22: 天界の神——観測の眼
「せやな、そう見られても現状では、今以上の報告は出来ひん……。天界の神が見ているとしても——な」
『なっ! なにを言っておるのだ貴様!?』
淡々と言う安倍晴明に、天界だと!?と天照大御神が恐れに顔を引き攣らせる。
ビキッ、と——突如、神殿の空気が軋んだ。
天照大御神の背後の空間が、陽炎のように揺らぐ。
空間そのものが裂けるように、古代の楔文字とも違う梵字が崩れたような文字を溢しながら、それは開眼する。
——ギョロリ。と何かが、“こちらを見た”。
否、それは空間全てに開かれた天の神による“無数の眼”。
天井にも。柱にも。床に落ちた光の粒の中にさえ。
それら全てが、安倍晴明を見ていた。
『——ヒィィィイッ!』
「朝陽っ、逃げないでください……!」
玉座から逃げ出しかけた天照大御神の首根っこを、月夜見が掴まえる。
その瞬間——……ドンッと、空気が重く沈んだ。
全てを押し潰すように、誰もその場から動くことを許さないと。
高濃度すぎる存在圧は、もはや物理攻撃に等しい。
しかも、不可侵の天たる神威であるが故に、避けることすら叶わない。
本来なら、その神威だけで呼吸さえ潰される。
だが、この場にいるのは主神級の神々だ。だからこそ、辛うじて、その圧力に耐えられた。
「……っ、なんて……圧力だ。 蓮——大丈夫かっ?」
「……く……っぅ」
しかし、強力な神力を有する蛍はともかく、神力のない蓮は両手を床について、押し潰されないよう必死に耐えていた。
「ボクが、支えてるから……っ」
蛍は蓮の身体が押し潰されないように、必死に支える。
「……高天原の法を持って罰するのでは、なかったんか?」
そんな中で、安倍晴明は平然と天界の事象『観測の眼』——その無数の視線を受け止める。
「そうやって、ずっと結界に干渉されてはるの……気分が悪いで」
「「いまだ人ならざる人になり得ぬものよ、天の眼を観測し得るものよ、汝、世界の理から外れる覚悟を持つか……」」
重く響く天の声は、安倍晴明に問いかける。
事情は全て把握しているのだろう。
そう、元よりこの審問は天照大御神が望んだものでなく、天界の事象『観測の眼』——天界の使者がことの顛末を記録するために開かせたものだ。
つまり——天界は、この事件を見ている。
高天原へ裁きを委ねながらも、なお“観測”を止めていない。
それは即ち、この事件に天の神が関わっているということだった。
(……観測の眼が観ているのは、白蓮か、或いは——)
安倍晴明が静かに新緑の瞳を伏せる。
「天の神々が追う対象は、俺の保護下にある。罪の対象として罰するならば、俺を連れて行きなはれ」
『天界の神に向かって何を言ってるんだ!ど阿呆……っ!』
あまりに恐れを知らない安倍晴明の言葉に、月夜見に捕まったままの天照大御神が猫のように金色の毛を逆立てて怒る。
——観測の眼は重く、安倍晴明に問いかけた。
「「「汝、何を求める——失われた奇跡の代償に、何を差し出す」」」
そして、観測の眼は神獣カイチ三体の命とこの世界の事情を、安倍晴明達が成し得る未来を秤にかけている。
罪を罪だと定めるとしても、なぜ罪に至るのか、罪によって成しえる未来に、果たして罰を与えるべきなのか——天は判断すると言うのだ。
「俺は与えられた奇跡を、今度こそ……その幸福を見届けたい。その後ならどんな罰を受けようとも構わへん」
「「…… 観測——継続を善とする」」」
空気そのものが言葉を発しているように震えた。
「「「しかして、未だ赦しは与えられぬ。汝の魂、全ての役目を終えた時、裁きの間にて判決を下す——」」
……時を待つがよい。
そう“眼”が閉じた瞬間——神殿を押し潰していた圧力が嘘のように霧散した。
誰も、すぐには口を開けなかった。
安倍晴明は恐れる様子も、動揺している様子もない。
ただ、静かにそこに佇んでいた。
——それが“裁きの猶予”なのだと悟った瞬間、天照大御神の声が震えた。
『な、なんてことを……』
天の捌きは魂の煉獄だと言うのに——最悪、安倍晴明は輪廻から外されてしまう。
この場に"神獣カイチ三体も殺戮した高天原の神"——犯人がいるのは、天照大御神も覚悟の上だった。
そもそも、高天原の神々が不祥事を起こすことは珍しくない。
誰かがやったとしても、もしも大罪を犯した神が居たとしても——極力、神の領域を持って罰する筈だった。
それなのに、安倍晴明は更に上にケンカを売りに行った。
天照大御神にとっては、高天原の神々は大切な家族だ。
(……何とかしてやりたい。——だが、今更何ができるというのか)
頭の中がいっぱいいっぱいになった朝陽は、玉座の手すりを両手で叩いた。
「……くそっ、そもそも! 時空の歪みが酷すぎて、神々の権能では術式の痕跡すら追えていないと言うのにっ! 安倍晴明と決めつけておるわけではない——たわけっ!」
状況を見れば、黒ではある。
しかし、本気で断定しているわけではない。
それで良かったのだ……と朝陽は必死に言い訳を重ねる。
「朝陽……どうやら、天には我々の事情より多くのことを把握されているようです」
「そうだとしてもだ! 神々の問題ならば、神が裁く!これは余の領域であろうが!万が一、いや億が一……安倍晴明が神獣殺しの犯人であれば——の話だがな!!」
高天原の神々ですら手の届かぬ“天”。
その干渉を前に、天照大御神は歯噛みすることしか出来なかった。
(……しかし、なぜ、天界の神々は安倍晴明に観測の眼を向けたのでしょう?)
月夜見が不意に、この状況に違和感を感じる。
安倍晴明が『観測の眼』——天界の使者に喧嘩を売ったから、と言うにはあまりに安易な答えだ。
本来、天の神は自身の領域内にしか干渉しない。だからこそ、神の領域に口を挟まないはずだった。
しかし、そうだとしたら、天の神が関わっているということを裏付ける。
では、それは一体、誰なのか——?
「……死ノ国のイザナミ? それとも……いや、まさか」
それは、あり得ない——。
月夜見は浮かんだ仮説を振り払う。そんな彼を、天照大御神が不思議そうな赤い瞳で見上げた。
『月夜見、一体どうしたのだ?』
「いえ、なんでもありません。しかし、この事態はいささか難解ですね」
『まったく……難解などとうに超えておるぞ! 天の領域に踏み込む大たわけが、何故こんなにも多いのか……。余では守りきれぬっ!』
思案顔の月夜見の隣で、天照大御神が怒っていた。その赤い瞳には、じわりと涙が滲んでいた。
——もはや、強がることも限界なのだ。
すると建御雷神は、自身の座から降りて、天照大御神の元へ歩いて行く。
「大丈夫よ、朝陽ちゃん。貴方は怖がらなくていいの」
天照大御神の側に控える月夜見と僅かに視線を交わした建御雷神は、安心させるように朝陽の肩へ手を置く。
「……何かあっても貴方の高天原は、このアタシが守ってあげるから」
自分の方が味方なのだと、教えるように建御雷神が朝陽の耳元で甘く囁いた。
加筆……終わりました。(意気消沈)




