神獣の心臓でしか目覚めない魂。それはすなわち、善なる魂の最高峰が集められた天界の位」
もしも、何が悪と、するならば——。
「それならば『正義の天秤』に守られし、『生命の権能』を解放することが出来るのです。……故に、人工神の蛍ならばイザナギの権能を受け入れることが出来ると断定しました」
——この世界では、誰も罪を犯さずにはいられないのだと、月夜見が静かに月色の瞳を伏せた。
「なので、この世界を救うために、僕も手を貸したんです……」
月夜見の静かな声が、逃げ場を塞ぐように続く。
「人工神が目を覚ました時、その身にイザナギの権能を受け入れていただくと——僕と安倍晴明が交わした契約です」
その金色の瞳が逃がさないと言うように安倍晴明を射抜いた。
「晴明……」
神々の契約など知らない蛍は自分の身体をそっと支えてくれていた、安倍晴明を見上げる。




