27:隔絶世界——月の海。それは青空の花畑
「建御雷神と晴明って、意外とすごく相性いいのか?」
「……いや、どう見ても悪いでしょ」
二人のやり取りを見ていた蛍から飛び出してきた言葉に、蓮は「そもそも晴明は、究極の一匹狼気質だよ?」と驚くように蒼い瞳を見開く。
「……だって、二人だけで分かり合ってたりするんだ。ボクには、すごく仲良しに見える」
蛍は本当に羨ましそうに目を細める。蛍の視線の先にいるのはもちろん、安倍晴明だ。
それは、蛍が安倍晴明とすれ違ってしまうから、純粋に安倍晴明と分かり合いたいという気持ちから来ている憧れなのだろう。
蓮は、どうしたら蛍が自分を見てくれるだろうかと逡巡して。
「ねぇ、蛍」
蓮は蛍の手を取って、明るく微笑む。
「仲良しって言うのは、こうして……僕と蛍みたいなことを言うんだよ?」
そう言って、黒い瘴気が溢れる岩の前には、似つかわしくないほど花が綻ぶような笑顔を浮かべる蓮に、蛍は思わず、蓮を見つめ返してしまう。
(あったかい……そうか。 今、ボクの側には……蓮が、いてくれているんだ……)
決して、一柱ではない。蓮と繋いだ手は暖かくて、蛍のモヤモヤした気持ちを優しく解いてくれる。
「蛍が不安なときは、僕の手を取って……一緒に歩いて行こう、ね?」
例えこの場所が、死の国に繋がる岩の前だとしても、蛍に向けられる蓮の笑顔は陽だまりみたいだった。
そして、蓮のほの甘く爽やかな沈丁花の香り——蓮は、確かに蛍の目の前にいる。
何も不安にならなくていいとでも言うように、蓮と繋いだ手に、蛍は小さく頷く。
「そうだな……うん。ありがとう、蓮」
蛍はぎゅっと蓮の手を握り返した。
そう、蛍が向き合って、考えなくてはいけないのは安倍晴明との遠すぎる距離感だけではない。
(もしも、本当に蓮と死の国にいる白ちゃんが関わりがあったとしたら……)
ボクは、どうしたらいいのだろう。そう、また不安になりかけた蛍は首を左右に振って、その思考を振り払う。
(ううん……ボクが、この手を離さなければ、蓮はボクの側に居てくれる。 だって、蓮はずっとそう言ってくれたから)
蛍は、そう心を決めてまっすぐに蓮を見据えて言った。
「……ボクも、蓮に、どんな過去があったとしても——それを受け止めたいと思うんだ」
そして、これから先も、こうして手を繋いで一緒に歩いていきたいと、蛍は思う。
「だから、ボク、蓮のそばで、蓮のことをもっと知りたいと思ってる」
「……ぅぅ、そんな、まっすぐ言われると……」
あまりにまっすぐ、蛍に澄んだ翡翠の瞳を向けられて、蓮は思わず照れてしまう。
好きな女の子から、もっと知りたいなど、口説き文句もいいところで、あっさり骨抜きになってしまう。
(——あぁ好き……蛍、かわいい。どうしよう、かわいい、蛍が……かわいすぎる)
もはや蓮の頭の中は『かわいい』以外の単語が見当たらない。
脳内お花畑とは、このことかも知れない。今の蓮なら黒い瘴気が溢れる岩の前にだってお花畑を広げられそうだった。
そんな蓮を現実に引き戻すかのように蛍は亀裂の走る岩に視線を移動させる。
「それに、黄泉下りのことも気になるんだ」
「……あの白ちゃんが、降りていった死の国のこと?」
「それだ、黄泉下りって、一体なんなんだ?」
そんな蛍の疑問に、建御雷神が答えた。
「えぇ。黄泉下り——それは、死の国へ向かう旅のことよ」
高天原の神々は元々、生者であるが故に表側の高天原に住んでいる。
だから、裏側の死の国へ降りれば、生きてる神は死の穢れを受けて、黄泉の住人——つまり、禍ツ神に堕ちてしまう。
——だからこそ、創世の神であるイザナギの『生命』の権能の加護が必要なのだと。
「……だけど、人々からの信仰を失ってしまったからイザナギは自身が堕ちる前に、『生命の権能』だけを残して消えてしまったの。だから、この世界に新しい神は産まれなくなったのよ」
「それって……! あのときの」
ハッとした表情で、蛍は先ほどの天照大御神の神殿で月夜見が言った言葉を思い出した。
「黙秘ですか、安倍晴明——ですが、イザナギ不在の今、高天原で新たに現れた二柱の神と、連絡の取れない死の国のイザナミ……」
「全てが関連していると推定されても、致し方ないのですよ」
あれは、そう言う意味だったのか。と蛍は納得する。
天照大御神に呼び出された時点ですでに、イザナギは自身が堕ちる前に、『生命の権能』だけを残して消えていた。
だから、高天原に新しい神は産まれない。
それなのに、高天原で新たに二柱の神が現れたとなると、全て関わりがあると思われても不思議ではない。
「——でも、どうしてイザナギは誰に『渡す』でもなく、『生命の権能だけを残して』消えたんだろうか?」
そう、蛍の中に疑問が浮かんだ。
「神座を代替わりして渡すとか、出来なかったのか……?」
そんな蛍の疑問に答えるかのように、吹き抜けてきた風が黒い瘴気を揺らす。
『……お話し中、失礼します。そちらに関しては、私からご説明させていただけますか?』
その声とともに、空中へ一冊の分厚い本が現れた。
表紙に刻まれているのは『六法全書』の文字。
パラララッ——と頁が独りでに捲れ、その中から、丸い帽子を被った黒髪の青年がふわりと黒い羽織りを靡かせて降り立った。
月色の瞳を細めた青年——月の神である月夜見だ。
「月夜、アナタ……朝陽の護衛は?」
その姿を見て、先に声をかけたのは建御雷神だった。
「ご安心ください。東とスクナビコナが側に付いていますから、僕が離れたところで問題ありません」
「そう、ならいいわ」
特に責めるわけでもなく、建御雷神はあっさりとそれを許した。
天照大御神——朝陽が一柱で、怖く寂しい思いをしていなければそれでいいと。
それに、小さく頷いた月夜見が視線を安倍晴明に移した。
「安倍晴明、さきほどは天の神へのご対応、誠に感謝いたします……」
まるで仕事の取引をしているかのように淡々と、それでいて、どこか心配しているかのような眼差しで月夜見は安倍晴明を見つめる。
「ですが、貴方にあれほど矛を向けなくとも良かったのですよ……? これは、高天原の問題でもあるのですから——」
そう言って、宙に浮かぶ本へ手を伸ばすと、パラララッ——と月夜見の手の中で淡く光を放ち、六法全書の頁が独りでに捲れ始める。
月夜見の周囲の空間が、水面のように静かに歪んだ。
『法典解放これより、世界への認識を錯誤させます。隔絶世界——月の海を展開します』
瞬間——音が消える。風景が切り替わる。
身体が一瞬浮遊したかの感覚に、蛍は眼を閉じてしまう。
今、あるのは蓮と繋いでいる手の感覚だけだった。
『ご安心を……ここは観測の眼を欺く、どの世界からも遮断された僕の結界内です』
そう穏やかに紡がれた月夜見の言葉に、恐る恐る目を開けると、それは見事な満月に照らされた、小さな青い花々が見せる『青空の花畑』。
「わぁ……綺麗。夜の……青空にいるみたいだ」
「本当だ、これは絶景だね」
足元には小さな青い花々が揺れる。
それは月明かりの下でどこまでも優しく広がっていた。
夜空に浮かぶ巨大な満月の明かりに照らされ、青い花——瑠璃唐草はキラキラと輝いて青空のなかにいるような気持ちにさせる。
絶景に瞳を輝かせる二柱を横目に、月夜見は静かな声で安倍晴明へ問いかけた。
「ですから、貴方の"観測眼"も使えないでしょう? 安倍晴明。試しにその眼鏡を外してください」
「……せやな」
ゆったりとした動作で安倍晴明は眼鏡を外して、そのまま静かに戻した。
「確かに、綺麗な青の花畑だけやな」
「えぇ、それは何より」
安倍晴明の答えに満足したような笑みを返す月夜見。
それを横目に見ていた蓮が「……え、あの眼鏡やっぱり伊達じゃないんだ」と知ってしまう。
「——ねぇ晴明、ちなみに普段、何が見えてるの?」
それは興味だった。蓮が思わず聞いてしまう。
「人の心、魂、ちょっと先の未来まで色々や……普段は、うるさくてかなわへん。 やから見えへんように術式をかけとる」
「うふっ。自ら能力低下するなんて、そんな人生ハードモードに萌えるわよ! 晴明ちゃん」
今まで青い花畑の瑠璃唐草をむしって花冠を作っていた建御雷神が安倍晴明の頭上に、出来上がった花冠をそっと乗せながら微笑んだ。
人生ハードモード(ドMですね、晴明)




