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蒼蓮の天秤 〜神なる君と紡ぐ恋物語〜  作者: 花房 燈
第一章 天津の国への招集
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26:封じられた黄泉比良坂への入り口




「——これで、天津の国の案内は最後よ」



 そして最後に案内されたのが、天津の国の立入禁止区域にある『封じられた黄泉比良坂への入り口』だった。

 しかし、入り口を塞ぐ巨大な岩には亀裂が走り、黒い瘴気が溢れていた。


 まるで、焼け跡の煤煙のような瘴気が少しずつ空気に溶けて、高天原全域に広がっているようだった。



「……早いな。もう亀裂が入ってはるんか」



「えぇ、そうよ、白ちゃんが降りてからそう時間は経ってないというのに……」



 ひび割れた岩を見て、眉間の皺を深める安倍晴明に、建御雷神はひどく悲しそうに答えた。



(……白蓮が死の国を抑えていたとしても、現状では維持で限界か。これは、そう永くはもたへんな)



 安倍晴明は、亀裂が走った岩に躊躇なく触れる。

 ——ジュウウッと肉が焼ける音とともに灰色の煙が上がった。



「……晴明っ! ダメだっ、なにを普通に触ってるんだ!」



 慌てて蛍が手を伸ばして安倍晴明の袖を引っ張って止める。

 どう見ても危なそうなのに!と、翡翠の瞳を心配と怒りに釣り上げて安倍晴明を睨む。

 


「あぁ、せやな。けど……俺は焼けてへんで」



「え?」



 安倍晴明が何事もなく岩に触れていた手を蛍に見せる。蛍がきょとんと眼を瞬いた。

 本当に、安倍晴明の手の平には傷一つなかった。



「……え、なんで? でも、いま焼けた音したぞ?」



「晴明ちゃんってば、呪いの類いは受けちゃうくせに穢れとかは全然受けないのよねぇ、不思議」



「呪いは弾いたら本人に返るやろ」



「……ねぇ晴明。 本当になんで、今生きてるの?」



 人の呪いは受け止め、世界の穢れは受け止めない。


 そう淡々とした安倍晴明の言葉に「普通、呪いの方が嫌じゃない?」と蓮が薄目で安倍晴明を見やる。


 そんな二人のやり取りをくすくす笑いながら、建御雷神が安倍晴明に問いかける。



「それで晴明ちゃん、岩の向こうは何か観えたのかしら?」



「……流石に、最下層までは観えへん。やけど、禍ツ神が増えとるな。一番国——天津の国の裏側、黄泉比良坂にまで、上がって来てはる」



「そう……。 白ちゃんですら、死の国の禍ツ神を完全に抑え切るのは、難しいのかしらね」



 建御雷神は、その白ちゃんによく似た蓮を横目に見て言った。

 二人の会話に何度も出てくる『白ちゃん』という名前。



「……なぁ、建御雷神。蓮と似ているその(しろ)ちゃんって、どんな神様なんだ?」



 そのやり取りを見て蛍は、いよいよ気になって、聞いてしまう。



「あー、それ僕もずっと気になってた!」



 蛍の質問に、蓮も興味津々といった様子で身を乗り出した。



「そぉねぇ……。白ちゃんは、先代の宇迦之御霊大神うかのみたまのおおかみだけど——本当は天部の神である荼枳尼天(だきにてん)が変異した存在なの」



「荼枳尼天が、変異……?」  


 

 変異とは、本来の性質や在り方から変わってしまうこと。埋め込まれた知識が、そう告げていた。

 神が変異するなんて、どうなるんだ?と驚いたように目を瞬かせて、蛍は首を傾げる。

 


「火の神から雷の神が生まれるように、神も形を変える」



 建御雷神が右手で人差し指を立てるとバチバチッと花火のような赤色の雷が弾ける。


 火の神に見立てたそれへ、左手の指先を近づけると。


 橙の火花は青白く変色し——次の瞬間、小さな雷鳴とともに黄金の雷が弾けた。



「それを進化と呼ぶか、変化と呼ぶか、変異と呼ぶかは……状況次第ね」



 それは、神話の時代から続く——神々の変遷(へんせん)そのものだった。

 建御雷神の言葉選びには、どうやら意味があるようだ。

 しかし、蛍には難しい。



「……な、なるほど?」



 理解していなさそうな蛍の隣で、一緒にそれを見ていた蓮が問いかける。



「へぇ。じゃあ、そのなかで建御雷神が"変異"って言ったのは、意味があるんだ?」



「そうよ。本来、荼枳尼天の権能は『鎮魂』——死者の魂のみを喰らう神だった。けれど、白ちゃんは違ったの」



 さすが、理解が早いわね。 

 そう目を細めながら建御雷神は、ひび割れた黄泉比良坂を見つめる。



「生者も、神々も、天の権能すらも無差別に喰らう神——、

 蒼い蓮で周囲を侵しながら広がるその権能は『侵食』……。

 天からすれば、白ちゃんは罪そのもの」



 建御雷神はまるで絵本を読むかのように語る。



「本来なら、淡い桃色の蓮を咲かせる荼枳尼天……。

 けれど白ちゃんは、蒼い蓮で周囲を喰らいながら侵食を広げた。——だから、“蒼き蓮の神”と呼ばれ、天を追放されてしまったのよ」



 その言葉に、蓮の笑顔が一瞬だけ消えた。



「……()()()()()。そう……か」



 蓮は天照大御神の権能である浄化の粒子に対して、何も感じなかった。

 もし、自身の権能が侵食であるなら、穢れさえも受けないから何も感じなくて当然だったのだ。

 

 神力はなくとも権能だけは、確かに自分の内に残っている——そんな気がして、蓮は自身の手を広げたり閉じたりしてみる。

 


(……あぁ、どうやら。僕はあまり良くない生まれ方をしたみたいだ……)



 

 その様子を隣で蛍が心配そうに見つめる。



「……蓮、大丈夫か?」



「うん、大丈夫だよ」



 蓮は笑顔を無理矢理作っていた。

 今はまだ神力はないが、これで建御雷神がいう通りの蒼い蓮が咲きはじめたらと思うと、ほんの少しだけ恐ろしい気がした。



「……でもね、その蒼き蓮の神がこの高天原を助けてくれたことに代わりはないのよ」



 その言葉に、蓮は落としていた視線を上げる。建御雷神の金色の瞳が柔らかに、優しく細まる。



「それは高天原の誰もが思っていることよ。 そして、白ちゃんをこの高天原に連れて来てくれた、先代の宇迦之御霊大神にも感謝しているの、アタシ達はね」



「……へぇ、先代とか、あるんだ……」



 蓮は建御雷神が(じぶん)の気持ちを察して、慰めてくれたことが気恥ずかしく思えて棒読みで返した。蒼い瞳が少しだけ泣きそうに潤んで、ゴシッと乱暴に拭われる。



 そんな蓮を見て、随分と人間らしくなったと建御雷神は笑みを浮かべる。

 一方で安倍晴明は、その様子を静かに見つめたまま眼を閉じた。



「この高天原で、神座を代替わりしてへん初代の神は、三柱しかおらん……」



「うふっ、その中の一柱は、もちろん、アタシのことね」



 なぜか指でハートというものを作りながら、女性的に笑う建御雷神。

 そして、あ……と思い出したかのように建御雷神は頬に手を当てて言った。



「……というか、晴明ちゃんが説明してあげたら良かったじゃない。白ちゃんと仲良く黄泉下りした仲でしょう?」



「あれは表の結界と、高天原の裏の階層を繋ぐために、都合の良かっただけや。……仲が良いとは違う」


 

 あっさり全否定する安倍晴明に、この子、本当にお友達全くいないのかしら——。

 そんな目で建御雷神は安倍晴明を見やった。

 


「それにしても、本当に羨ましいわぁ。イザナギがいないなかで"黄泉下り"出来るのは、今のところ貴方か白ちゃんだけでしょうから」



「……いや、俺はもう、黄泉には——」



 安倍晴明は、そう何かを言いかけたのだが……。



「—— 魑魅魍魎(ちみもうりょう)が闊歩する黄泉の世界なんてゾクゾクしちゃう! 叶うならアタシも、行きたかったわぁ!」

 


 建御雷神の無駄に通る声に、安倍晴明の言葉は呆気なく飲み込まれてしまった。





蓮は薄々気付いてますね。

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