21:桃園の主神と桜花の主神
挿絵画像はチャットGPTによるAI生成画像です
「……ん、んん」
蛍は棺の中で、朝の眩しい光を感じて目を覚ました。
瞼をこすりながら、ゆっくり目を開けると、視界に入るのは、眩い朝の金色の光。
キラキラと光を反射させている黄金の輝き。しかし、それは太陽の光ではなかった。
「あら、おはよう。 蛍ちゃん……目を覚ましたのね?」
そう優しく微笑んで、蛍を覗き込んでいる建御雷神の金髪だった。
フワリと、蛍の視界の端で、緩く編まれた金色の三つ編みが揺れる。
「ふぇっ……な、建御雷神!?」
蛍もまさか自身の部屋に建御雷神がいるとは思わず、声が裏返ってしまった。
「うふふっ! 朝から元気ねぇ。とっても可愛いわ、蛍ちゃん」
そんな蛍を見て、カラカラと笑う建御雷神。
「建御雷神……どうして——」
ボクの部屋に?と問いかけようとした矢先、屋敷を揺らすような大きな足音が蛍の部屋に向かって来るのが聞こえた。
例えるなら猪のような勢いで訪れた。
それは、蛍の部屋の前でキキッと急停止すると——ガラッ!と勢いよく襖を開けた。
「——建御雷神! なんで、蛍の部屋にいるの!?」
そう、その正体は鬼の形相をしている蓮だった。
「おはよう、蓮ちゃん、貴方も元気ねぇ」
そんな蓮を清々しい笑顔で、まるで子供の成長を見る母親のような口調で「アタシがここにいるの逆に、なんで分かったのかしらねぇ、これが愛かしら?」と頬に手を当てて言っている。
「いや、だから……なんで、——建御雷神っ! 君が蛍の部屋にいるのか教えてよ!」
「うふふふっ。朝を起こすのは、ママの役目なのよ。こうやって、毎朝、朝陽を起こしていたから、もう癖ね」
「……誰が。ママだって?」
ピキピキッと蓮の額に青筋が浮かび、蓮の背後にあった火山が少し間をおいて、ドカーンッと噴火する。
「——建御雷神は男神でしょ!?
蛍の部屋に、勝手に部屋に入っていいわけないよ!! もう出禁だよっっ!!」
そう勢いよく蓮が眉を吊り上げて怒っているが、建御雷神はどこ吹く風と言った表情で、色っぽく唇を指を立てて片目を瞑って言った。
「うふっ、アタシの気持ちはいつもママよ。 もちろん、たまにパパもやるわ」
「僕の話を、聞いて——!?」
蓮はギリッと唇を噛み締めてこれでもかと言うほど、顔を顰めて声を上げた。
そんな蓮に、建御雷神は「うふふふっ……」と恍惚とした笑みを向けて、茉莉花の棺から二柱のやり取りを見ていた蛍に視線を向ける。
「ところで、蛍ちゃんは、いつもその棺で寝てるのかしら? お花の香りがしてとても良いけれども」
お布団は敷かないのかしら?と建御雷神は不思議そうに蛍を見やる。
「……なんだか、棺じゃないと寝れなくて」
「そうなの。ずっとそこに居たからなのかしらね?」
「たぶん、そう。 この中に入るとすごく落ち着くんだ」
コクリと一つ頷いて、蛍は柔らかな笑みを浮かべる。
何故か、蛍は普通の布団だと落ち着かなくて眠れなかった。
それで、元々眠っていた地下室に置かれていた棺の中に入って眼を閉じると、すごくよく眠れた。
——それはそれは、蛍としては、すごく快眠だったのだが、「……蛍様!?わわわわ、大丈夫かにゃ!?生きてますにゃ!?」と、その光景を目撃したミケに偉く心配されてしまったので、蛍の部屋に布団として、この棺を持ってくることになったのだ。
「それに、このお花のいい匂いで眠くなるんだ」
蛍は枯れることのない茉莉花を両手に掬ってみせる。
そんな蛍の肩に、建御雷神がそっと手を置いて微笑んだ。
「——なら、今日からアタシが貴女のお布団になってあげるわ……。 アタシからも一応、桃っぽい匂いするわよ」
「桃……なんで?」
——なぜ、桃なのだろうと小首を傾げる蛍。
そう言えば建御雷神が近付くと、どこからか淡く甘い果実の香りがするのだ。
(……確かに、桃と言われれば……桃なのか)
なるほど。と頷いた蛍を前に、ふわりと視界に影が落ちる。
仄かに甘い桃の香りとともに、布越しから伝わる温かな体温。そして建御雷神の低く甘い声が耳元で響いた。
「……うふふっ。それに、アタシ、添い寝は得意なの」
そう、建御雷神は蛍を包み込むように、そっと抱き締めていた。
「えっ、と……建御雷神……?」
蛍は自分を優しく包み込む建御雷神を、なんだか、落ち着かない気持ちで見上げる。
(……確かに、良い香りなんだけども、これはちょっと違うような……)
茉莉花と桃のどちらが良いとか、そう言う単純な問題ではない。
このまま眠れるかと聞かれれば、難しい……と蛍が思っていると、建御雷神の向こう側、襖のところに立っている蓮が苛立ったような声を上げる。
「あぁ、もう……本当っに!!」
目の前で、蛍を抱きしめる建御雷神に、蓮の怒りは限界突破していた。
『——ふざけないでっ! もうコイツ追い出してやる!』
蓮は蛍を抱き締める建御雷神を引き剥がそうと、その着物につかみかかる。
遠くの部屋から朝からドッタンバタンと聞こえる。
その騒音に、書庫で本を手に取っていた安倍晴明は頭を抱えた。
「……ほんに、朝から屋敷がうるさいな」
そう、深くため息を吐いた。
* * *
朝食も終わり、蛍は食堂の片付けを済ませて庭に向かう。
足を進めて、庭に近づけば近くほど、激しく打ち合う音が鼓膜を震わせた。
そう……事の発端は、朝、怒りに任せて蓮が「建御雷神と稽古して勝ったら出て行ってもらうからね!」と言い張って、建御雷神もそれを快く、と言うよりも、むしろ恍惚とした表情で「もちろん、いいわよぉ」と、受け入れていたからだ。
風を切る音で、蓮が右に身体を逃す。蓮の白髪がチリッと音を立てて千切れた。
「……えぇ、えぇ、最高よ、蓮ちゃん!」
そう建御雷神の手刀が真っ直ぐに蓮の頬の横を通り過ぎて、蓮の白髪だけでなく、頬を掠めたのだ。蓮の白い肌からツツーと赤い血が流れる。
「……っ!」
蓮が驚愕に目を見開く、しかし驚きも冷めやらぬまま建御雷神が一瞬で蓮の背後に回り込んだ。
「でも、速さだけなんて……甘過ぎるわよ」
「っ——!?」
……嘘でしょうっ!?この僕より速いなんてっ!
そう蓮が建御雷神から距離を取ろうと踏み込んだのだが、ガシッと捕まった。
「甘すぎて、可愛がりたくなっちゃう——うふふっ」
そう建御雷神はご丁寧に、両手でしっかりと蓮を抱き締めて満面の笑みを浮かべる。
「……ちょっっ!?」
「やだぁ、捕まえちゃったわ♡」
そして、蓮の首筋に……ふ〜と息を吹きかけた。
「ヒィィィイッ!!」
蓮は今まで出したことのないような悲鳴を上げて、そのまま建御雷神の腕の中で蓮は再起不能となった。
チーンと抱き締められたまま、蓮の口からは魂が出ている。
「……蛍、助けて……」と蓮の魂が蛍に助けを求めていた。
「……えっと、これは一体、どう言う状況なんだ?」
蛍が庭を訪れるや否や、蓮は建御雷神に背後から抱き締められて、その腕の中で蓮が意識を失っている。
「あらぁ、ちょうど良かったわ。蛍ちゃんも一緒に稽古しましょう〜、蓮ちゃん1柱だと不利でしょうし」
「えぇっ! あの蓮が不利なのか!?」
蓮の強さを知っている蛍にとって、蓮が不利とは一体どういうことなのか。と思わず信じられないものを見るような目で建御雷神を見てしまう。
「えぇ、だってアタシは戦神、接近戦は何より得意なのよ。 晴明ちゃんにはその速さが届くでしょうけれど……」
そう言葉を区切った建御雷神が、体内の神気を解放する。
その瞬間、庭の空気が震えた。
空と大地が入れ替わったかのように、桜の花弁が空へと舞い上がる。
青空が一気に曇天に変わる。黒い雲に閃光が幾つも走り、雷鳴が轟く。
「なっ! ……建御雷神っ、何を……」
蛍が思わず身構えて、息を呑む。
「ご安心なさい。これは、ただの神気よ。神力すら使っていないの……。 だからね——蛍ちゃんも蓮ちゃんも、ただ速いだけではアタシには勝てないわよ?」
タケミカヅチは基礎能力だけで、蓮を遥かに上回っていた。
そんな、タケミカヅチ相手に蓮と蛍だけで、勝てるとも思えない。
しかし、真っ直ぐと蛍を見据えた金色の瞳は、どこか期待してあるように優しく細まった。
(……ボクが、蓮みたいに戦えるとは思えない。けど、ここで諦めるのも違うような気がする)
ぎゅっと拳を作った蛍は翡翠の瞳を上げて、キッと建御雷神を見据えた。
「分かった!! ボク、建御雷神を倒してみせる!!」
「……蛍」
そこで蓮が意識を取り戻したのか、建御雷神の腕の中から蛍を見た。
蒼い瞳がみるみると光を取り戻し、いつもの太陽のような笑みを浮かべる。
「うん、そうだね……諦めたら、終わり——だねっ!」
建御雷神の腕の中で身体を反転させた蓮が建御雷神に回し蹴りを見舞うが、
「……うふふふふっ、やだぁ。 ゾクゾクしちゃうっ!」
それをいとも簡単に建御雷神に避けられてしまう。
蛍と蓮は飛び回る蝶のように、交互に建御雷神に攻撃していくが一向に当たらない。
「くっ——まだまだ!」
「はぁっ、はぁっ……でも全然っ、当たらないぞっ!」
蓮と蛍は額に汗を浮かべながら、目の前で涼しげに微笑む建御雷神を見据える。
「うふふっ、楽しいわぁ! 食後の運動には、ちょうどいい軽さねぇ」
そう歌うように言う、建御雷神は息さえ乱れていない。
しかし、突如、曇天が晴れる。
黒い雲が覆っていた空は瞬く間に、太陽が顔を出して、青空が広がり、白い雲が流れる。
「……あら? これは」
建御雷神が何かに気付いたかのように、空を見上げた。
そしてサワサワと桜の花が囁くように揺れる。
「お前等、なにやってんの?」
その少し不機嫌そうな声とともに、春の風が吹き抜けて、雪のように桜の花弁が舞った。
「咲耶兄……っ」
蛍がパッと声がした方を見やれば、そこには木花咲弥姫命——の咲耶が薬箱を背負って立っていた。
「あらあら、咲耶ちゃん。 ……数十年振りねぇ」
「あぁ。久しぶり、タケル」
そして、どうやら二柱は知り合いなのか、建御雷神と咲耶は当然のように挨拶し合っている。
「咲耶兄が、建御雷神のことタケル……って呼んでる」
「確かに。いちいち、建御雷神って呼ぶのめんどくさいし……ふぁ〜ぁ。……良いんじゃないかな。タケルで」
二柱の会話を蛍が興味深そうに観察しながら言うと、蓮はあくびをしながら適当に返した。
事実、蓮は蛍以外に興味はない——もし、あるとすれば、安倍晴明が蛍へ向ける不器用過ぎる愛情くらいだ。
「咲耶ちゃんは、何をしに来たのかしら?」
「アイツの——蓮の経過観察。 まぁ元気そうだから、俺はこのまま行くけど……」
そんなタケルの問いかけに、咲耶は蓮を横目に見やり呆れたように言った。
「しかも、ピンピンしてるし……」と咲耶は、可愛らしく整った顔を顰めっ面に変えたあと、視線をタケルに戻した。
「タケルは今、ここに住んでるのか?」
「えぇ、朝陽のお願いでね。 ……でも、ほどほどに遊んだらアタシは一度、桃園の国に帰るわよ」
そう微笑むタケル——建御雷神は、七番国桃園の国の主神でもある。
普段から天照大御神のために、タケルは桃園の国から、一番国の天津の国に足を運んでいるだけなのだ。
「……貴方はずっとそうやって、旅をしているの?」
タケルの心配するかのような金色の視線が咲耶に刺さる。
そう——五番国、桜花の国の主神である木花咲弥姫命の咲耶と違って……。
「帰らずの現主神、木花咲弥姫命」
「……俺は」
咲耶が言葉を濁して、背負った薬箱の紐を強く握り締めた。
なんて言えばいいのか、自分の気持ちが上手く言葉にならない。
「……咲耶兄?」
蛍は咲耶の苦しげな、それでいて悲しげな顔を目の当たりにして、思わず咲耶の元へ近づいた。
(……咲耶兄が、泣きそうな顔してる)
蛍の姿を若葉色の瞳に映しながら咲耶は少し声を震わせて言った。
「探して見つけたいんだ、禍ツ神を元に戻す方法を……」
そう言ったあと咲耶は歯を食い縛り、若葉色の瞳を閉じた。
目を閉じるだけで、今だに鮮明に思い出してしまう。
禍ツ神に堕ちた邇邇芸命を先代の木花咲弥姫命が止めた、あの日のことを……。
——そう、かつて高天原でどの主神も太刀打ちすることが、出来なかった邇邇芸命の権能『時』。
それは、3分という制限下の元で、意のままに止めることも進めることも可能だった。
この間に、力を持たぬ神々は殺されてしまう。
それ故に、先代の木花咲弥姫自らが封印となり2柱ともに、永い永い眠りについてしまったのだ。
それが、桜花の国の象徴とも言える「万年桜の正体」で、いつ再び目覚めるのか分からない時限爆弾でもある。
——だからこそ、咲耶は禍ツ神を元に戻す方法を探し続けていた。
たとえ、主神の木花咲弥姫の座に着いた現在であっても……。




